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第7章ー第74話 苛苛

『いつもの自分に戻ろう』  そう思えば思うほど、どうしたらいいのかわからなかった。田口と過ごしてしまった時間は、巻き戻せない。  一度、知ってしまったものは、忘れることができないという事なのだろうか。孤独なんて日常茶飯事だったのに、田口がくれた時間は保住にとったら心地がいいものだったらしい。  みんなが帰宅したあと、一人でパソコンと睨めっこをしていたが、仕事のことなんて考えられない。むしろ、集中しようと考えるほど、田口のことばかり考えてしまうのだ。  イライラして、イライラしていた。  突き放したら、捨てられた子犬みたいな顔をしていた田口。雨の中ダンボールに収まって、クンクンと鳴いている姿が脳裏から離れない。まるで自分で捨てておいて、雨が降り出したから心配になって見に行く小学生のようだ。  ――馬鹿みたいな妄想だ。 「イライラする……二日しかもたないのか」  自分にイラついて、パソコンのキーボードを乱暴に叩いた。 「バカみたいだ!」  吐き捨てるように呟いて、パソコンを閉じた。それから、リュックを背負い事務所を後にした。  ――おれは、どうかしている。    自分が自分ではないような感覚に、不安を覚えた。  しかし、うすぼんやりとした今までの生活には戻りたくないのだ。田口と出会ってから、今までの淡々とした生活が、いっぺんに騒がしく、嫌なはずなのに、彼がいないと、しっくりこない。そばにいると、ついうっかり頼ってしまいたくなるのだ。  一人でやってきたのに。誰に嫌われようと、誰に後ろ指を指されようと、誰に怒鳴られようと、自分は自分の思うがままに生きてきた。そして、生き方に異論を唱える人は少ないし、みんなが自分の思う通りにやらせてくれていた。  しかし市役所に入ってから、思い通りにならないことばかりになった。澤井という男に押さえつけられて、息苦しい思いばかりしてきた。  今の今まで踏ん張ってきたのは、仕事が好きだからだ。父親のあとを追っているだけではない。自分は純粋にこの梅沢市が好きで、そして、そこに住む人たちのために仕事に取り組んでいるのだ。  国の役人から見たら、「地方でしょう?」と言われるかもしれない。だけど、自分が背負っているものは、住民なのだ。国という大きなものではない。ここに足をつけて、暮らしている人たちなのだ。だから、自分の仕事には誇りを持っている。  少しずつだけど、自分を支えてくれたり、気にかけてくれる仲間を増やしつつ、こうして大好きな仕事に没頭しているところだというのに、そこに現れたのは田口だった。  田口には甘えてしまう。彼と一緒にいると、いつもの自分じゃないみたいだ。すっかりおんぶに抱っこなんて、ありえない。プライドの高い保住が、そんなことを許す訳もないはずなのに。 『係長!』  時折見せる笑顔は中学生。  しょんぼりしている姿は捨て犬。  大型犬のくせに、優しい目をしていて、そして、纏わりついてくるのだ。  仕事で失敗すると、尻尾を丸めてしゅんとした顔をするし、実家に帰ると、すごく訛っていて、そしてみんなに愛されている。  保住にとって、田口がなんなのか、答えは出ていないけど、一つだけ確かなことはわかる。 「自分にとって、田口は必要」  保住は階段を駆け下りてから、IDカードをかざし退勤手続きをする。そして暗い夜道に出て歩き出した。

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