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第3話

火をつけた煙草の半分程が灰になり、そろそろ帰ろうかと灰皿に押し潰したその時 すぐ近くからカシャンと金属を掠るような音がした。 反射的に音がした方へ顔を向け、目にしたのは──。 大荷物を自転車の荷台に括り付ける…だけでは収まらず かごにも鞄を詰め込んだ、見るからに重そうな自転車を引く学生の影。 その影は、あろう事か自転車を引いたままこちらへ向かって、それもかなりの勢いで走り寄ってきたのだ。 暗いところではその表情や顔つきを捉えることが出来ず、猛スピードで迫ってくるそれに轢かれてしまうのではないかと身体が強張る。 これはもう逃げるか諦めるか透明になるかの三択だ。いや、二択だ。 むしろ一択。今から逃げられる訳が無い。 短い人生だったな、明日に繰り越した仕事は誰が代わってくれるだろうか……。 遂に自身に目掛けて走ってきた自転車少年が 目と鼻の先まで到達した。 固く目を閉じて身構えれば、頭の中に巡り始める走馬灯。 我が人生に一片の悔いなs……までは確実に行ったと思う。 だが、俺の覚悟とは裏腹に、辺りにはキュっと勢いのままにひかれたブレーキ音と スニーカーがアスファルトに擦れる乾いた音だけが響いたのだった。 ……特に衝撃も無い。生きてる、のか。 そっと目を開けば、薄らぼやける視界の中で、 にっこりと笑う見慣れた顔。 「さっきはどーも! 毎日遅くまでお仕事、お疲れ様です!」 いやお前かい。 はじめはわからなかったが、聞き覚えのある声に思わず胸を撫で下ろす。 毎日元気を分けてもらっていたこの店員は どうやら高校生のアルバイトだったようだ。 そりゃ元気だろうよ 若いってのは羨ましい。 「ってか、マスク外してるの初めて見ました! えぇ、めっちゃかっこいいじゃないですか!」 マスクを着けたまま煙草が吸えるほどの吸引力は残念ながら持ち合わせてないからな。 ダ〇ソンさんには頭が上がらんよ。 「いや…別にそんな事は…。」 「ありますって!横顔とかまじめっちゃかっこいい!それに背だって高いしスタイルもいいし! 実はずっと憧れてました~…なんちゃって?」 語尾に星マークでもつくようなテンションの口調に、本日何度目かもわからないため息が出る。 ここまで誉められては勿論悪い気はしないが、 男にかっこいいを連発されたところで心境は複雑な訳で。 それともう一つ “背だって高いし” これが気になって仕方がない。 確かに、はたから見れば高身長。 何もおかしくはない。 185はあるであろう身長を武器に、職場でも『話しかけ辛い人物』を保っているのだからな。 うんうんと頷いている俺をよそに、佐々木は無駄に重苦しそうな自転車をいとも簡単に反転させた。 よくそんなオプションのわんさかついた鉄の塊を自在に操れるものだ。 先ほどの猪をも思わせる迫力を一瞬にして停止させたのだから、実は筋肉質なんだろうか。 「本当はもう少し話してたいんですけど、急がないと補導されちゃうんで。今日はこの辺で失礼します!」 ここら一体の学生の補導対象時間は23時以降。 22時までアルバイトをしていれば、急いで帰らねばそれの対象となってしまうという事だ。 しかも通学用の自転車にパンパンのスクールバッグを括り付けて学ランを着ているんじゃ 言い逃れはできっこないだろう。 「あぁ…気を付けて。」 颯爽と走り去っていく佐々木の後ろ姿を見送りながら、一度下げたマスクをまた鼻まで上げて 再び静けさを取り戻した空間で、ポケットからキーケースを取り出した。

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