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第20章ー第173話 敵わない

「脅しではない。保住の父親が選んだ関係性だ。おれがとやかく口を出すことでもない。だから、お前もおれたちのことへ口出しはするな」 「やはり脅しですよ」 「いや――交渉だ」  澤井は腕組みをし直して椅子にもたれた。 「おれが退職した後、あれは潰される可能性が高まる」 「あなたの派閥の人間にですね」 「そうだ。おれの周りにいる奴らは、私欲でしか物事を判断しない。おれを好き好んで選んだのではなく、たまたま保住の父親が嫌いだから、おれにくっついただけの奴らなのだ」 「今はあなたの手前、好き勝手なことはしていませんが」 「いなくなったら直接攻撃を加える奴も出るだろう。嫌がらせどころか、仕事自体回らなくなるのは目に見えている」 「だから」 「そうだ。まだまだ現場の経験が必要だが、そんな悠長なことは言ってられない。早く引き上げて、ある程度自由が利くようにしてやりたい」 「澤井さん」 「この企画を成功させれば、中立派が保住(あいつ)に着くだろう」 「そこまで見越しているのですか」 「先の先を読む。読めない奴は脱落だ」  吉岡は内心唸った。澤井という男は思慮深い。ただの素行が乱暴な不良職員ではないということだ。  あまりじっくりと腹の中を話す間柄ではないし、対峙すればお互いに非難の気持ちがあるせいで、わかり合おうとしたことはなかった。  吉岡自身、彼を理解しよう――などと、今の今まで考えたこともなかったのだ。 『吉岡は澤井が嫌いかも知れないけど、あいつは切れる男だ。切れすぎて怖いくらい。本当は仲間になるとすごく頼りになるよ。喧嘩するつもりないんだけど、どうしても比べられてしまうんだよね』  生前の保住がそう言っていたのを思い出す。 『態度も横柄で、上から目線だしね。思うようにならないと嫌がらせもするし。性格悪そうなんだけど、あれで案外と繊細なのだよ。あいつは。根は優しすぎるんだ』  あまりに褒めるので、当時は、余計に澤井が嫌いだったことを思い出した。  ――ヤキモチ。あの人の気持ちは全部自分がもらいたい。  そう思っていた、若かりし頃の話だった。 「わかりました」  吉岡は目を開けて現実に戻る。 「彼を擁護する件に関しては、あなたとは共闘できます。この企画に関しても色々と根回ししてみましょう」 「そうしてくれると助かる」  澤井は一瞥をくれ、立ち上がった。 「それにしても。部下に手を出すなんて。――しかも、息子ほども年下ですよ?」 「歳は関係あるまい。父親と重ねて見るしか出来ないお前たちよりは、マシだと思うがな」 「な、」 「あいつは別物だ。保住だが父親ではない。担ぎ上げたいのはよくわかるが、きちんとあいつ個人と向き合ってから考えろ。おれはそれを理解したから、こうして付き合える」  澤井に言われたくないことだが図星でもある。吉岡は黙り込んだ。 「いつまでも父親の影を映すな。息子が救われない」 「わかっていますよ」 「なら、そうしてやれ」  彼はそう言って部屋から姿を消す。  ――わかっている。わかっているはずなのに。 『吉岡』  冬の雪解けの頃のお日様みたいに力なく、だけど確実にみんなを温かくしてくれる彼の笑顔が忘れられないのだ。 『死にたくない。生きていたい。まだやりたいことがある。子供たちのこともそうだ。心残りばかり。吉岡、おれに生きていると実感させてくれ。おれは生きていられると』  冷静で聡明だった彼が、吉岡に縋って号泣したのだ。死を目前として。  不安。  恐怖。  そんな気持ちをぶつけられて、受け止めない訳にいかないじゃないか。  国への出向から惨憺(さんたん)たる状態で帰ってきて、度重なる治療で痩せていった彼を吉岡は抱きとめ、そして残りの時間を共に過ごした。優しく触れて。彼が生きていると言う感触を掴めるように。逢瀬を繰り返した。  保住の妻には後ろめたい気持ちでいっぱいだ。息子にも――然り。本来なら顔向けできない立場なのに。 『あの子を、どうか……』  ――よろしく。  彼に託されたのだ。守らない訳にいかない。自分の進退をかけてもだ。  だが澤井の気持ちを初めて知って複雑だ。吉岡にとったら息子は息子であの人にはなり得ない。だが仕事では姿を重ねて期待してしまう部分も多い。それを指摘されたのだ。 「敵わないな。あの人には」  保住の父親と対立出来るくらいの能力の持ち主だ。 「足元にも及ばないか」  廊下を歩きながら吉岡は呟く。 「おれはおれのやり方でやらせてもらおう」  澤井とは同じようにはできない。だから――自分のやり方で彼を支援するのだ。吉岡は心に決めた。

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