205 / 242

第23章ー第205話 一年で一度の特別な日

 誰にでも一年で一度だけ特別な日がある。誕生日だ。9月21日は田口銀太の誕生日だった。 「32歳か……」  保住と出会ったときはまだ二十代だったのに、もう三十代なんて時間の経過は早いと思った。ここまで年を重ねてくると、誕生日だからといって、どうこうするものでもない。ここ数年は家族から「おめでとう」のメールが来る程度だ。  保住はこういうイベントには疎いから、きっと田口の誕生日がいつだなんて知らないと思う。なにせクリスマスすら忘れるタイプだ。だから期待はしていないし、寂しいわけもでない。  朝、目が覚めると、恒例のごとく家族からメールがたくさん入っていた。両親、兄家族、海外にいる兄家族からも。みんな田口の生まれたことを祝ってくれるのだ。  本当に恵まれていると思った。こんな年になってまで、自分が生まれてきたことを祝ってくれる家族がいるのだから。みんなに囲まれて、こうして必要としてくれる人たちがいるということが嬉しかったのだ。 「おい。遅刻するぞ」  珍しくいつまでもベッドにいる田口を心配したのか、保住が顔を出した。 「おはようございます」 「おはよう。珍しいな。寝坊か」 「いえ。家族からメールが入っていたもので」 「こんな朝から? なにかあったのか」 「いえ――なにも。気まぐれな人たちです」  田口は苦笑するとベッドから起きだした。  ――誕生日は一つもいいことがない。  昔からそうだった。なぜか気合が入り過ぎるからなのだろうか。自分の中のジンクスみたいなものだ。  小さい頃から散々なことばかり起きるのが誕生日。楽しみにしていたケーキを兄たちに潰されたり、剣道で大けがをして入院したり、好きな子に振られたのも誕生日だった。  だから知らんぷりしておきたいのだ。誕生日なんて、ろくなものではないのだ。だから気にしない。意識しないことにしているのだ。  今年は特に意識したくない。保住と付き合いだしてから、初めての誕生日だからだ。  昨年も自分の誕生日の頃は最悪だった。保住を澤井に寝取られていたのだから。誕生日どころではなくて、気が付いたらいつの間にか過ぎていた。だから今日は意識しないと決めているのだ。 「今日はろくなことにならなかったら、洒落にならない」  今までに起きたことを考えると、保住にお別れされる可能性だってあるくらいの話。田口は大きく息を吐いた。 「今日は気にしない」 「なにか言ったか?」  洗面台のところでなにやらやっている保住が顔を出す。その顔を見て田口は吹き出した。 「保住さん、ちょッ……勘弁してください」 「な、なぜ笑う! おれは必死。至って真面目だぞ」  ――だって、今日の寝ぐせは酷すぎる。  田口は「すみません」と言ってから、洗面台のところに足を向け、それから保住の髪型を観察した。 「直せるかな? 結構、酷い寝ぐせですよね」 「おれは寝相が悪いわけではないのだ」  ――言い訳か。  子供染みているのに、やめられない保住が愛おしい。思わずぎゅーっと後ろから抱きしめた。 「おい! 寝ぐせ直しはどうした」 「もういっそ、このままでいいんじゃないですか? 可愛いですよ」 「放棄する気か!」  顔を真っ赤にして怒っている保住がまた愛おしい。 「昨晩は最悪でしたからね。仕方がないです」  ――そう。昨日は槇さんたちとの会合で散々だったからな。 「昨日、あんなことになりましたけど。野原課長、どう出ますかね?」 「さあな。お愉しみだ」 「そういう言い方って、澤井さんに似てきましたよ」 「それは言うな。嫌いだ。一色単にされるのは」  保住はばっと振り返る。 「だって保住さんは澤井さんのことを尊敬しているし、そう嫌いではないと思うんです」  別に触れなくていい話題なのに、やはり昨晩の会話中で自分の目の前で澤井への想いを聞かされたことが気になるところなのだ。 「保住さんだって尊敬しているのでしょう?」 「あれは売り言葉に買い言葉だ。バカか。澤井なんて大嫌いだ。あんな奴。正攻法で澤井を追い詰めるというなら手伝ってやったのに。あいつらこそ大馬鹿だ。おれを見くびっている証拠だ。足元を見られたものだ。それが腹立たしいだけだ!」  ――そんなこと言っちゃって。本気で澤井さんの失脚に手を貸す、なんてこと考えていないくせに。 「朝から澤井の話なんてするな。気分が悪い。もういい、仕事に行く!」 「いいのですか? 中途半端ですけど」 「知らない」  彼はむかむかしているらしい。ぴょんとはねた頭の上の髪。  ――気になるな……。  田口はそんなことを考えながら保住の後を追いかけた。

ともだちにシェアしよう!