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第130話

3人を乗せたタクシーは、ある小さな事務所の前でメーターを止める。 一見油臭いラーメン屋に見えるそこだが、どうやら事務所は店の2階を借りているらしい。 食欲を唆る匂いを無視して階段を登れば見えてくる、薄汚れた社名の記された看板。 会長、俺、法月の順に歩いた訳だが、会長自身がもういい歳という事もあり、特に不審がられることもなくゆっくりと後を追うことが出来た。 「下のラーメンの大将もよくしてくれちょりましたから、何だが寂しいもんですわ。」 誰に言うでもなく静かに呟く小さな背中に、見えない事は承知で小さく頷く。 事務所とは言いつつも、年々規模を縮小させ、今ではご夫婦と事務員2人だけを雇うだけに止まっており、扉を開ければまるで家族団欒の場のような暖かい空気感に包まれた。 俺と同じくらいの歳の女性が一人と、4、50代と思しき女性が一人。 給湯室を横切る際にちらりと見えた白髪の女性が会長の奥さん…基社長だろうか。 会議室と呼ばれる部屋などなく、衝立で四方を仕切られた空間に置かれた向かい合わせのソファ。 座り心地は十分で、少し低めだが足を休めるには文句無い。 ここで手土産をさっと取り出す法月は、4つの湯気を燻らせて緑茶を運ぶ社長に何一つ違和感なくそれを手渡した。 タイミングから既に知り尽くしている。この男…。 社長が左薬指をそっと隠したのはどう考えても意図的だろ。 「私どもからも、こちらを。」 そう言って顔を赤く染める社長が法月に差し出したのはこの地の名産物の菓子で そういえば新幹線を降りた駅構内で法月がぼそぼそと社員への土産がどうのと独り言を言っていたのを思い出した。 あれだけのもてなしまでして頂いて、更に菓子とはいくら何でも貰いすぎだと感じるが、 俺が入社するより前の、それも何十年単位で弊社と深く関わっていた彼らだからこその気持ちなのだとわかれば、途端に温かな思いで満たされる。 既に片付けや整理に差し掛かっている状態であり、実際にここを畳むのは来週にまで迫っているらしい。 バタバタと走り回っていてもおかしく無いであろうタイミングで、こうして呼んでくださったのは有難い限りだ。 金銭の貸借であったり契約であったりと言うのは清算されており、あとは月末が期限の請求書の処理だけ。 いよいよという時に2人の事務員には選択をさせたそうだ。だがどちらも、部屋をまっさらにする片付けまでやり遂げてくれると誓った。 なんて、そういった暗い話から世間話までもを一通りこなし、優しさの滲み出る夫婦の会社を出た。 まだ昼飯の時間には早い。 ただもしまたこの地へ降り立つ機会があるならその時は、必ず訪ねなければいけない場所が出来た。 「竹内さん…ここのラーメン絶対美味しいですよ。」 「だよな、俺も思う。匂いが既にとんでもなく美味そうだ。」 出張という名の小旅行は、もう残りわずか。

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