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第17章ー第137話 新しい仲間
文化課振興係、三年目が始まる。年度末に開催されたオペラの初演は大成功を収めた。世界的に有名な指揮者の関口圭一郎と、その妻のソプラノ歌手の宮内かおり。そして、圭一郎率いる、ゼスプリ交響楽団。梅沢出身の作曲家、神崎菜々。
世間が、錚々 たるメンバーの出演を放っておくわけがなかった。当日は、全国からのファンが詰めかけ、当日券には長蛇の列となった。急遽、入れない観客は、別ホールでのライブ中継を鑑賞してもらうことになった。
市役所職員だけでは、とても対応仕切れなかったアクシデントも、圭一郎関係のイベント慣れしているスタッフの助けがあり、なんとか乗り切った。オペラは今後も定期的に上演されることが決定されて、大成功となる。
そんな中、澤井は念願の副市長行き。課長の佐久間が、スライドして事務局長に就任した。矢部は水道局へ異動となり、振興係には新しい職員がやってきた。
「十文字 春介です。前職は市民安全課戸籍係です」
眼鏡の真面目そうな男だ。身長は、田口より少し低いくらい。ほかの職員と比べれば長身。スリムな印象だった。紳士服売り場のマネキン人形みたいな男だった。
彼をマネキンに見せる一番の理由は、その服装だった。今までの振興係には似つかわしくないほど、お洒落なタイプだ。薄水色のシャツに合わせられた濃紺のネクタイは、若い割に落ち着きを見せていた。派手なお洒落ではなく、シックに決めてくるタイプ。外見にお金をかけているということは、一目瞭然だった。
田口はすごい後輩が来たとばかりに緊張していたが、真面目な挨拶には目もくれず、保住は手を振った。
「よろしく。十文字」
「よろしくお願いします!」
彼はまじめに頭を下げた。
保住の二月末に受傷した腰椎の圧迫骨折は、少しは峠を越えたのだろうか。コルセットをしていれば、なんとか一日起きていることができる。ただし鎮痛薬漬けだ。用法時間よりも、早めに切れる痛み止めの効果。先週に終えたオペラの際、無理を押したせいかもしれない。
そんな中での新しい職員の配置だ。いちいち面倒を見ている余裕がないというところだ。矢部が抜けて、席順も変わる。新しい職員は田口の席に座る。田口は保住の隣、谷口が座っていた席に移動し、十文字と並ぶ形だ。谷口は今まで座っていた席の斜め前になる矢部の席へ移動した。
「仕事のことは、田口に聞いて」
保住はそう言うと顔をしかめてから立ち上がった。
「おれですか?!」
田口は目を丸くするが、谷口は「当然だろう?」と苦笑した。
「一番、身近な先輩じゃん」
「そんな」
困ったオーラの田口を横目に、保住は微笑を浮かべるばかりだ。
「佐久間局長のところで打ち合わせだ。後はよろしく」
澤井が局長だった時は、局長室に足がなかなか向かなかったが、佐久間だと気持ちも違うのだろう。保住はそろそろと不自然な動きをしながら、事務所を後にした。
それを不思議そうに見送ってから十文字は、田口に頭を下げた。
「田口さん、よろしくお願いします」
今までは自分が下っ端で、上にだけ気を使っていれば良かったから楽だったが、これでは上と下に挟まれるのは苦手だ。田口は目を白黒させていたが、それを見つけたのか、渡辺が茶化す。
「これも中堅の役目だ。田口もワンステップ上のステージに上がれるな」
「渡辺さん……」
「十文字は、音楽経験あり?」
渡辺の問いに、彼は頷いた。
「高校、大学と合唱部でした」
「なら話は早い」
——自分よりも博識家か。舐められないようにしないと。
田口はため息を吐いた。なにも張り合う必要もないのだろうが。
「あの、係長は随分とお若いようですが」
十文字の問いに田口は答える。
「若く見えるけど、おれよりは年上」
「田口さんは、おいくつですか?」
「31です」
「先輩ですね。おれは29です」
「若いね」
谷口が口を挟む。三年目になっても、わいわいがやがやで和やかな雰囲気は健在だ。田口は後輩ができたことへの不安を抱えながらも、少し保住との距離が近くなっている席配置に、ほくそ笑んでいた。
——保住さんの隣り。近い。
今までは谷口が間にいたから、なんだか嬉しい気持ちになる。物理的に近しくなるのは、この上ない喜び。じんわりと喜びが出てきた瞬間でもあった。
しかし、そんな感慨に浸っている田口を取り残して、その間にも話しは進んでいたようだ。「な、田口」と渡辺に声をかけられて、はっとして顔を上げる。
「すみません。ぼんやりしていました」
「いや、大した話じゃないけど。係長が骨折した話していたとこ」
「ああ」
十文字は田口を見る。
「だから動きが怪しいのですね」
「怪しいか」
笑ってしまう。
「挙動不審だけど……前屈みが出来ないし、コルセットがまかれていて、細かい動きが出来ないみたいだ。だから、屈む時は垂直動きだし」
「そうそう。ダラダラした感じがなくていいんじゃないの?」
谷口の話に渡辺が同意する。
「確かにな。十文字。係長はあんなだけどやり手だ。着いて来いよ」
「あ、はい。あんまり頑張るのは好きじゃないけど、出来る範囲で頑張ります」
今時の若者的なコメント。怒りたくなってしまうコメントだが、細かく言うのも性に合わない。田口は黙った。
——席は近くなって憂いしいが、十文字とのことは大丈夫だろうか。少し不安だな。
田口は、そんな気持ちになった。
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