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第19話 ぶれて見える輪郭
二人が同級生であるということは、別に隠すこともないことだが、こういう世界だ。どこからかそう言った話題は、噂となって広まる。
野原の昇進は比較的早いペースだった。それを妬んで「私設秘書のコネだろう」と囁かれているのも当事者である二人は知っている。
それにしても、全くもってほったらかしでも野原は順調に昇進していくのだから、不思議だと槇は思っていた。
正直、彼のどこが買われて上に取り立てられるのかわからない。無愛想だし、人の気持ちも理解していない。人にゴマをするようなタイプでもない。
社会人になって野原のことがなんだかよくわからなくなっていた。
彼の輪郭がぶれて見えるのだ。
本質はわかる。変わっていないからだ。
しかし社会人として、梅沢市役所職員としての彼の顔を自分は捉えることができていなかった。
そんなことを考えて上着をハンガーにかけてからリビングに戻ると、野原は帰ってきた格好のままソファに座って仕事の資料を眺めていた。「残業なし」としたから、仕事の持ち帰りが出たのだろう。
悪いことをしたのかもしれないと思いつつ、槇は自分が持ってきた資料を彼に手渡した。
「なに?」
「その職員の動向をよく見ていて欲しいんだ」
野原は書類をペラペラとめくっていた。
内容はとある市役所職員の経歴。漆黒の髪は短めに整えられているものの、所々跳ね上がっている。白い肌に聡明な黒い瞳は濡れている様。薄い唇は不機嫌そうに見えた。
そして目を引くのは彼の左目尻にあるほくろ。それが彼に艶やかな印象を与えているのは歴然だった。
この職員を野原は知っているはずだ。
「保住……? うちの振興係長の?」
保住尚貴 。
教育委員会文化課振興係長の彼は、野原の部下にあたる男だ。
「そうだ」
帰宅してからすぐの話だったから野原は、ぼんやりとした瞳の色を浮かべ、ネクタイを緩めながら書類を眺めていた。
そして槇は、隣りに腰を下ろして真面目な顔で野原を見つめた。
真剣な眼差しで野原を見守っていると、彼も「冗談ではない」と理解してくれたのだろう。経歴書をテーブルに置いてから槇に視線を戻した。
「確かに見てくれはだらしがないけど、部下たちを上手く纏めているし、仕事には真摯に取り組んでいる」
「そうか。振興係はまともに仕事しているのか?」
槇の問いに、野原は少し間を置いて口を開く。
「保住は野良猫。後はどら焼き、骸骨、ラブラドール犬、マネキン人形みたいなメンバー」
「な、なんだよ、それ」
多分、振興係のメンバーを表現しているのだろうと理解して笑ってしまう。どれも酷い表現だ。
――どら焼きってなんだ? 茶色で丸いってこと?
「そんな輩で仕事がまともにできるのかよ」
「文化課の中では一番まとも。問題も少ない。手のかからない部署」
「そうかな……?」
槇の返答に野原は怪訝そうな瞳の色を見せて尋ねた。
「なにを始めるつもり」
野原の問いを待っていたかのごとく、槇は口元を上げてから答えた。
「澤井副市長を下ろす」
「副市長? 下ろし?」
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