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第4章ー第45話 故郷

 雪割町(ゆきわりちょう)は、人口一万人くらいの小さい町だ。元々は米どころで、農家が多い。市町村合併が始まった頃から、町は合併しない選択肢を突き進んだ。それが功を奏した。  付近の町村も財政的に余裕があったわけではないので、集まっても増えるのは広大な土地ばかりだった。雪割町長は、自分たちだけでの生き残りをかけて、農産物だけでなく、基本的な改革に着手した。  そして、子育てのしやすさナンバーワンを目指し、若い人たちの移住を促したのだ。  その結果、人口は一万人をキープし、ここ数年は、『住んでみたい田舎ランキング』の上位に食い込む人気ぶりだった。 「係長、大丈夫ですか」  助手席を倒して、転寝をしていた保住は、田口の声に目を開けた。 「一時間とは言え、車に乗っているのはきつかったですね」  自分の故郷へ帰れる嬉しさに併せて、保住を連れて行くといういつもとは違った帰省に興奮しているのだろう。いつもそうおしゃべりではない質だのに、なんだかんだと言葉を紡いでいた。保住は黙って天井を見上げていたが、ぽつりと呟く。 「嗅いだことのない匂いがする」  少し開いている窓から入り込んでくる匂いか――?  田口にとったら馴染みの匂いであるため、なにがそうなるのかわからない。 「臭いですか、すみません」 「いや、いい匂いだ。おばあちゃん家みたいなイメージ」 「係長のおばあちゃん家は田舎ですか?」 「いや、梅沢の駅前だ」  田口は笑う。 「田舎の風景なんて全くない場所ではないですか……。あくまでもイメージと、いうわけですね?」  信号で止まって保住を見ると、彼の漆黒の双眸(そうぼう)には、青い空が映っていた。生気のないくすんだ瞳。体調がやはり、思わしくないのだろう。田口は、話しすぎたと反省をした。 「家に来たら、なにも構うことはありませんから。ずっと横になっていてください」 「起きていたいところだが、多分無理だ。お言葉に甘えてもいいのだろうか。おれなんかが来て良かったのか? お前の大事な夏休みだ」 「構いませんよ。どうせ、実家に来ても、おれもゴロゴロしているだけです」 「親御さんだけか?」 「いえ、祖父母と両親と、兄家族です。兄家族は子供が三人で……全部で九人家族です」  保住は笑う。 「テレビに出てきそうな大家族だな」 「そうですか? 雪割では三世代、四世代がザラです」 「そうか。それはそれでいいな」  瞳を閉じる保住は、話すことも疲れているようだ。田口は黙りこんだ。休ませると言っておきながら、自分が一番足を引っ張ってはいけないのだ。  時計は午後六時を指すところだ。ジリジリとた日差しは多少和らぐ。軽く沈んできた夕日が、鮮やかなオレンジ色を作り始める。猛暑といえど、雪割の夏は朝晩寒いくらいだ。風邪をひかないように注意しないと。そんなことを考えながら、田口は自宅を目指した。  そして目的地。田口の青い車が敷地内に入ると、中からでっぷりした容姿の母親が出てきた。 「おかえり!」  彼女は人の良さそうな笑みを浮かべて転がるようだ。 「母さん、ただいま」 「大変だったね……で?」  母親は、ワクワクした視線で田口の車を見ていた。馴染んだ実家なのに、なんだか落ち着かない。保住をどう紹介しようか思案していると、彼は頭を下げながら車から降りてきた。 「保住です。すみません、大変ご迷惑をおかけします」 「あら……」 「母です」  田口の母親は、目をパチクリさせてから笑った。 「あらやだ! 銀太の上司の方って言うから、おじさんがくるのがと思った!」 「母さん……係長は一応、年上だからね」 「そうなのが?! 銀太より断然、若く見えるわ」  田口より小柄ではあっても、横幅は優っている彼女は存在感がありすぎだ。なんだか相変わらずで、笑うしかなかった。 「銀太、戻ったか」  きゃっきゃとしている母親を見て苦笑していると、農作業を終えた父親と祖父が帰ってきた。 「係長、父と祖父です」  保住は二人に深々と頭を下げる。 「この度はお世話になります」 「なんだぁ、係長さんって言うがら、おじさんがくるのがど思った」 「んだな」 「部屋だけはいくらでもある。家族も多いから人間一人ぐれぇ増えんのは、どってごとないが……逆に、うるさくて休めないのではないがと、心配すています」  父親は、はにかんだ笑顔を見せる。田口そっくりの父だ。外仕事をしているせいで、日焼けをしていて田口よりは黒いが、彼そのものなのだ。保住は瞳を細めてから頭を下げた。 「いえ。ありがとうございます」  一通りの挨拶を交わしたことを確認し、田口は今度は祖父を紹介した。 「係長、祖父です」 「保住です。どうぞよろしくお願いいたします」 「こちらごそ」  祖父は寡黙なタイプだ。にこにこしているものの、一言だけ告げて後はペコリと頭を下げた。 「とりあえず、中に入ろう。今日退院したばかりと聞いてます」 「自己管理が悪くて」  父親が保住を促し、談笑しながら家に入っていくのを見て、母親は笑う。 「お父さん、楽しみにしでたのよ」 「え?」  田口は目を瞬かせる。 「だって、あんだ初めてじゃない? 梅沢の人、連れて来るの」 「そうだね」 「みんな心配してんだから。あんだ、人見知りだし。無愛想だから、友達とか、懇意にしてくれる人、いないんじゃないがって」  図星。さすが家族。よくわかっている。 「係長は上司だし、頼まれただけだげど」 「頼まれるってことは、信頼されてるんじゃないの」  そうなのだろうか。  ――自分が?  なんだか実感がないが、そうなのかもしれない。 「なんだが、安心したわ」  母親の笑顔を見て、余程みんなに心配をかけていたのだと思い、少し胸が痛んだ。

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