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第9章ー第84話 ハムスターと猫
今日は一日、ホテルに缶詰だった。午前中は市町村の意見交換会がメインだったが、午後の県の会議は面白いものを見せてもらったと思う。
他の市町村の局長と挨拶をしてくると立ち上がった澤井を見送って、保住は次第を眺めた。県担当者は主任の菜花 という男らしい。
大変面白い会議だった。資料を外した後、彼は自分の言葉で国 からの情報の伝達を行った。事務局で卒倒しそうにしている男がいたが、彼の上司だろう。途中で止めるわけにもいかず、菜花の説明は最後まで続いたが、大変わかりやすかった。
――なかなかの余興だった。
休憩時間だからと言って、さすがにこういう場でネクタイを緩めることもかなわず息苦しい。そっと会場を抜け出してロビーに出た。まだ前半が終わったところ。休憩時間ばかりだといいのに。そんなことを思っていると、ロビーでばったりと菜花と出くわした。
彼はみんなの前で話をする時とは打って変わって、少しおどおどしていて自信がなさそうだ。じっと見ていると保住に気が付いたのか、急に挙動不審気味に寄って来た。
「あ、あの。あの」
「はい?」
「梅沢市の方ですか?」
じっと見つめらると何事かと思ってしまう。先ほどは遠方で彼の容姿はよく見えなかったが、こうして近くで見て見ると、全体的に淡い印象を覚える。
――どうしてだろう? ああ、そうか。
菜花の瞳は灰色がかっているのだ。それがなんとも、彼をぼんやりとした印象に見せるのだった。
「いかにも。梅沢市役所です」
保住の返答に満足したのか、彼は大きく頷いてから名刺を取り出した。
「前任の長嶋から聞いておりますよ。梅沢の担当の方は大変恐ろしい方なので、仲良くしてもらえるようにしておくことって……」
――ああ、そうか。長嶋だ。当たっていたのか。
やっと前任者の名前を思い出して、保住はすっきりした気持ちになった。
保住は苦笑して菜花の名刺を受け取らずに、自分の名刺を差し出す。
「先に受け取ってください。梅沢市役所教育委員会文化課振興係長の保住です」
「いえいえ。おれの名刺が先ですから」
「そういう押し問答はやめません?」
菜花は顔を真っ赤にしてから、保住の名刺を受け取った。
「すみません、ちょっと変で」
「いや、おれも変人扱いされていますから、気にしません」
保住のコメントに菜花の表情がパッと明るくなる。
――変人仲間で嬉しいってやっぱり変人。
保住は苦笑した。
「菜花さんの説明、大変わかりやすかったです」
「そうでしょうか。係長にどやされました。減俸かも」
「でも、そんなもの、どうでもいいんでしょう?」
保住の意味深な言葉に、菜花はその意図をくみ取ったのか、口元を緩めて笑った。
「なんでわかるんですか?」
「だって、給料なんかどうでもいい。自分の好きなようにやれたから満足って顔している」
保住の指摘に、彼は更に笑った。
「やだな。やっぱり同じ匂いがすると思った」
「同感です」
「自分の思う通りに出来ないなら――」
「やらないほうがマシ、ね」
初対面なのに妙に意気投合してしまうところが恐ろしい。
「なんだ。全然怖い人じゃないじゃないですか」
「怖くなんかないですよ。ただ譲れないことがあるだけ」
「それはそうですね」
「菜花さんが怒っているところは、想像できないが」
「そうですか? 気性が荒いんです!」
真ん丸の可愛らしい顔で、怒った表情をされても拗ねているようにしか見えない。
「ハムスターが歯を剥いているみたい」
「失礼ですね! 出っ歯ってことですか?!」
ぷんぷんされても迫力はない。
「そういう保住さんは黒猫ですね!」
「宅急便みたいな言い回しはやめてくださいよ」
「おお怖い! 食べられる!」
「ハムスターなんて興味ないです」
「ますます失礼じゃないですか!」
菜花は怒っているが半分は冗談。保住も同じだ。こういう冗談に乗ってこられる人種は一部。県の担当者は、相手をしても仕方がないと思っていた保住だが、菜花なら話がわかりそうだった。
「なにをじゃれている」
そこに用件が終わったのか、澤井の声が飛ぶ。
「怖っ! あの邪悪なラスボスみたいな方はどなたですか?」
「聞こえているぞ!」
「うちの事務局長です」
保住はにやにやして澤井を紹介する。
「すみません。えっと」
「知っている。菜花。保住のお友達だろう。覚えたぞ」
「こわ」
澤井の目の前で、「怖い」と言って除けるような職員は庁内にはいない。堂々たるものだ。
「局長、県の担当者をどやしてもなんの得にもなりませんよ。さあ、行きましょう」
「ち」
澤井は、凄みを利かせて菜花をにらんだ後に、保住に背中を押されて会場に入った。
「お前みたいな人間が、二人になると面倒だ」
「そう言わないでくださいよ。別組織にいるんです。いいじゃないですか」
「意気投合されると、首輪を付けても引きちぎって飛び出していく。管理職には爆弾だ」
「自粛しているじゃないですか」
「そうしてくれ」
席に座って出入り口に視線を戻すと、菜花が手を振っている。これは面白い男を見つけたものだ。今日は憂鬱なことばかりだが、少しは面白いことがあった。それだけで収穫かも知れないな――。
保住はそんなことを思いつつも、部下たちのことに想いを馳せた。
「田口のやつ。緊張しているんだろうな」
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