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第16章ー第135話 最凶メンバー最後の仕事
——そばにいたいのに……。
この忙しさじゃ、それは叶わないのだ。田口は諦めるしかなかった。菜花を連れて、ホールに入っていく保住の後ろ姿を見つめながら、そう実感した。
年齢は二つしか違わない人なのに、保住の背中には追い付けない。
市長と会話をしている彼も。県担当者と仲良くしている彼も。どれもこれも、田口には担えないものばかり。
——もどかしい。
もっと力が欲しい。隣に並ぶことは難しいのかも知れないけど、せめて付き従える力、立場が欲しかった。いつまでも足手纏いでは困るのだ。田口の脳裏には、澤井の言葉が繰り返される。
『一緒にいれば、お前が足かせになる時が来るかも知れない』
最もなことだ。澤井は、その時は、保住にしがみついていろと言っていたが、その時が来たら、自分にはできるのだろうか——? きっと遠慮してしまうのではないか。そうならないためにも、自信を持たなくてはいけないのだ。もっと胸を張れるように。堂々と、「保住さんといたい」と言えるように。
「すみません、あの。もう始まるのでしょうか?」
「マスコミ」という腕章を付けた女性に声をかけられた。田口は腕時計を見る。
「あと五分で開会です」
「最初は市長のご挨拶からですよね」
「ええ、その通りです」
「ありがとうございました」
ホールに入っていく女性を見送り、田口は仕事の頭に切り替えをする。余計なことは考えないようにしなければ。ともかくこの時を待ち望んできたのだ。渡辺や、矢部や、谷口。そして、保住。文化課振興係の扉を初めて開けた瞬間から、二年が経つのだ。
思い返せば、色々なことがあった。最初は緩い雰囲気に馴染めなくて戸惑った。いい加減な恰好で、適当な保住に対して嫌な気持ちを持った。
頼りになるけど、ストレスに弱く、すぐ胃が痛くなる渡辺。
アニメヲタクで、美少女の話ばかりしている訳の分からない太った矢部。
骸骨みたいに痩せているのに、女子との絡みには、めっぽう興味があって、それでいて、田口の保住への気持ちもよく理解してくれる、お兄さん的な谷口。
鬼みたいで、威圧感半端なく、罵声を浴びせてくる澤井。
ぽっちゃりしていて、ニコニコ温和で優しい佐久間。
ここで本当にやっていけるのか——? そんなことばかりだったことを思い出す。
星野一郎の企画の時は、本気でみんなの前で泣いたり喚いたりして、情けない姿を見せてしまった。
熱中症で死にかけた保住を実家に連れて行ったこともあった。
雲の上的な存在である上司の澤井と、保住を取り合ったりするという、到底ありえない経験もした。
オペラの制作で、作曲家である神崎の家政夫のようなこともした。それから、今までに出会ったことのない人種の人たちとの出会いもあった。
ぼんやりとしていて、興味のないことだと、目の光も失せている保住なのに、彼の笑顔は、田口の人生を一変に変えた。生ける屍だった田口。今まさに、仕事の楽しさを知り、人生がイキイキと輝いているのだ。
——失いたくない。一度手に入れたものは。そうやすやすと手放したくないのだ。
こんな思いは。生まれて初めて。
『皆様、お時間となりました。これより梅沢市制作[星の夜空の輝きに]のレセプションを開始いたします』
依頼していた、プロのアナウンサーの声が響いてきた。
「始まるな」
受け付けで一緒にいた谷口が顔を上げた声にはったとした。
「——おい。田口。おれたち、ここまで来られたのは、お前のおかげだ」
ふと谷口が言う。隣にいた矢部も頷いた。
「本当だ。田口が異動できてくれて、良かったよ」
「矢部さん」
「おれは、これから水道局に異動だけど……、谷口と、渡辺さんと、それから今度来る職員と一緒に、係長を支えてやれよな」
矢部は異動が決まっている。澤井と一緒にこの事業を最後に離れていくのだ。二千人近くいる職員の中で、同じところで、また仕事をできるということは皆無だろう。矢部は、珍しく寂しそうな顔をした。
「もう少しここで、みんなと仕事したかったな」
「矢部さん」
「変なの。あんま、そう言うの関係ないタイプなんだけどさ。ここは居心地もよかったし。こんなおれの性格を受け入れてくれる人がいたからな」
それは、田口にも言えること。
「おれもですよ」
「そっか、そうだよな」
「矢部さん、また飲みましょうよ! 係長を囲む会じゃないですか」
谷口の言葉に矢部は、目元をゴシゴシとして笑顔を見せる。
「そうだな! 飲もうぜ」
市長の話が終わったのか、中からは盛大な拍手が響く。それを横目に三人は顔を見合わせた。
「よっし、もう少しだ! 気合い入れようぜ」
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