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第19章ー第156話 十文字の初恋
携帯を眺めては、ため息を吐いた。食事をするためにあるテーブルだが、今はパソコンが占領していた。その隣には、山のようになっている書類や資料。図書館から借りてきた星野一郎の本の山。食べかけのお弁当、お菓子の袋、ビールの空き缶。もうゴミ屋敷一歩手前だ。そんな中、ソファに背中を預けて床にあぐらをかいた。
十文字のプライベートはグダグダだ。片付けはできない。家事もほとんどやらない。もしゃもしゃにした頭をかいてため息だ。仕事も進まない。星野一郎記念館のサロンコンサートの企画が浮かばないのだ。
昨年、前任者である田口は、彼の人生をステージに区切ったテーマの曲を扱った。昨年度事業の報告書を見ると、今までよりも好評であったことは、言うまでもない。
『今まで取り上げられなかった隠れた名曲が聴けて良かった』
『どの時代に作曲されたものかよく分かり、彼の人生のイベントと照らし合わせて聴くことができた。それにより、より深く彼を理解できた』
『星野先生のご苦労もよくわかった。そんな下積み時代にも素晴らしい名曲が生まれていることが知れた』
こんなコメントが多い。これを越えようと思うと、並大抵の発想力では難しいものだ。真っ白い天井を仰ぐ。
「おれの頭、硬過ぎてダメだな…」
すると携帯のメール着信音が鳴った。携帯を見ると、高校時代の友人からだった。
『元気? 梅沢の教育委員会に行ったんだって? 県の教育委員会だったらよかったのにね。なかなか会えないね〜……』
高校時代の部活で一緒だった友人だ。彼は高校の音楽教諭をしているので、教育委員会とは近しい関係性なのだろう。しかし高校の管轄は県だ。いくら教育委員会とは言え、繋がりはない。
『森合こそ元気そうだな。おれは仕事で打ちのめされて結構しんどい。今は学校関係というよりは、文化施設担当だ。星野一郎記念館を担当しています。しかし、企画が思いつかないんだよね。参った!』
彼に弱音を吐いても仕方がないのだが。誰かに聞いてもらいたいという気持ちが先立つ。森合からはすぐに返事が来た。
『なに? どんな企画なの?』
相談に乗ってくれるのか。
『星野一郎の曲をテーマにしたサロンコンサートだ。もう、あれやこれやと企画されていて、新しい切り口が見つからない』
『十文字は昔からマニュアル人間だから、発想力に乏しいもんね!そう言うの一番苦手じゃん』
――さすが同級生。よくわかっている。
『ちょっとおれも考えてみるから、少し待って』
彼はそうメールしてきた。森合は仕事柄そう言うのは得意かも知れない。
少し期待しよう。わらにもすがる思だった。携帯を置いてトイレに行こうと立ち上がると、また携帯のメールが鳴る。
「もう?」
――早くないか。
そんな独り言を言ってから、携帯を見つめると、森合ではない。昼間出会った男からだった。
『今日はびっくりしました。でも懐かしくて嬉しかったです。仕事終わりました』
「拓 ……」
時計の針は深夜一時半。浅葱色 の学生服を着た彼を思い出す。
『お疲れ様でした。こんなに遅くまで働いているんだね。夜勤っていうのかな? 大変です』
当たり障りのない言葉ばかりしか出てこない。
「馬鹿か」
返信が直ぐに帰ってくる。
『こんな深夜にメールしてしまったのに、まだ起きているんだね。仕事? 市役所って大変なんだね』
そう言ったかと思うと、彼から着信がある。
手が震えた。緊張しているのだ。十文字は深呼吸をして、通話を押した。
『ごめん、メール苦手で。起きてるなら少しいい?』
拓 の声は何年振りなのだろうかと思考を巡らせた。
――高校三年生の秋以来?
「仕事、お疲れ様」
『十文字も仕事していた?』
「おれは、自宅で企画書作り」
『大変なんだね』
「そうでもない。拓 は、病院って何?」
『看護師してるんだ。笑っちゃうでしょう?』
「笑わないよ」
――そっか。そうなのか。彼はその道を選んだのか。
『秋月もいて』
「え?」
秋月という名に十文字は表情を曇らせた。
「そっか」
『偶然、同じ職場で再会して。すごいよね。偶然』
「それで? 秋月とは――ちゃんとしてるのか」
彼は言葉を濁しながらも、だが確かにその意思を持って答えてくれた。
『うん。ちゃんとしてる。あんな別れかたしちゃったから一悶着あったけど。今はちゃんとしているよ』
「そっか」
――だよね。そう。いつもそう。
自分の思いはどこかに隠さなくてはいけないことになるのだ。
『あいつも十文字のこと話したら、会いたがると思う』
「ああ。そっか。おれも、森合や石田とは連絡取ってるから、お前のこと話しておくよ」
『懐かしいね! みんなで会えるかな?』
「そうだな」
――みんなで……ね。
十文字の気のない返事をどう捉えたのか。拓 は、声の調子を落とした。
『こんな夜遅くにごめんね。また連絡します』
ガッカリさせたくないのに。あの時と同じではないか。本当は色々な思いがあるのだ。それなのに、ないふり。素知らぬふり。そんなことばかり――。
『またね』
「ああ――拓 も身体に気をつけて」
『ありがとう』
通話は終わる。
「またダメじゃん。何回フラれるんだよ、おれ」
大きくため息を吐くと森合からメールが来た。
『いいこと思いついたもんね!』
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