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第14章ー第116話 彩られる世界

「保住さん、気が付いていますか?」 「え……?」 「保住さんが言っていることって、『おれは田口が好きだから、誰とも仲良くするのは許さない』って聞こえます」 「なっ……!」  保住は、弾かれたように顔を上げた。その表情は、まるで恥じらっているかのように目元を朱に染めている。  ――そんな可愛い顔をされたら……我慢できない。 「な、なにをバカな……っ」  田口は、彼の頬の涙をそっと指で拭い、それから、保住のネクタイに指をかけてから緩めた。 「田口」  止めさせようと腕を掴んでも無駄だと知って欲しい。知りたいのだ。この奥に隠された真実を。田口はワイシャツのボタンを二つ外してから、保住の白い首筋に残る跡を確認した。 「田口……っ」 「澤井局長ですね」  前にも見たものだ。最愛の人に付けられた他人の跡。執拗に何ヶ所も残されている。澤井のやり方は尋常じゃない。保住を所有物としてしか、見ていないのではないかと疑問になる。 「……っ、これは、」 「お付き合い始めたんですか?」 「それは……」  また、はっきりしない答え。  ――肯定か。  しかし田口は怯むことない。だって、今の保住の様子を見たら澤井とのお付き合いは……不本意に違いないからだ。 「それは本意なのですか」 「そ、そうだ。おれは……っ」 「ほらまた」  田口はそっと保住の頬に手を当てる。 「そんな辛そうな顔して。どうして幸せそうな笑顔を見せてくれないのです?」 「それは……」 「本気で澤井と付き合っているのなら、幸せそうにしてくださいよ」  保住は黙り込んだ。今にもまた、涙がこぼれ落ちそうなくらい辛そうに眉間にシワを寄せていた。 「あなたの気持ちは何処にあるのでしょうか?」 「誰の目も構わずに自分の心の(おもむ)くままに生きていくことも一つの選択肢だ……か」 「え? 保住さん?」  彼のぼんやりとしていた瞳が、弾かれたように田口を捕らえた。 「いや。父に言われた言葉。あれは一体――」  保住は混乱しているようだった。田口からしたら彼の頭の中がどうなっているのか、わかるはずもない。しかも、自分の中もぐちゃぐちゃに混乱していて、正直、彼を気遣える余裕なんてあるはずもなかった。 「あの――すみませんでした。おれの覚悟が決まらないから。嫌われたらどうしよう、おれの気持ちを知られたら、きっと気味悪がられて、あなたのそばにはいられないと臆病になっていました」  田口は屈みこんで、保住の目をしっかりと見据える。視線なんかそらさせない。自分だけを見て! そんな思いで真っ直ぐにだ。 「だけど、あなたの事やっぱり諦めきれないって、この数週間でよく分かりました。嫌うなら嫌ってください。軽蔑してください。ただ、あなたの今日の言葉を聞く限り、おれには全く叶わない夢ではない気もしています」  言葉を切り、それから瞳の色を和らげて保住を見据える。  ――ああ、好き。好きが溢れてくる。愛おしくてたまらない。 「保住さん、おれはあなたが好きです。ただの友達なんかじゃない。愛しています。おれは、あなたのためだけにありたい。だから、あなたにもおれだけを見て欲しい」  保住の目が見開かれる。緊張で張り詰めていた糸が緩むのがわかった。 「田口」 「例え澤井さんとお付き合いしていても、おれの気持ちを知っていてください。澤井さんと付き合うのかどうかはあなたの気持ちだと思うんです。だから、その。おれは強制できないって言うか……。だけど、それは結構……おれは嫌で。……えっと。なんて言うのかな……」  田口は眉間に皺を寄せて悩む。 「えっと」 「……澤井と別れろと言え」  保住はポツンと呟いた。 「え?」  小さくて聞き取れないそれは、確実に田口の耳に届く。だけど、理解するまでに時間がかかった。戸惑って目を瞬かせて、保住を見下ろした。 「おれと付き合えと言え」 「あ、はい! それです!」  田口は言いたいことが見つかってほっとしたのか。笑顔を見せた。 「そうですね! おれと付き合え! 澤井とは別れろ! です!」 ***  田口の笑顔は眩しい。純粋で素直であったかい。澤井といると寂しさは紛れる。だがそれは、田口と一緒にいる時とは違った感覚だった。田口は、保住に安心感や自信、満たされた感情を与えてくれる。  ――これが好き? 好き。  胸がキュンとして、じんわり温かい。コツンと田口の胸に額をぶつけると、距離が縮まった。 「わかった。お前の言う通りにしてやる」  モノクロの世界が、一瞬で鮮やかな色を取り戻す。田口はそっと保住の肩を引いて抱き寄せた。 「すみませんでした。遅くて」 「本当だ――このノロマ」  保住はそっと田口の肩に顔を埋めると、それに反応するかのように腰を強く引かれて体がくっついた。田口の温もりは温かくて心地よい。  そう、ずっとこうしたかったということ。触れられた。澤井とは違う田口の温もりに。理由はわからないのに、満たされる思いで溺れそうだ。 「保住さんが引っ張ってくれないと、なにも出来ない男です」 「……馬鹿者が」  素直に「好き」とは言い難い。この気持ちがなにか、正直戸惑っているからだ。しかし、保住はすっかり田口に捕まっている。誰かと一緒にいることが、こんなにも心満たされるなんて知らなかった。だから――。  言葉とは裏腹に、田口のスーツをぎゅっと握った。田口の嬉しそうな視線が自分に注がれているのかと思うと、気恥ずかしくて顔をあげられない。  居た堪れなくなって田口に縋ると、彼は小さくつぶやいた。 「すみませんでした」  ――きっと、大切なのだ。この男が。

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