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第16章ー第132話 白馬の王子
「あの、これは一体……」
目のやり場に困る渡辺が、有田に尋ねた。気恥ずかしい思いをしているのは、田口だけではないということだ。しかし、有田はいつもと変わりのない、平然とした表情で答えた。
「非公開ではないのですが、どうも世間には行き届いていない情報のようですね。――マエストロとかおりさんはご夫婦です」
「え」
「え?」
「ええ?!」
「あれ? 知っていて共演させたのではないのですか?」
有田はそちらの方が驚きとばかりに渡辺を見た。
「しかし、――宮内って」
それにはかおりが答えた。
「旧姓なの。関口にしようと思っているのですが、なかなかタイミングを逃しておりまして」
「なるほど」
矢部は開いた口が塞がらない様子で、田口を見た。
「お前も知らなかったの?」
「知りません」
「知っているのは……」
――保住さんだけか。
保住という男は、音楽の世界に疎いくせに、こういうところは用意周到だ。なるほど、うなずける。関口圭一郎と彼女が夫婦であれば、共演の話はスムーズに通るはず。本来は、どちらもギャラの高い二人を共演させようなんて、考えただけで頭の痛い企画だ。
だがしかし、地元からのオファーとあらば、半額以下、いや、むしろ無償でも受けてくれるという相手側の懐を見て、保住は彼を選択したのだ。そして、彼女もまた然りだ。
――策士。腹黒い。
田口は、恋人であり上司である保住の底知れぬ読みの深さに感嘆した。そんな事を考えていると、ホール担当者と打ち合わせを終えた保住が顔を出す。
彼は復帰して一週間がたった。少しは体力が戻っているとは言え、痛みは残っている。顔をしかめながら、なんとか歩いていると言うところか。
「遅れて申し訳ありません」
「おお! 君か!」
圭一郎は大変嬉しそうに保住の手を取ってかおりに紹介をした。
「可愛いだろう。梅沢市役所の保住くんだ。僕はねえ、一目みて気に入ったんだ。かおり。蛍 の嫁にどうだろうか」
「マエストロ。――ですから」
「まあ! いい案ね! あの子、恋人の一人も出来ないし。まだ二十歳なんですの。 いかがかしら? 今はまだまだ無名ですが、これから世界に羽ばたくヴァイオリニストになる予定です」
保住は苦笑いをしているが、そばで見ている田口はきが気ではない。
――嫁ってなんだ!? そんな話は聞いていないけど……。
保住と圭一郎が会っているのは、御影オーケストラが話を降りた時、澤井と一緒に東京出張をした際だ。あの時に、一体どんな話になっていたのか――。
その後、保住が受傷したので彼の代役で圭一郎の会った時に大そうがっかりしていたことを思い出した。
――あれは、こういうことだったというのか?
圭一郎は感情を素直に表出する男だ。保住が気に入ったのだろう。有田が困惑していた気持ちも理解できた。しかし、宮内かおりに二十歳の息子がいたとは――誰も想定しなかったことだ。
「――マエストロ。御子息のご結婚相手まで親がお膳立てするのはあまりよろしくないことですよ」
保住は丁寧に彼に言い聞かせる。大興奮だった圭一郎は残念そうに保住を見ていた。
「――ダメだろうか」
「ダメもなにも。おれでは力不足ですよ。御子息には素敵な方がきっと見つかりますし、もしかしたら、すでにいらっしゃるかもしれません」
「そうだといいのだが。親は心配になるものだぞ。なあ? かおり」
「そうねえ。蛍はヴァイオリンヲタクのむっつりくんだから……。もう、早くお嫁さん候補の方にお会いしたいのよ。しっかりした方だといいのですけれど……」
――なぜここで息子の恋愛相談会になるのだ? やはり計り知れない。
田口はハラハラとしてそこにいた。危うくて仕方がない。見ていられないという言葉が適当だった。圭一郎はしょんぼりした顔をしていたが、「そうだ!」と手を叩いた。
「体調は? 骨折したと聞いたが」
「ご心配をおかけしました。まだ痛みますが、明日の本番は、全力で支えます」
「なんとも痛々しいな」
「で、マエストロ」
「なんだ?」
「手を離していただけませんか」
いつまでも握られている手。圭一郎は、はっとして手放した。
「すまない」
「気にしません」
保住が笑顔を見せると、圭一郎は手放した腕を広げてから、ぎゅーっと保住を抱き寄せる。
「いい」
「もう! 圭ちゃんったら!」
かおりは笑うが、された方はそうはいかない。
「やはり、可愛い!」
ぎゅうぎゅうとされると痛みがあるのだろう。保住の顔色は蒼白になり、冷や汗が見て取れた。言葉も出ないとはこのことだ。田口は、限界だと思った。
彼はさっさと圭一郎と保住の元に歩み寄ると、保住の腰を引き寄せて、二人を引き離した。それから、彼の腰に手を添えて気遣いながらも、強引に保住を抱え上げた。
「申し訳ありません。係長は痛みが酷いようなので、失礼致します」
「田口……」
そう保住が言いかけたかどうか。田口はあっという間に保住を抱え上げると。その場から連れ去られた。
「おお! 白馬の王子のようだ!」
後ろで圭一郎が手を叩いて喜んでいる様子がわかるが、田口はそのままホワイエから走り出したのだった――。
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