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第8話
三日目になるとヒートも大分収まってきた。倦怠感は残るけれど、ベッドから起き上がれるくらいになった。母の用意した食事も、ほとんど全部食べられた。
「今日は湊先生が来るけど、大丈夫?」
仕事に行きかけの母は心配してくれた。
「うん、薬も飲んだから大丈夫」
本当は湊先生にはすごく会いたかった。名前を聞いただけで、お腹が疼く。まだヒートが完全に終わっていない証拠だった。
母が出勤したあと、僕は、はあ、と溜め息を吐いてテーブルに突っ伏した。まだ僅かに熱っぽい。湊先生のことを考えると、お腹がずくずくとして、下着が濡れる。湊先生が来る前に、一度お風呂に入ろう、そう思えるくらいには理性も戻ってきた。
午後二時過ぎ、さすがに湯舟を張るだけの気力はなくて、シャワーのみを浴びた。風呂上りの着替えたばかりのTシャツとハーフパンツで湊先生を待つ。首には勿論革製の首輪があった。これを外さないのが、母と湊先生との約束事だからだ。
リビングのソファーで本を読んでいると、インターフォンが鳴った。時間は午後三時少し前で、湊先生の診察の時間と被る。
「湊先生?」
反射的に玄関に向かいかけて、湊先生じゃなかった場合が頭を過ぎった。僕はまだヒート中のオメガだ。からだも小さくて、もし玄関の外にいるのが見知らぬアルファだった場合、不味いことになり兼ねない。フェロモンが出ている自覚はないけれど、それが事実かどうかわからない。
湊先生なら合鍵を持っているから、勝手に開けて入ってくるだろう。現にかちり、と鍵の開く音がした。内心緊張していたらしく、ほっとする。
「湊先生?」
リビングから顔を出して、玄関を窺う。
「遥くん、こんにちは」
玄関の鍵をきちんとかけて、白衣姿の湊先生が挨拶してくれた。往診用の大きな鞄を持っている。その姿を見ただけで、声を聴いただけで、からだが火照った。
「先生、こんにちは」
湊先生がリビングに来るまで待つ。
「今日は、お母さんは仕事?」
「そうです」
「ヒートの調子はどう?」
「つらいです」
目の前に先生がいると、何も考えられない。僕はソファーに座って、そのすぐ向かい側の床に白衣姿の湊先生が座っている。手を伸ばせば、抱きつくことも可能だ。
「聴診、できそう?」
湊先生が聴診器を取り出す。僕はTシャツの裾をまくり上げる。聴診器を痩せた僕の胸に押し当てる、湊先生の顔が近い。このまま触って欲しい。ぎゅっとしたい。
僕の呼吸が浅くなる。押さえていたTシャツから手が離れる。腕を伸ばして、湊先生の頭に抱きついた。そのままソファーから下りてしまい、湊先生にしがみつく。鼻孔から先生のにおいを吸う。無意識に腰を湊先生に押し付けていた。
「せんせい……」
この三日間欲しかった湊先生の感触と体温とにおいに、空っぽだった心が満たされる。けれどそれはすぐに湊先生によって引き剥がされた。
「だめだよ、遥くん、僕はアルファだ」
密着していたからだとからだの間にひんやりとした空気が割って入る。僕の胸の中にも空洞が生まれる。
「でも、薬はちゃんと飲んでるし」
段々と語尾にちからがなくなっていく。抑制剤を飲んでいたら、こうはならないのだろうか。
「まだフェロモンが出ているんだよ」
だからだめだよ、と言われた。
「今日はこれくらいにしておこうか」
そう言って、湊先生は診察道具を鞄にしまった。僕も自制できる気がしなくて、寂しかったけれど「はい」と答える。
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