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第7章ー第67話 会議バトル

「妹が世話になったそうだな」  翌朝出勤すると、開口一番にそう言われた。 「世話というか。――おはようございます」 「おはよう」 「ただ合コンの帰り道で出くわしただけですよ」 「そうか? 随分と『さわやかで素敵な市役所職員』という印象を与えたそうじゃないか」 「嫌味ですか。それ」  昨日はこの人の指示で深夜まで仕事をしていたと言うのに。田口だって、内心むっとすることもある。 「怒ったか?」 「怒っていません」 「怒っている声色だ」 「別に怒っているのではありません。ですが、からかわれているようで嫌なだけです」 「それが怒っていると言うのだろう?」  二人の会話に、渡辺が割って入った。 「まあまあ、お二人。痴話げんかみたいなのを朝から繰り広げるのはやめてもらえませんか」 「痴話げんかって……」  田口はぱっと顔を上げる。しかし保住はけろっとして渡辺を見るだけだ。 「けんかではありませんよ。ただからかっているだけです」 「やっぱり!」  田口はますます保住に食ってかかった。それを更に渡辺が止めた。 「朝一の会議のストレスをここで晴らすのはやめましょうよ。係長」  渡辺の言葉にはっとした。自分も深夜まで仕事をしていたが、保住はもっと寝不足の様子だ。  今朝の会議の準備だったのだろうか。目の下には隈ができ、寝癖もひどい。いつも蒼白な顔色が更に白く感じられた。 「徹夜だったんですか?」 「いつものことだ」  心配になって尋ねるが、彼は心底機嫌が悪いらしい。言葉数も少ないし、言葉に棘がある。一緒に仕事をしてきたが、ここまで機嫌が悪い保住を見たことがない。怒る気も失せた。自分が入り込む余地が見えないのだ。なんだか拒絶されているみたいで、居心地が悪かった。 ***  そして朝一の会議は散々だった。保住が妙に突っかかるせいで、澤井とのバトルが長引き、昼に食い込んだのだ。 「この声楽家の集客率は八割を切ります。そんな声楽家を目玉に据えても、集客は見込めません。やはり、世界的になの知られている『宮内かおり』しかありません」 「予算の問題だ」 「合唱団を市民合唱にすることで経費を抑えているじゃないですか。あちこちに予算をばらまいていたのでは、メリハリがなさすぎます」  ほぼサシの会議で、他の職員たちはぽかんとして二人のやりとりを眺めているだけだ。 「なに肝に小さいこと言ってるんですか? !」 「そうは言うが、管理職としてリスクの管理はしなければならない。我々はリスクは最小限に最大の功績を得なければならないのだ。他に得策がないのかもっと検討しろ」  澤井は苦い顔をする。 「次の副市長の席がかかっていますからね。冒険はお嫌ですか」 保住の嫌味に澤井は、目を細める。 「今回の事業は成功では意味をなさない。ではないといけません。そうでしょう? 局長」  保住の誘うような視線に絡め取られて、澤井は一瞬、言葉を失いかけたが、飲まれることはない。それだけ強靭《きょうじん》な精神力があるのだろう。気を取り直して、憎々しげに保住を見ながら、田口に手を出した。 「予算書を見せろ」  ぼんやりしていた外野の職員たちは、はったと顔を上げた。田口は、自分が担当している予算書案を澤井に手渡す。 「メインボーカルを『宮内かおり』にした場合の予算書です」  田口は腹に力を入れなおして説明をする。  宮内かおりとは、今売れているソプラノ歌手だ。かなりの人気者で捕まえるのは難しいし、ギャラも跳ね上がる。だが、彼女を引っ張ることができたら、集客の心配はないということだ。 「この場合、会場を市運営の公会堂に変更して予算を押さえました。また集客のベースにもなりますので、合唱団は市民合唱団にしてあります。ただしノーギャラとはいきませんので、このくらいの予算は取っています」  澤井は目を血走らせて予算書を見つめた。 「オーケストラの質は落とせません。プロは無理でも地方プロオケのオーダーは必須ですが、ここが一番のコスト高かも知れません。ただし、星音堂(せいおんどう)への打診次第では、経費はそちら持ちにしていただくことは可能かと」  星音堂とは市内にある音楽ホール。今回のオペラでは目玉となるキャストにお金をかけて、その他の経費を落とすことになる。  しかしアマチュアの市民合唱団を起用するのは、コストを抑えるだけでなく、彼らのバックにいる家族や知人が足を運ぶことを目論んでいるのだ。 「星音堂(せいおんどう)に予算をとらせると言うことか」 「そうです。星音堂では毎年演奏会企画をしていますので、オペラついでに演奏会をすることで、交通費や楽器運搬費用を抑えられます。お互い様という事です」 「財布は一緒だがな」  澤井は舌打ちをするが、保住はあっけらかんとしている。 「公平負担ですよ。そういう誤魔化しは大事だし、お得感があります」 「まあな」 「同じ要領なら……」  澤井の言葉に田口は頷く。 「無論、メインキャストも然りです」 そして彼は続けた。 「こう言った経費削減を要所ごとに勘案してみた結果がこれです」  書類を見切ったのか。澤井は乱暴にテーブルに叩きつける。  ――どういう意味? 通さないか?  一同は固唾を飲んで、彼の言葉を待つ。保住だけが、しれっとした涼しげな顔。こうしてみると、整っているが故に感情が乗らない顔付きは、人形みたいで冷たい。澤井も気になるが、保住のことが気になって仕方がなかった。 「わかった」 「局長……」  渡辺は、ほっと表情を緩めた。 「おれは隠し事は嫌いだ。だから敢えて言うが、この事業は、おれの進退がかかっている。お前たち、失敗は許されない」 「勿論です」  矢部が答える。 「成功ではなく、大成功、ですよね?」  谷口も頷いた。 「基本、他人は信用しないが。こればかりはおれ一人でやれるとは思っていない。お前たちのことも、然程信用はしていないが、少なくとも他の奴らよりはできそうだ」 「ありがとうございます」  渡辺は頭を下げた。澤井に加担するのは澤井の手先になったみたいで不本意である。ここの部署のみんなが、澤井に取り入って出世したい、なんて思っていないことも重々承知だ。澤井は名声や地位のため。ほかのメンバーたちは、事業の成功、さらにその先には梅沢市のため。――そして市民のため。  理由は違えど、目的はオペラの成功である。利害関係が一致した、このメンバーは最強、いや、最狂だろう。保住は澤井の返答に、話は終いだとばかりに、書類をぐしゃぐしゃに握って立ち上がった。 「では、これにて」 「滞りなく進めろ」 「承知しました!」  文化課振興課係の面々は、局長室を後にした。

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