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第15話 偽善
「雪 って、なにしても声あげないんだぜ? 面白いだろう?」
蛭田 は床に座り込んでいる野原を上から眺めている。その隣には、横沢がしゃがみ込んで野原の胸ぐらを掴んだ。
「教科書、こんなにしても黙ってるし……。なあ、雪ちゃん、制服脱がせても黙っていられる訳?」
しかし野原は、無表情のまま横沢を見据えていた。
――本当、バカ。黙っているヤツがあるかよ。
槇は心の中で悪態を吐いた。相手が蛭田や横沢でなければ、すぐさま間に入っているところだが、友達なのだ。この二人は、友達――。
歯痒さを覚えながら、槇は横沢を見つめる。
横沢は野原の肩を乱暴に押した。その反動で床に転がった野原の上にのし掛かった横沢の手が、野原ワイシャツを手繰り寄せる。すると、野原の白い横腹が露わになった。
その間も野原は、じっと黙ってされるがままになっていた。
「へ~。やっぱり、どこもかしこも白いんだ。腰、細いな。ちゃんと食べてんの?」
横沢のまとわりつくような視線から逃れる素振りもなく、野原はただじっと彼を見つめ返していた。
二人の間の空気が、槇にはたまらなく嫌だった。両手を握りしめて、今にも飛び出しそうな自分を、なんとか保とうとするが、それも時間の問題だと、自覚していた。
「ねえ。この目の色、なに? コンタクトでも入れてんの?」
「違う……」
そこで初めて野原は声を上げた。
――違う。それは昔から。光にちゃんと当たらないからだって、雪の母さんが言っていた。
横沢は野原の首の後ろに手を回すと、強引に引き寄せた。
「よく見せろよ」
「横沢、その辺にしておけよ」
――触れるなよ。おれの雪に。
もう限界だった。横沢は友達とか、そんなことはどうでもいいのだ。ただ目の前で、自分のものである野原が、他人に触れられているのは我慢がならない。
横沢は目を細めて槇を見据えていた。その瞳は、槇の全てを見透かしているようでぞっとした。
「実篤 は雪と幼馴染だって言ったっけ? やっぱり庇うんだな。実篤。お前、雪のこと好きなの?」
「す、好きって、なんだよ」
「だってさ。おれたちが雪をからかうと、お前、すぐ間に入るじゃん。それって庇ってるつもり? 嫌なんだろう? おれたちが、こいつに触れるの」
横沢はいつも寡黙な代わりに色々なことを観察していたというのか。表立って野原を庇護するような態度を取ったつもりはなかったが、全て彼には知られていたということなのだ。
「え? 横沢、どういうこと?」
蛭田は狐に摘まれたように声を上げた。彼は狡猾であるが、そう頭はよくない。
「実篤はこいつが好きなんだよ。だったら、そばに置いておけっつんだよ。お前さ、本当に胸クソ悪いぞ」
「はあ?」
「いい子ぶって。みんなが気味悪がっている雪のこと、本当は心配なくせに、表立って守ることもできない偽善者が」
「おれは、そんなんじゃ……」
「じゃあ、どういうことだ? おれはそういう奴が一番卑怯で嫌いだ。お前はそう悪い奴じゃないと思っていたけどな。お前の腰抜けにはうんざりだぜ」
彼はそう言い放つと、野原の耳元に唇を寄せた。
「実篤はな。お前の味方しているふりして、おれたちと一緒にいじめる側にも足突っ込んでんだ。お前はそんな中途半端なこいつのこと、信用するのか?」
「横沢!」
事実だ。それは槇も認識している事実だ。だけど野原には言ってほしくなかった。
――知っている。都合がいいって。
自分の欲のために、横沢や蛭田を切ろうとしている心の内も。みんなが気味が悪いという野原と距離をとっているのも、人気者の座を守りたいが故。
こそこそと野原を救ったって、それも自己満足だったということだ。
横沢は槇の心中を全て理解しているのだ。図星すぎて言葉に詰まった。
ふと野原の視線が槇に移った。その顔は無表情で、なにを考えているかわからない。
だけど今の槇には、横沢の手の中にいる彼を本気で取り返したいという思いしか浮かばない。苛立って苛立って、どうしようもない衝動に駆られた。
「雪。おれは実篤とは違う。正直な男だ。あんな嘘つきで自分可愛いやつなんて放っておけ」
横沢の顔が雪の顔に近づく。
これからなにが起きるのか予感した途端、槇は飛び出していた。
「実篤!」
蛭田の声が空っぽな教室に響き渡った。
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