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第4章ー第48話 逃れられない柵

 夢を見ていた。父親の夢だ。いつも居間の窓辺の椅子に座って、本を読みながら、庭を眺めている彼の後ろ姿。声をかけていいものかどうか、いつも迷っていたことを思い出す。  ――お父さん。  どんなに小さい声で呟いても、彼はいつでも振り向いてくれる。そして、両手を広げて自分を迎え入れてくれるのだ。 『おいで』 『お父さん』  手を伸ばすとすぐに抱きしめてもらえるのに……どうして、躊躇してしまうのだろう。澤井の手の感触が未だに残っている。 『お前は父親に似すぎている。ふとあいつがそこにいるような気持ちにさせられる』  澤井の口元が視界に入る。  ――違う。父ではない。父のことは知らない。    田口とそっくりの田口の父親が脳裏をかすめる。  ――父親とは、そういうものか? なんなのだ。どうしてこうも、父親から逃れられないのだ。  半分、覚醒しているのだ。目を開けたくないだけ。途中からは、夢ではない。自分の思考の産物だ。  目を開くと、見慣れない木の天井が見えた。辺りは薄暗い。大きく取ってある障子から青白い光が洩れていた。障子だと、こんなにも明るいのだな。顔だけを動かし、そっと障子を眺めた。部屋の一角に灯っている行灯の光が、温かい橙色(だいだいいろ)で馴染んでいた。 「ここは」  田口の実家だ。寝ている間に一瞬現実を見失ったが。何時なのだろうか。自分は寝ていたのだな。クーラーもないのに涼しい。こんなにも違うものなのだろうか。  遠くから賑やかな声が聞こえてくる。躰を動かすことも面倒だ。じっとそのままの姿勢でいると、障子戸が開く音がして「入ります。係長」と田口の声が聞こえた。 「あ、起こしちゃいましたね」 「起きていた。すまない。寝てばっかりで」 「そうしてもらうために、来てもらったんじゃないですか」  田口は笑顔を見せて、手に持っていたお盆をそばのちゃぶ台に置いた。 「食べられますか。母さんが具合の悪いときこそ、味噌汁とおにぎりって」 「それは美味しそうだ――が、全部食べられる自信がない。口をつけたら悪い」 「そう言うと思いました。大丈夫です。後片付けはおれがやるので。遠慮しないで残してください。少しでも腹に入れないと。身体が日常に戻れませんよ」  田口はそう言うと、お盆を差し出した。

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