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第20章ー第169話 密談

 梅沢市役所二階の中心部。広々とした窓からは青々とした空と、山々が連なる様が見て取れた。盆地である梅沢市は、360度山が見渡せるのだ。澤井の好きな風景だった。  大きな机の上は綺麗に片付いていて、電話機とペンが一本立てかけられているだけ。その代わり隣に置かれている机の上は、書類が山積みになっていた。応接セットの椅子に腰を下ろした澤井は、黙ってそこにいた。今、この部屋にいるのは彼だけだった。 「ここまできた」  彼は心の中で呟きながら、誰も座っていない机を見据えた。  市役所職員の最高位は副市長だ。そう――頑張っても副市長。澤井からしたら「」だ。  本来、目指すべきは今の場所ではないのだ。ただ今は時期ではない。じっと待つこと。それもまた肝要なことだ。そんなことを考えていると、重苦しい木製の扉が開いた。 「澤井くん、お待たせして申し訳ないね」  少し小柄の安田市長は悪びれもしない顔でそう言う。 「いえ。こちらこそ、お時間を割いていただきまして。ありがとうございます」 「澤井くんの頼みだったら、なんでも聞くよ」  彼はそう言うと、澤井の目の前に座った。市長と一緒に入ってきた秘書が書類が山積のデスクに座った。  私設秘書――。市長である安田の秘蔵っ子だ。次期市長に立候補するのではないかと噂されている、年の頃は三十台くらいの若い男だ。どうやら安田の甥らしい。  名は(まき)実篤(さねあつ)と言う。彼は安田とはまた違ったタイプである。でしゃばった真似はしない。ただ黙って安田に付き従うだけの男。  澤井はこの男を警戒していた。槇が果たして有能かと問えば、答えはイエスとは言い難い。彼はまだ若く経験値が足りないおかげで、考えが甘い。まだまだ自分の手中でいくらでも転がせる人材であることには違いないのだ。  今の澤井からしたら、警戒する必要もない男ではあるのだが……無視できないのは、安田が彼に絶大なる信頼を置いているということだ。  ここのところ、安田は年を取った。就任当初とは違い決断力にも乏しくなってきており、それを自覚しているのか、なにを決める時には、必ず槇に伺いをする様子が見られているからだ。つまり――実際に安田を動かせることができるのは槇。  すっかり腑抜けになっているわけでもないので、まだまだ澤井が入る余地はあるが、それも時間の問題かもしれないのだった。 「実は三年後に迫ってきた梅沢市制100周年の件です」 「なんだか、まだまだ先の話だねえ」 「そうでもありません。百年に一度のお祭りです。準備は周到にせねばいけません」  安田は槇を見た  ――またこれか。  前任の十文字市長が体調不良で退任してから、三期連続安田が仕切ってきたが、年には敵わないか。 「澤井副市長のおっしゃる通りかと」 「そうか」  安田は槇が同意したことを受けて澤井を見た。 「なにか考えているの? 澤井くん」 「百年に一度のお祭りは年間を通して続きます。しかも、全ての部署が関わる大かがりなことになる。その中で、ドカンと大きな花火を打ち上げなくてはいけません。違いますか?」 「確かにね。なにもしないわけにもいかないしなー」 「かなりの金が必要になる。だからこそ。準備に取り掛からなければならないのです」  槇も頷いた。 「そっか。で。具体的な案は?」  澤井は目の前に置いてあった封筒を開け、二枚綴りの書類を安田に手渡す。安田は受け取ってからゆっくりとした動作で、それらを眺めた。 「これは、これは。金がかかりそうだ」 「承知の上での企画です」  安田が差し出した書類を槇は、受け取ってから目を通した。しばらくの後、槇は頷いて安田を見た。彼の頷きは、「同意する」という意味だ。 「まずは議会に内々に打診が必要です。それと並行して、庁内の調整を図ります」 「まずは金だしなー。後は……」  槇が呟く。 「誰にやらせるか」  澤井は笑みを浮かべる。 「目星はつけてあります。まだ完全ではないが。中核を担う駒は決めています」 「早いね。決まっているなら楽でいいけど。大丈夫なの? 失敗はないよ」 「無論です。おれが失敗したことありましたか?」 「ないね」  安田は人の良さそうな笑みを見せた。 「進めてもよろしいでしょうか」 「そうだね。よろしく」 「ありがとうございます」  澤井は会釈をしてから立ち上がった。話は終わりだ。しかし――。 「ああ、槇さん。人事の優秀な子、貸してもらえる?」 「わかりました」 「どうも。では」  澤井は笑顔を見せてから市長室を出た。静寂漂う廊下はしんと静まり返っていた。  ここは市役所の中であって、そうではない。この場所に出入りできる職員は一握り。市民でごった返している部署とはかけ離れいてるのだ。  市長とはトップだが、職員と違い危うい地位にいる。次の選挙で市民の心を掴めなかったらアウトだ。実質、動かしているのは自分たち。中央官庁と一緒だ。大臣たちはお飾り。本当に日本のことを決めているのは官僚だ。 「好き勝手やらせてもらおう」  だから、ここまで上り詰めたのだ。副市長室に帰ると秘書課の副市長担当の職員がいた。 「お帰りなさい」  使えない男だ。 「資料揃えておいたか」 「すみません。あと少しです」  ――これだ。  澤井はむっとして彼を睨む。 「遅い!」 「申し訳ありません」 「謝ればいい問題ではない!」  ぺこぺこと頭を下げて萎縮するような職員は、いらないのだ。澤井は内線を持ち上げて秘書課に連絡を入れた。  ――おれが欲しい人材はこれではない。 「課長を寄越せ」  呼ばれてやってきたのは、秘書課長の金成(かなり)だった。 「お前は出ていろ」 「失礼いたします」  男が退室したのを見て、澤井は金成を見据えた。 「あれで三人目だが、使えん。もっとちゃんとしたやつを寄越せ」 「申し訳ありません」 「どいつもこいつも仕事は遅い、意味がわからん。もっと賢いやつじゃないと困る」  痩せ型の小柄な中年男は、汗を拭いてばかりいる。  昔、この地位に保住の父親がいた。彼だったら、こんなことにはならない。梅沢の職員の質の低下はいがめないのだ。  澤井は大きくため息を吐いた。 「なんとかしてくれ」 「今日中に新しい職員を配置いたします。お待ちください」  そう言って彼は出て行った。気が立っている。まだ本人には言うつもりは無かったが。  ――顔が見たい。  そう思った。  そして、受話器を取り上げた。

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