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第12章ー第102話 ゴミ屋敷の女王

「でも、そうそう好みの男もいないしな~……あ!」  神崎《かんざき》は、椅子にもたれてだらだらしていたが、急に立ち上がると、田口の元に走って来る。 「いい」 「え?」 「好み! 名前は?」 「た、田口です」 「気に入った!」  彼女は、田口の腕を摑まえると、ぎゅーっと引っ張った。 「係長さん、この人、しばらく貸して」 「え?」 「ええ!?」  田口と渡辺は、目を瞬かせた。 「先生?」 「あ、あの」 「一週間でもいいし。ここで私の助手やらせて」 「しかし」  田口は、狼狽た。  ――助手とはなんだ? 自分は、どうなるのだ。  困って保住に助けを求めるかのように視線を向けたが、彼は神崎へ視線を向けてしまった。 「結構ですよ」 「係長!」 「ええ?!」 「先生には創作活動をスムーズに進めていただかなくては困る。――田口。きちんと先生のお世話をさせてもらうように」 「な……ッ!」  ――絶句。  田口は口をぱくぱくして言葉を失った。しかしそんな彼は無視をして、保住は神崎に笑顔を向けた。 「交換条件を提示してもよろしいでしょうか」 「どうぞ」 「序曲とメインテーマが決まるまで、田口を貸出させていただきます。その代わり、出来ている楽譜は速やかに我々に引き渡して欲しい。いかがですか?」 「もちろん。いいわよ」  彼女は楽譜の束を渡辺に渡す。 「これは持って行っていいけど。少し手直ししたくなる時は返してね」 「大幅な変更をされたいときはご相談いただけますか? 出演者たちもあなたの楽譜を首を長くして待っている」 「そうなのね。わかったわ」 「それでは交渉成立ということで」  保住はそう言うと、渡辺を見る。 「渡辺さんの車に乗せてもらえますか?」 「あ、ええっと。いいですけど」 「係長!」  田口は泣きそうだ。しかし保住は一瞥をくれるだけ。 「田口。しっかりと先生のサポートをすること。先生の楽譜が出来たら事務所に帰ってこい。それまでは出張扱いにしておくから」 「そんな」 「それでは、先生。うちの田口をどうぞよろしくお願いいたします」 「はいはい~」  彼女は上機嫌で笑顔を見せる。田口の腕を掴んだままにこやかに手を振った。 「わ~、いいところに来てくれたわ。まずはお茶が飲みたいな?」  うふっと上目遣いで見られても困る。田口は「わかりました」とうなだれて、キッチンに向かった。ゴミなのか、必要なものなのか、わからないものを脇によけて、やかんを見つけ出してお湯を沸かす。  これは――。 「掃除からだな」  そんな言葉を呟きながら、田口はうなだれた。 ***  一方。マンションを後にして、事務所に向かう車中。渡辺はルームミラーで保住に視線をやった。 「いいのですか? 係長。田口を売り飛ばすようなことをして」 「これ以上、予定を遅らせることは厳しいです。田口もそれなりに覚悟出来ているはずです」  そう言いつつも一番機嫌が悪そうなのは保住なのだが――。  渡辺は、そう思う。  ――面白くない。そう顔に書いてあるけど?  一波乱ありそうで怖い。  渡辺は胃が痛むのを自覚した。 ***  ――ゴミって温かいのだな。  そう思った。神崎女史の家に送り込まれて一週間がたった。田口は日々片付けに追われていた。  神崎女史は、寝るときも起きているときも、仕事場である机に座りっぱなしだ。いつ起きて、寝ているのか。彼女にとって、生活のリズムはあってないようなもの。眠くなれば寝て、気が付けば起きて創作活動を続けている。  過酷な作業を強いられているのだなと、田口は思った。全ての作業を一人でこなすのだ。誰も助けてくれない。このゴミが詰まった部屋で、一人で彼女は自分との闘いを繰り広げているのだった。  人と関わらないと、刺激などないのではないかと思うが、彼女の脳内ではいろいろなアイデアが流れているのだろう。  隣に置かれているピアノを弾いては、首を傾げている。田口がいることなんて、忘れているのではないかと思うほどだが、時々「お腹空いた」とか、「喉が渇いた」と声がかかるので、そのたびに、なにか運ぶ仕事をしている。  このままで、本当に楽曲が仕上がるのだろうか。そんなことを考えながら風呂掃除をしていると、神崎が珍しく顔を出した。 「えっと。――なんだっけ?」 「田口です」 「そうそう田口……下の名前は?」 「銀太です」 「うっそ! 可愛いね。銀太くんか。いいね」  彼女はいきなり、屈んでいた田口の背中にもたれかかって来た。 「あの、先生?」 「いいじゃん。減るもんでもないし。いつも一人だからさ。たまには人の温かさが恋しいわけよ」 「はあ……」   田口の背にもたれてくる神崎。髪はもじゃもじゃ。田口がここに来てから、彼女が風呂に入っているところは見ていない。 「お風呂、入りますか?」  そう呟くと、彼女はぱっと顔を上げる。 「一緒に入るの?」 「いえ。おれは……」 「若い男子でもないのに、純朴ちゃんなんだね」  神崎の指が田口の背中をなぞる。  その感触に背筋がぞわぞわした。誘われているということは理解できた。そのつもりで置いておかれているのではないと、わかっていても、女性と二人きりでこうしているのに、なにもないというのもおかしな話で――。 「銀太くん、好みなんだけどな……おばさんは嫌かな?」 「神崎先生は、おばさんではありません」 「じゃあいいの?」 「そういうのでは。――すみません」 「彼女でもいるのか」  いると言っておけばいいものの。田口は黙り込むしかできなかった。 「あらあら? 彼女はいないんだ」 「……」 「それとも恋煩い中?」 「……それは」 「お、図星か」  神崎は、ふふと笑う。 「どんな女性か知らないけど、私よりいい女なのかな?」  一瞬。保住の顔が脳裏に浮かぶ。もう一週間も会っていないのだ。メールをしても返信もない。呆れられているに違いない。神崎と怪しい関係になっているのではないかと疑われているのだろうか。それとも、そうしろと言うのだろうか。    ――酷い。そんなこと。酷過ぎる。  田口は首を横に振ると、神崎を振り返った。 「お風呂に入らない女性は、嫌いです!」 「ひどい~! 銀太くん、ハッキリ言うね」 「当然です。一緒には入りません! 準備するので、お待ちください」  そう言って、神崎を浴室から追い出す。  ――自分だって男だ。女性に誘われたら、ぐらぐらくるのは当然だ。だけど。 「絶対、ダメ」  田口はこぶしを握り締めて大きく頷いてから、お風呂の準備を始めた。

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