135 / 242

第16章ー第135話 最凶メンバー最後の仕事

 ——そばにいたいのに……。  この忙しさじゃ、それは叶わないのだ。田口は諦めるしかなかった。菜花を連れて、ホールに入っていく保住の後ろ姿を見つめながら、そう実感した。  年齢は二つしか違わない人なのに、保住の背中には追い付けない。  市長と会話をしている彼も。県担当者と仲良くしている彼も。どれもこれも、田口には担えないものばかり。   ——もどかしい。  もっと力が欲しい。隣に並ぶことは難しいのかも知れないけど、せめて付き従える力、立場が欲しかった。いつまでも足手纏いでは困るのだ。田口の脳裏には、澤井の言葉が繰り返される。 『一緒にいれば、お前が足かせになる時が来るかも知れない』  最もなことだ。澤井は、その時は、保住にしがみついていろと言っていたが、その時が来たら、自分にはできるのだろうか——? きっと遠慮してしまうのではないか。そうならないためにも、自信を持たなくてはいけないのだ。もっと胸を張れるように。堂々と、「保住さんといたい」と言えるように。 「すみません、あの。もう始まるのでしょうか?」  「マスコミ」という腕章を付けた女性に声をかけられた。田口は腕時計を見る。 「あと五分で開会です」 「最初は市長のご挨拶からですよね」 「ええ、その通りです」 「ありがとうございました」   ホールに入っていく女性を見送り、田口は仕事の頭に切り替えをする。余計なことは考えないようにしなければ。ともかくこの時を待ち望んできたのだ。渡辺や、矢部や、谷口。そして、保住。文化課振興係の扉を初めて開けた瞬間から、二年が経つのだ。  思い返せば、色々なことがあった。最初は緩い雰囲気に馴染めなくて戸惑った。いい加減な恰好で、適当な保住に対して嫌な気持ちを持った。  頼りになるけど、ストレスに弱く、すぐ胃が痛くなる渡辺。  アニメヲタクで、美少女の話ばかりしている訳の分からない太った矢部。  骸骨みたいに痩せているのに、女子との絡みには、めっぽう興味があって、それでいて、田口の保住への気持ちもよく理解してくれる、お兄さん的な谷口。  鬼みたいで、威圧感半端なく、罵声を浴びせてくる澤井。  ぽっちゃりしていて、ニコニコ温和で優しい佐久間。  ここで本当にやっていけるのか——? そんなことばかりだったことを思い出す。  星野一郎の企画の時は、本気でみんなの前で泣いたり喚いたりして、情けない姿を見せてしまった。  熱中症で死にかけた保住を実家に連れて行ったこともあった。  雲の上的な存在である上司の澤井と、保住を取り合ったりするという、到底ありえない経験もした。  オペラの制作で、作曲家である神崎の家政夫のようなこともした。それから、今までに出会ったことのない人種の人たちとの出会いもあった。  ぼんやりとしていて、興味のないことだと、目の光も失せている保住なのに、彼の笑顔は、田口の人生を一変に変えた。生ける屍だった田口。今まさに、仕事の楽しさを知り、人生がイキイキと輝いているのだ。  ——失いたくない。一度手に入れたものは。そうやすやすと手放したくないのだ。  こんな思いは。生まれて初めて。 『皆様、お時間となりました。これより梅沢市制作[星の夜空の輝きに]のレセプションを開始いたします』  依頼していた、プロのアナウンサーの声が響いてきた。 「始まるな」  受け付けで一緒にいた谷口が顔を上げた声にはったとした。 「——おい。田口。おれたち、ここまで来られたのは、お前のおかげだ」  ふと谷口が言う。隣にいた矢部も頷いた。 「本当だ。田口が異動できてくれて、良かったよ」 「矢部さん」 「おれは、これから水道局に異動だけど……、谷口と、渡辺さんと、それから今度来る職員と一緒に、係長を支えてやれよな」  矢部は異動が決まっている。澤井と一緒にこの事業を最後に離れていくのだ。二千人近くいる職員の中で、同じところで、また仕事をできるということは皆無だろう。矢部は、珍しく寂しそうな顔をした。 「もう少しここで、みんなと仕事したかったな」 「矢部さん」 「変なの。あんま、そう言うの関係ないタイプなんだけどさ。ここは居心地もよかったし。こんなおれの性格を受け入れてくれる人がいたからな」  それは、田口にも言えること。 「おれもですよ」 「そっか、そうだよな」 「矢部さん、また飲みましょうよ! 係長を囲む会じゃないですか」   谷口の言葉に矢部は、目元をゴシゴシとして笑顔を見せる。 「そうだな! 飲もうぜ」  市長の話が終わったのか、中からは盛大な拍手が響く。それを横目に三人は顔を見合わせた。 「よっし、もう少しだ! 気合い入れようぜ」

ともだちにシェアしよう!