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第15章ー第125話 鬼の過去
「こんな気持ちを保住さんにぶつけることもできません。臆病な卑怯者です」
「そうだろうか。それは当然の反応。そうは思わないか」
――仕事中なのに、こんな話をしていいのか?
そんな常識人的な自分が「待った」をかけるが、もう遅い。
田口はこの人と話をしたいと心から願っている自分に気が付いた。自分の知らない保住を知っているからか。それとも、保住との関係性を知っている唯一の人物だからだろうか。
悪態ばかりの澤井だが、どうにも腑に落ちない点も多い。
彼は保住と田口の理解者でもあるということには違いないのだった。
そう。澤井とは秘密の共有をする関係性だ。敵であるはずなのに、彼にしか相談が出来ないだなんて、皮肉な話だった。
「おれは保住の父親の時にお前みたいな立場にいた。近くにいるのに、うまくいかない。自分の気持ちをぶつける勇気もない。結局、あいつは別な奴と付き合っていた」
「以前、お話しされていた時も引っかかりました。付き合ってという表現は、どういった意味なのですか?」
「死んだ奴の恥をさらすつもりはない。息子も知らないことだが。保住には恋人がいた。しかも職員。妻以外の人間だ」
「――え? そんな……。そんなことが」
「保住には言うなよ。父親のことは、知らないはずだ」
「それは……、――承知しました」
田口の返答に満足したのか、澤井は続ける。
「その時に思った。おれがきちんとしなかったから、別な奴に取られた。妻がいるから。そういう遠慮もあった。家庭もあるあいつを、人の道を踏み外すようなものに連れ込めなかった」
澤井は昔を思い出すように視線を伏せた。彼が視線を伏せるなど、見たことがない。いつも堂々としていて、悪びれもしない態度の澤井が、だ。
「それに意気地がなかった。保住のためと言いつつ、結局は自分を守るため。自分が傷つきたくなかったのだ。思いを打ち明けて、果たしてダメだった時に傷ついた自分を受け入れられないと思った。
だから、じっと遠巻きに見ていた。思いだけを募らせて。そして、保住はいなくなった。おれの思いは途方に暮れたものだ。後悔しても取り戻せない時間だ。
――お前もそうだろう? おれと保住の関係にやきもきしながらも、自分の思いはしまっておこう。そう思っていたのではないか。我慢できない思いを、無理やり押し込めてしまおうと努力したのではないか。そんなことは無意味」
田口はただ澤井を見据えていた。
「自分がどう思うかも考えろ。付き合ってから一歩踏み込めないのは、あいつの気持ちを大事にしている反面、恐いのだ。あいつを傷つけるのではないか? 自分が傷つくのではないか? お前の不安は、あいつも不安にさせる。――どうだ?」
『お前は、本当におれが好きなのか?』
大晦日のあの日。保住に尋ねられた言葉を思い出した。いや、あれだけではない。何度も保住は田口にそう問うてくるのだった。
「――不安にさせているのだと思います」
「心当たりがあるようだな」
「はい」
「あんな調子の男だ。繊細で傷ついているのに、自分で理解できない。心が痛む理由がわからない。不安になっている理由がわからない男だ。
察してやれ。それがお前のこれからだ。お前はおれたちの過去の時間が羨ましいというが、これからを作るのはお前だ。田口」
――これからの時間?
「お前は、あいつのそばで、あいつを支えるのだ。公私共にだ。保住は出世していくだろう。いつかお前が足かせになる時が来るかも知れない。だが離れるなよ。情けなくても、しがみついてそばにいてやれ。きっとあいつにはお前が必要だ」
「局長」
澤井は立ち上がって、田口を追い払うように手を振った。
「お前がきちんと見ていないようだったら、すぐにでもおれがいただく。その準備はいつでもできているからな。気を抜くな。おれは見ているからな」
「……わかりました」
「圧迫骨折では、お前たちの関係も勇み足だな。お前の要求に応えられるようになるには、二か月以上はかかるだろう」
保住の骨折は重症だ。一か月程度で骨が安定しても、痛みは残るだろう。しばらくは、無理はさせられないということだ。
「もたもたしているからだぞ」
「すみません……」
「保住はさっさと実家に帰せ。あいつのあけた穴は、お前が埋めろ」
「承知いたしました」
田口は頭を下げてから、局長室を出た。
――局長は、心配してくれているのだ。
口は悪いが、田口と保住のことをもどかしく思ってみているのだろうな。なにか裏がある気はするが、理解者でもあるのだ。しかし、気を抜けばハイエナのように横から保住をかっさらっていく人だ。
――やはり敵は敵。
そう思って気を抜かないようにしなければ。田口はそう思いつつ事務所に戻った。
「係長。今日は帰れだそうです。で、二週間は自宅安静で……」
田口が顔を出すと、それどころではない。渡辺や谷口、矢部が保住のところでおろおろしていた。
「田口、早く送って行ってやれ」
「痛みで辛そうだ」
結局、仕事があるから事務所に連れていけと息巻いていた保住だが、この痛みには耐えかねるようだ。無言で、じっと机に突っ伏していたが、無理であることは明らかだった。
「車に乗れるでしょうか。歩けますか? 実家にお連れしますね」
断る言葉もない。保住はうんうんと頷くばかりだ。
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