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第32話

 好きな人がいても、オメガ性である限りヒートの問題はつきまとう。そして決して次のヒートが待ち遠しくなることはないだろう。満たされない虚無感と、満たされたときの幸福感は、きっとベータ性の想像に余りあるものだと思う。  目盛の壊れた秤のように揺れる感情は、僕には重たい。アルファ性の湊先生は、どういう気持ちで僕の革製の首輪を噛んでいたのだろう。もしもアルファ性も求めて止まない気持ちになるなら、僕らは番になればバランスがとれるのだろうか。 「運命の番って、どうやって見つけるんだろうね」  ぽつり、と僕が吐き出した。友人が「え?」という顔をする。 「チャンスはほとんど一回しかないのに、どうやって選べばいいんだろう」  僕は湊先生の運命の番だろうか。昔、湊先生は誰かのうなじを一度噛もうとしたらしい。湊先生にも運命の番の相手はわからないのだ。 「清水は運命の番なんて、信じるの?」  そんなの、アルファ性がオメガ性を屈服させるための言い訳だよ、と友人は言う。確かにそう信じている人もいる。大多数の人はそう思っているのかもしれない。 「僕の好きな人が、運命の番だったらいいな、って思うから」  あの日、湊先生は「僕の運命の番が遥くんなら、いいのにね」と言ってくれたような気がするのだ。勿論、夢うつつにそんな言葉を聞いた気になっている可能性だって充分にある。僕に都合のいい夢だ。 「好きな人がいると、そう思うんだね」  友人は、僕との間に距離を感じているような言い方をした。 「わかんない。その人だから、そう思うのかも」  僕の初恋は湊先生で、だから湊先生しか知らない。他の人から見れば、何だ、その程度、と思うのかもしれない。それでもよかった。 「そんな人に出会えるって、きっと清水は幸せだよ」  そう言ってくれる友人は、きっと優しい。 「そんな人に会えたらいいな」と呟く友人に、僕は「会えるといいね」と返した。それから僕の好きな人の話をぽつぽつとしている内に、僕らは喋り疲れて眠りに落ちていった。  翌日は週末で学校は休みだったから、僕らは夜更かしの代償として昼まで惰眠を貪った。  慣れない他人の家で遅い朝食とも、昼食ともとれる食事を頂いて、僕は家に帰る。友人の家から僕の家まで、バスと徒歩で四十分程度だ。  大した距離でもないのに、僕は珍しく揺れるバスに酔った。気持ちが悪い。何よりからだが火照って、落ち着かない。早く最寄りのバス停に着け、と吐き気と闘いながら念じる。  車内に最寄りのバス停が近いことがアナウンスされると、僕は重たい腕を上げて停止ボタンを押した。運賃を払うための交通系のカードを握りしめているときに、ふと嫌な予感がした。  僕に、五十二日振りのヒートがきた。  バス停に着くと同時に、僕は駆け足でバスを降りた。車内に一秒でも長くいて、「ヒートのオメガがいる」と思われるのは避けたかった。きちんと抑制剤を飲んでいても、ヒートはいつも突然来る。理不尽だ。  バスを降りると、急いでスマートフォンを手にする。この場でぐったりと倒れてしまいたいからだを、無理矢理走らせる。とにかくアルファ性に出会わないように、祈るばかりだ。  スマートフォンはずっとコール音を鳴らしていた。 「湊先生、出て……っ」  

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