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第34話
すん、と鼻を鳴らすと、湊先生のにおいがした。満たされた気分になると同時に安心した。今度は触れようとして、手を伸ばす。すぐ近くで指先に人の体温を感じた。この人は誰だろう、と目蓋を持ち上げる。
カーテンの引かれた薄暗い室内で、はじめに頭が見えた。もう一度、すん、と鼻を鳴らすと、湊先生のにおいがする。
「……せんせい?」
僕はベッドに横になっていて、湊先生はその僕の腰に腕を回して、僕の首すじに顔をうずめていた。はじめは眠っているのかとも思ったけれど、僕が寝起きの掠れ声で名前を呼ぶと、もそもそと動いたので、起きていたらしい。
「遥くん」
名前を呼ばれたので、「はい」と返事を返す。それからぐるりと目だけで周囲を確認して、馴染みのある僕の部屋でないことを知る。ヒートの最中で頭は回らないけれど、ここは湊先生の部屋じゃないだろうか。
「ここは湊先生の家?」
ようやく僕の首すじから顔を離した湊先生に尋ねる。いつものメタルフレームの眼鏡は外してあるらしい。レンズ越しではない柔らかな湊先生の目と、目が合った。きゅぅと僕の下腹部が疼く。
「そう。遥くんが可愛かったので、攫ってきたの」
額同士を擦りつけるように合わせて、湊先生は柔らかな声で、こちらが赤面するようなことを教えてくれた。鼻先がぶつかる。
「先生、電話に出てくれてありがとう」
たまにぶつかる鼻先がくすぐったい。僕はくすくす笑いながら、お礼を伝えた。僕のくすぐったさが伝播したのか、先生も小さく笑いながら、「どういたしまして」と言ってくれた。
また、すん、と僕は鼻を鳴らす。湊先生のにおいを吸い込む。幸福感と一緒に、今度はからだも熱くなる。気持ちは満たされるのに、まだお腹が空っぽだ。こっちも満たされたい、と思ってしまう。でも何と言って求めていいのかわからない。
「湊先生、」
手を伸ばして、ぎゅっと先生のシャツの袖を掴む。
湊先生は「?」という顔をして、僕を見てくる。僕は言葉を探した。
「せんせい、ぎゅってして」
結局そんなことしか言えない。湊先生は苦笑して、「もうしてるでしょう?」と言いながら、ぎゅっと抱きしめてくれた。僕の未発達のからだはぎゅっとされている間、湊先生の腕の中にすっぽりと収まってしまう。湊先生のにおいが濃くなる。頭がくらくらする。好き、の気持ちでいっぱいになる。
「えっと、そうじゃなくて、……前のときみたいに、ぎゅってして?」
湊先生は一瞬きょとんとした顔をしたのちに、ああ、と合点のいく顔をした。それからくすくすと笑われる。僕は何か変なことを言っただろうか。
「遥くんの中では『ぎゅってして』、なんだね」
僕の中では、とはどういうことなのか。僕は湊先生の腕の中で小首を傾げる。
「だめ?」
僕は尋ねながら、だめと言われたらどうしようか、と思う。拒絶されたときのぽっかり空いた感覚はつらい。先生が口を開く。
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