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第22章ー第202話 私設秘書の陰謀
約束の場所に足を運ぶとやはり、田口の見立て通り野原だけではなく槇もそこにいた。
「お前は……」
野原は田口を認めて、不可思議な色の目を細めた。
「澤井副市長から、保住係長のことを預かっている田口です。あなた方からのお誘いに、係長一人で行かせる訳には参りません」
――よくもまあ、そんな言葉が口から出るものだ。
いつもは口下手なくせにと保住は目を見張り、そして苦笑した。「笑わないでくださいよ」と田口は目で合図するが、関係がない。保住は、愉快そうにするだけ。
案の定、槇は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「こんな状況でも、君は全く持って動じないのだね。いや感服するよ。さすが澤井副市長のお気に入りのことだけはある」
槇はチェックのワイシャツに茜色のネクタイをしていた。身長は田口よりは少し小さいだろうか? だが確実に保住や野原よりは大きい。スリムで上品なスーツは彼をスマートに見せていた。
憎々しげに見つめてくる槇の態度には、どう反応したら良いのかわからない。なにせ、彼に恨まれる理由に心当たりがないからだ。
正直、市長の私設秘書である槇とは、話などしたこともない。誘った当事者である野原は、ただ黙って槇の後ろに立ち尽くすだけだ。この場の主導権を握るのは槇だった。
「さあ行こうか」
槇の促しに保住に続いて田口も歩き出した。
***
槙に連れられてやってきたのは、駅の近くにある小料理屋だった。比較的新しいそこは和風モダンな作りで、若い客をターゲットにしていることは、見え見えだった。
澤井に連れられてくるような店とは品格が違う。利用する店によって質が問われるものなのだなと実感した。
「そんな緊張しないで。田口くん」
女将のような着物姿の女性に案内され、部屋に落ち着くと、さっそく槇が田口に声をかけた。
――田口は緊張しているのか?
彼の表情は硬く、両手を膝の上で握り込んで姿勢を正していた。そんな田口を見ると保住は笑ってしまった。
「来なきゃいいのに」
「い、いいえ。緊張なんてしておりません」
「素直で可愛い子じゃない。澤井副市長と接点があるとは思えないけど? さっきの言葉はハッタリかな」
槙は日本酒をあおりながら野原を見る。田口と澤井の関係性を問うているのだ。それを受けて、野原は視線を伏せた。
「確かに。田口が澤井と話しているのを見かけたことはない」
「ハッタリかどうかは、澤井さんに確認してみたらいいではないですか」
野原の言葉に保住はしれっと言い放つ。
「そこまで必要ないけど。まあ。ともかく、保住くんに懐いているのは確かみたいだね」
「それより本題に入っていただけませんかね。そう暇でもないのです」
「それはお互い様だね」
槙は野原に視線をやった。それを受けて彼は、頷いてから保住を見据えた。
――本題は野原が語ると言うのか?
相変わらず眉一つ動かさない野原は、まっすぐに保住を見返した。
「我々は澤井副市長が目障り。そうそうにご退場願いたいという訳」
「そんな」
野原の言葉に声を上げたのは田口だが話は途中だ。保住は田口を制するように彼の目の前に手を出してから自分で言葉を発した。
「まあ、そういう思いをお持ちの方々は多いと思いますね」
「君もそうじゃないの? 随分と痛めつけられたことがあるって聞いているよ。吉岡財務部長を始めとして、君のお父さんを支持していた人たちも同じ気持ちだろう。それなのに、君は何故か、澤井と懇意にしている。公私ともにね」
槙はいたずらに笑う。
――公私共に、ね。
保住はふと微笑を浮かべた。
「よくおわかりですね。さすが市長の私設秘書だ。色々な事を知っておられる」
槇は澤井と保住の関係を知っているのだ。そしてそれを材料としてなにかを持ち掛けたいのだろう。隣にいる田口は顔色が悪い。気が気ではない様子だった。それを横目に保住は冷静に言葉を返した。
「澤井と懇意にしていると言う表現は、語弊がありますね。澤井はおれの初めての指導者ですからね。色々な事を教えてもらいました。まあ、あの人間性ですからね。不快に思うことは多々ありますけど……特に深い思いはありませんね」
「そうだろうか」
野原と槇は視線を交わす。野原から切り出したことだが槇に交代らしい。今度は槇が口を開いた。
「田口くんの前でこんな込み入った話はしたくなかったのだがね。連れてきちゃった保住くんの判断は誤りだったかな? 我々は、君のプライドを傷つけないようにと、敢えて人払いをしたこの場を設定させてもらったのに」
「プライド、ですか」
「そう。プライド高く能力も秀でている君が。事もあろうに妻子持ちの上司と、不貞な関係性を持つなんて!」
――はっきりと言ってくれる。
保住は顔色も変えずに訂正する。
「過去形です」
「過ぎ去ったことは消えないよね? 事実は事実。こんなスキャンダラスなことが庁内に、いや世間様に知れ渡ることを市長の私設秘書として、おれは良しとしないのだよ」
「そうでしょうか? 市長にはあまり関係のないことでしょう? たかが、職員一人のプライベートですよ」
「そうも言ってられないだろう? 来年度から始まる大掛かりな例の件もある。その発起人と現場の責任者がそんな関係だったなんて……! 議会で大事になることは目に見えていると思わないか?」
槇は大袈裟に言葉を飾り立てる。田口はなんの話か皆目検討もつかない様子でいるが、保住には心当たりがあった。槇は『市制100周年記念事業』のことを言っているのだ。
「匿名化されるとはいえ、雑誌の格好のネタにもなるわけだ。梅沢市役所を揺るがす大惨事になるだろう」
――じゃあ、さっさとやればいいだろう?
保住はそう思う。澤井を失脚させたいなら、迷うことなく二人の関係を面白おかしくマスコミにでもリークすればいいのだ。
官庁関係や大手企業のスキャンダルをネタに揺すってくる出版社がある。職員のプライベート情報のほんの少しの事象から、事を大きくして記事を書いてくるのだ。やれ、市長の愛人疑惑だ、不正使い込み疑惑だと、あることないこと書き立てる。
昔は口止めをしたくて金を払っていたと聞いているが、今時そんなことをする自治体はない。いや、いくらかは残っているのだろうか。だから成り立つ仕組みなのかもしれないが。
しかし今回の場合は事実でしかない。書かれても仕方のないことなのだ。だから逃げも隠れもするような内容ではないと思った。それに――。
――そんなことが明るみに出れば、市長も無事では済まないのだぞ?
槇は澤井と保住の秘密を握ったことで、優位に立っているかの如く振る舞いだが、裏を返せば、この事実を明るみにされたら、現市長である安田だって無傷ではいられないということに気が付いてないのだろうか。
――槇という男は、そう賢くないのかも知れないな。
保住はそう踏んで「やればいいじゃないですか」と槇を見据えたまま言った。
「保住さん!」
田口は引き止めに入ってくるが、保住はあっけらかんと言い放った。
「あなた方がどこまで調べ上げたのかはわかりませんが、おれに許可を取る必要はありませんよ。どうぞ、お好きに」
槇はおもろくないという顔をした。少なからず保住にダメージを与えられると思ったのだろうが、全く効いていないようだということに腹を立てているようだ。
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