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第105話

聴こえていたのか、この眠気を誘いつつ同時に厭らしい気持ちすら誘い出すような邦楽をオルゴール調にアレンジした音楽が。 ………これは、落ち着いて露天風呂ともいかなくなってしまったぞ。 遂に俺の無職という最も辿り着きたくないゴールが目と鼻の先にまで到達してしまったのではないか…。 相手が佐々木でなくとも、曲がりなりにも仕事の一つである泊まりがけの出張。 顧客に宿代まで出してもらっている中で、あんな立派な旅館に泊めてもらっている中で、俺はなんていう罰当たりな事をしでかした…。 しかも、バレているのだ。行動を共にしている同僚に。部下に。知れば知るほど属性の盛り込まれたヤバい男に。 あぁ、時間とはどうして巻き戻しがきかないのだろう。 「今のってアイツ?」 「えっ?あ、そう!そうだ!一緒に旅行に来ている大事な…アイツ、だ……うん……。」 この後に及んでまだソレを通すのか俺は。 口から出る言葉と、焦りに焦る矛盾しまくる言動と、恐らく誰が見ても通常とは言い難い引き攣った表情。 面白みもクソもない。笑って済ませられる域はとうに超えている。 「ふーん。だっる。竹内さんってそんな節操なしだったわけ?ドン引きなんすけど俺。」 「あっ、それは違──…。」 「浮気相手探すために、わざわざ別の部屋取ってたん?アイツの事嫌いっスけど流石に同情するわ。」 「…っ、その、」 全く状況のわからないまま急に名前で呼ばれた事に、大きな違和感を抱いていたのが少し前。 こうして再び元々の呼び名に戻ると、ここまで心苦しいものがあるのか。 記憶も曖昧なのに、昨夜の事を思って押し寄せる罪悪感は相当なもので。 朝一番に見た心配してくれる姿も、恐らく特別な関係になった者だけに見せてくれる笑顔も、全てが崩れていくような、酷く冷たい今の佐々木。 好きだと自覚した直後に向けらるそれが まさかこんなに、首を絞めあげるとは思わなかった。 それ以上言葉を交わす事もなく静かになってしまった空間で、着ていた服に着替えてスマホをいじる佐々木の背中が何処までも寂しそうで、掛けられる言葉を無くした俺は ただ、俯くことしか出来なかった。 その後は佐々木の若干不慣れな手つきで進められる精算の手続きに、何も言わないまま財布を渡すだけのやりとり。 この場に慣れていると思ったが、やはり佐々木は適応能力が高いだけで 俺の思い込みフィルターが見せた錯覚だったのだと納得してしまう。 高校生の、思春期の、若い彼の不安定な心にとんでもない傷を負わせてしまったのは、他でもない俺だ。 幸い佐々木が本来泊まっているらしい場所も俺の宿泊した旅館も遠くはなく、「じゃあね。」の言葉を最後に、離れ離れとなった。 またね、ではなく じゃあね。 帰ったあと、俺達が会うことは もう無いのだろうか。

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