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第22章ー第203話 融通の効かない男

「我々は君の才能を買っているのだ。澤井は気に食わないが、君は助けたい。どうだ? 我々と手を組まないか。澤井を失脚させるには君の協力が不可欠だと思っている。詳しく説明しなくても、君ならこの意味がわかるだろう?」  保住は槇を見つめながら不愉快な気持ちが増悪させた。この男は自分の一番嫌いなことをやらせようとしているのだ。 「『失敗しろ』と?」 「話がわかる人間は好きだ」  彼は、澤井が推している『市制100周年記念事業』を失敗しろといっているのだ。 「あなた方は、なぜそんなに澤井が嫌いなのですか」 「軽蔑の気持ちを持ち合わせている君なら、理解してくれていると思っているのだがね。安田は年を取り過ぎた。今では澤井の言いなりだ。今の梅沢は澤井が思うように動かしているのだぞ? お前だって梅沢のことを思って身を粉にしている人間の一人なのだ、わかるだろう?」 「あなたがそんなに梅沢を愛しているようには見えませんね。それよりも、ただ単に、梅沢を動かす権力を欲しているようにしか受け取れない」 「権力ね」  槙は笑う。 「そういう解釈もあり得るだろう。結果的に澤井が失脚すれば、おれが手に入れるのは権力(それ)だからだ。ただ私欲ではない。おれは梅沢のことを心底考えている男だ」  彼の言葉は上辺だけさらって話しているようにしか聞こえない。正直、昔から梅沢のためだけに全てを投げ捨てている澤井の方が鬼気迫るものを感じる。槇の言葉はあっさりとしていて心にまで届かないのだ。  ――ああ、そうか。澤井は嫌いだ。だが、あの人の梅沢を愛する本質(こころ)は真実だから、嫌いになれないのだな……。  まさか、こんな機会にそれを自覚するなんてと、保住は内心笑うしかない。そして槇の言葉は聞くだけ時間の無駄のような気持ちになってしまうと、興味が失せた。 「こんな小さな田舎町なのに? あなたは梅沢が本当に好きなのですか? 申し訳ないですけど、あなたのその言葉には、『自分かわいさ』しか伝わってきませんよ」 「なんとでも言いたまえ。しかし、現実から目を逸らすな。澤井は力を持ちすぎている。澤井派の連中以外にもお前まで手中に納めて、これからの保住派も掌握しようと画策しているのだ。今の市役所内で彼の思い通りにならないことはない」 「ですから。おれはそういう派閥には興味がない」  槇の訴えに耳を貸すつもりはない。保住はきっぱりと言い切った。しかし、槇では埒が明かないと判断したのか、野原が口を挟んだ。 「お前は澤井が嫌い。悪い話ではない。我々に協力しろ」  ――ああ、そうか。  彼の瞳の色。先日も気がついたことの答え。漆黒でもない、鳶色でもない。そう、野原の瞳の色は緑かかっているのだ。いや、鮮やかな緑ではない。どこか白みがかったような白緑(びやくろく)。  じっと彼の瞳を覗き込むと、彼は視線を逸らした。保住は咳払いをして、槇に視線を移した。 「すみません。そういうの面倒で関わりたくないのです」 「保住」  野原は相変わらず無表情だが不満の声色だった。 「課長。そんなおれの性格は、あなたがよくおわかりではないですか」 「保住。お前は面倒だと言うが、すでに権力闘争に組み込まれた駒だ」 「では、早々に脱落いたしましょう」  彼はにこっと笑顔を見せて手を打ち鳴らした。それから、目を細めて田口を見る。  彼はずっとなにかを言いたそうにして我慢していた。二人に代わる代わる迫られている自分を擁護してくれようとしていたのだろうが、それを保住が望んでいないことも承知して、こうして堪えていてくれたのだ。  ――本当に。この男がそばにいてくれて救われている。 「おれは、澤井の指示通りに動いているわけでもないのですよ。あの人が、おれのポリシーに反するようなコトをするならば、勿論、同意はしかねる。しかし、それが梅沢や、市民のためになるのであれば、それは必ずやり遂げるだけだ」  槙と野原は黙り込んだ。自分の理論に付け入るスキはないはずだ。なにせ正論だからだ――と保住は確信した。槇という男を遣り込めることなど造作もないことだと思った。それと同時に、この程度なら、澤井の足元に及ばない。槇の相手は自分で十分だと思った。 「きれいごとだ、甘ちゃんだって澤井さんにも怒られるが、それを尊重してくれる澤井は、そう悪くもない。澤井の梅沢にかける思いは、おれ以上だ。死んだ父もそうでした。家族なんてまったくもって眼中にないくらい、梅沢のことに夢中でしたからね。申し訳ありませんが、そういう男の血を引いています。融通が利かないのは勘弁してください」  槇は静かに呟く。 「君は相当、澤井さんにぞっこんだ」 「そうかもしれませんね。上司として市役所職員としては尊敬しています」  田口の目の前で澤井のことを良く言いたくはないが、それもまた本心。  ――大丈夫。  田口はわかってくれると保住は思った。 「野原課長。こんなことに加担していて良いのでしょうか。おれが澤井さんに告げ口をするとは思わないのですか。槇さんと、あなたとではお立場が違うでしょう」  野原は白緑の瞳の色を濃くしたかと思うと、保住に視線を向けた。 「市役所職員の頂点は澤井さんだ。あの人の耳に入ったら、潰されるのは目に見えていますよね」 「おれはお前とは違う。市役所職員にこだわりはない」 「それはそれは。出世街道まっしぐらなのに? ああ、槇さんに引っ張り上げてもらっているというもっぱらの噂ですもんね。随分、懇意にしていらっしゃる。おれと澤井の関係を調べ上げている場合ではないのではないですか」  野原は目を細めた。 「ただの同級生なんて言葉をおれは信じられませんね。そうでしょう? 同級生って、何十人、何百人いる中で、社会人になってまでこんなに懇意にしますか? 槇さんも、随分と野原課長がお気に入りのようだ。色々な経験させてもらっていますからね。お二人の間の雰囲気はよくわかります」 「曖昧なことを」  保住は執拗に野原に声をかける。彼は相変わらず表情が変わらないが、保住の言葉に戸惑っているのは見て取れた。そして保住の読み通り、槇が口を割って入ってきた。 「保住、野原をいじめるな」  彼は笑みを浮かべて二人を見据えた。 「おれの足元を掬うおつもりだったようですが、墓穴を掘りましたね。お二人で行動するのは目立つ。お控えになるのがよろしい。職員自体は、誰が誰と付き合おうと解雇の理由にはなりません。まあ、こんな動きを嗅ぎ付けられたら澤井は黙っていないと思います。徹底的に野原課長潰しにかかるのは目に見えている」  保住は一旦言葉を切ってから槇を見た。 「そしてそれは、槇さんも同じでしょう? 安田市長はお二人の関係や企んでいることをご存知なさそうですね。の失敗は市長の進退問題にも影響しかねませんよ。澤井と共に市長も下ろして、あなたが市長にでもなるおつもりですか?」  返す言葉もないのだろうか。 「ああ、そうか。いい考えだ。澤井と市長との両名を揃って始末できる案は、なかなか面白い。これで、あなたが市長の座を射止められのかも知れない。しかし、世の中はそう甘くはない。失脚と言う形で引退するのと、大成功の花道で引退するのとでは、後任となるあなたのスタート位置も変わってくるのではないでしょうか? 有権者だってそんなに馬鹿ではない」  槇が黙り込むのを確認してから、保住は席を立った。 「田口。帰るぞ」 「は、はい」  保住の荷物と自分の荷物を抱え上げて、田口は保住に続く。 「どうもご馳走様でした。ご協力はしかねますが、また食事に誘っていただけると嬉しいです。野原課長。槇さん」  黙り込んでいる二人を置いて、保住と田口は廊下に出た。

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