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第106話

おぼつかない足取りで旅館へ戻ると、部屋で待っていろと言ったのに、法月は興味深そうな胡散臭い笑みを浮かべて入り口前で待っていた。 「おはようございます。もしかして、お楽しみのところをお邪魔してしまいましたかね?」 「…いや。」 調子の良いそいつは、俺の昨夜の過ちを聞き出そうと目を輝かせているが 生憎それに付き合っていられる状態ではない。 本来ならば、この旅館で静かに眠っている筈だった。もし自我を保てているうちに煙草を切らして、向かった先で偶然佐々木に出会えたのなら。その奇跡のような出来事に心が躍っていただろう。 …そんな訳ないか。 数日前から連絡も返さず店にも寄らず、避け続けていたのだから気まずくなって終わりだ。 どこから間違えてしまったんだろう。 俺はどうして、いつもいつもいつも…。 本当は法月のように人当たりよく、誰にでも笑かけられるような性格が良かった。 好きな人に素直に好きだと言える強さが欲しかった。 それが例え同性でも。報われないものなのだとしても。 俺があの時、素直になっていれば いや、むしろ、佐々木を特別な目で見てしまわなければ。 俺とアイツは今も、ただののコンビニの店員と客でいられたのかもしれない。 佐々木に好意を寄せられたところで、10代なりのその勇気を讃えて仲の良い友人になる事くらいは出来たかもしれないのに。 大人の俺が、余裕のなさを言い訳に佐々木ばかりを傷つけた。 「…竹内さん?何か、あったんですか。」 普段の作り込まれた笑顔ではない、法月にしては珍しく眉の端を下げた弱々しい表情。 部下にまで、心配をかけて、迷惑をかけて。 俺は社会人として、大人として、男として 人として失格だ。 「…何でもない。」 「なくないでしょう。話くらいは聞きますから。」 辞めてくれ。 そんな風に、優しくしないでくれ。 また甘えてしまう。 俺に逆らえない立場のお前に泣き言を言えば、慰めてもらえるのはわかっている。 だが、法月もまた…俺の事を好きだと言ってくれたから。尊敬や友情のそれではなく、恋愛感情なのだと言い切られてしまっているから。 俺のような愚か者が唯一お前の為にしてやれる事だ。この話は、したくない。お前の事も傷つけてしまう。 「法月には言えない事だ。」 「僕には、ですか。 はぁ。竹内さんにとって僕は相談する価値すら無い人間だという事ですか。」 法月は、それまで覗き込んでいた顔をすっと退けると冷たい視線で俺をその場に縛り付けた。 笑顔のなくなったこの男は、怖い。 その笑顔を奪った犯人もまた…俺。 なんで…っ、こうなるんだよ。 こんな性格で、コミュニケーションすらまともに取れない。行きすぎた口下手は人を不快にさせるばかり。 悔しくて、法月に生ませてしまった誤解を解く手段も見つからず、爪先に目を落とした。 忘れていた足首の怪我が、今になって痛み出す。 視力が悪いだけではないであろう歪んだ足元に ぽたり、ぽたりとシミが出来て。 即座に肩を抱いて再び心配の眼差しを向けてくれる心優しい部下を、振り払う強さなどありはしなかった。 俺は、なんて 最低なんだろう。

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