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第19章ー第153話 鬼がもう一人

「なんか。うん。うん」  渡辺は頷きながら、言葉を止めた。それを受けた谷口も周囲を見渡して「うんうん」と頷いた。目の前の十文字は企画書が滞っていて頭がパンク寸前のようだ。  いつもしっかりとした身なりをしているが、ここ数日は寝ぐせだらけで、疲れ切った顔をしていた。今日は朝から、をかきながらパソコンを叩いては、腕組みをするの繰り返しだ。  渡辺は次に田口を見る。こちらは対照的で雰囲気が明るい。表情は変わらないのに明らかにご機嫌のようで、軽快にパソコンを打つ様子が見て取れた。  その隣の保住はいつもよれよれのワイシャツばかりで、だらしのない恰好なのに、ここ最近はシャツにアイロンがかかっているし、寝ぐせも減った。ネクタイを緩めるのは相変わらずだが、小ぎれいになっているのは明らか。 「なんか。ね~……わかります? 言いたいことがあるけれど、言葉にならないって感じ」 「わかる、わかる。おれも同じことを思ってたんだよな。なんか違うって言うか。――雰囲気だろう? 雰囲気」 「そうそう。そうです」  渡辺と谷口はこそこそと話をする。 「みんな、どこかが違うよね」 「そうなんですよね」  そして渡辺は谷口を見る。 「そう言うお前もなんか違うよね」  谷口も少し洒落気付いているようだ。渡辺は目を瞬かせて彼を見ると、谷口はニヤニヤと嬉しそうに笑った。 「あ、やっぱり、わかります?」 「わかるよ。何年顔つき合わせていると思う?」 「実は彼女ができたんですよ」 「え? 嘘だろ?」  渡辺のリアクションに、保住と田口が顔を上げる。 「なに?」 「どうしたんです?」 「恋人が出来たらしいです」  渡辺の答えに、保住は視線を彷徨わせる。田口は顔を赤くした。 「そ、そんな」 「いや」 「係長、なに、オロオロ狼狽ているんですか? 谷口ですよ、谷口の話」  保住は、ほっと胸を撫で下ろして谷口を見た。 「やりましたね! 谷口さん」 「いやその……」  勘違いの照れ隠しみたいに、保住はわざらしく大きな声で谷口を褒めた。 「やめてくださいよ、係長……そんな大きな声で……」  他の島に座っている職員たちからの不審な視線に、谷口は居心地が悪そうに視線を伏せる。 「いやいや! いい話ではないですか!」  田口も珍しく便乗した。仕事中なのに全く関係のない話で盛り上がると、何とも騒がしい。すると悶々としていた十文字が、ダンっとテーブルを叩いた。 「すみません! 考えが纏まりません! 少し外の空気吸ってきてもいいでしょうか」 「ああ……どうぞ」  保住のコメントに彼はどんよりとしたオーラを纏いながら事務室を後にした。 「田口、そろそろ見てやれよ」 「すみません。放置してしまいました」  渡辺の言葉に田口は顔色を暗くした。田口は田口で浮き足立っている様はよくわかる。十文字のこと、ほったらかしなのは渡辺の目から見ても明らかだった。 「この前、飲みに誘ってなんとか持ち上げたつもりだったけど」 「係長のダメ出しは結構キツイです」  田口は身をもって知る一人だ。 「そうだろうか。普通だろう?」  保住は否定するが、他の三人は顔を見合わせて首を横に振る。 「なに?」 「キツイですよ」 「鬼の局長がいなくなったのに」 「ここに鬼がまた一人」 「おれは澤井じゃありません! 一緒にしないでくださいよ!」  そう言った瞬間。突然、事務所の扉が豪快に開いた。 「なんだ? おれの話か?」  振興係だけではない。地の底に響く重低音。他の島の職員たちも一瞬で凍りついた。 「数ヶ月いないだけで、弛んだ雰囲気だな」  ――鬼の鬼。閻魔大王。  そんな言葉が渡辺の脳裏を過った。 「こんなところになんのご用ですか。副市長」  さすがの保住も苦笑いだ。 「佐久間に用事だ。お前らになど用はない」 「そうですか。失礼致しました」  そこにそんな雰囲気を感じていないのか、澤井を押し退けて十文字が入ってきた。 「戻りました」 「おいおい」 「十文字……」 「あ、失礼します……」  ――そう言いかけた瞬間。  澤井に首根っこを掴まれて引き上げられた。 「あわわわ」 「副市長! すみません。こいつ新人で」 「新人もなにも関係なかろう。――貴様、いい度胸だな。名前は?」 「じ、十文字です」 「ふむ、覚えておこう」 「澤井さん」  保住は十文字を受け取る。 「お前の教育がなっとらん」 「すみませんね」  保住の様子を見て、澤井は「ふん」と鼻を鳴らすと、そこに佐久間が顔を出した。 「副市長、すみません。わざわざ御足労いただいて」 「すまない。寄り道をした」 「いえいえ。懐かしい面々です。どうぞごゆっくり」  ――なにを言う!  一同は佐久間を睨むが、彼には伝わらない。ニコニコして微笑ましいと言わんばかりだ。 「そうも言っていられない。予定が詰まっている」 「そうですか。残念ですね」 「そうだな」  佐久間は、「どうぞ」と澤井を促して廊下に出て行った。それを見送って一同は顔色を悪くした。 「おれ――全く気がつかなくて。すみませんでした。まさか、副市長とは」  しょんぼりとしている十文字に保住は微笑む。 「仕方あるまい。副市長など、普段は接点もないものだ」 「すみません」  すっかり怯えてしまった十文字は可哀想になってしまった。

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