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第53話 叔父
翌日。槇は職員のデータベースを検索していた。昨日の「篠崎」という女性が気になったからだ。
彼女は、教育委員会文化課総務係長だった。年齢は41歳。女性で係長を担うとは、なかなかだ。
野原を見る彼女の目は、恋しているみたいだった。
自分よりも、彼女のほうが野原を幸せにしてくれるのではないか?
そんな気弱な考えがないわけではない。しかし、35年間、彼の側にいたという自信が槇をなんとか保ってくれる。データベースを閉じて、ため息を吐いた。
「実篤、今日は帰ってもいいんだよ?」
はっとして顔を上げると、叔父である安田が自分を見ていた。
「市長……いや、叔父さん」
結局、昨日は野原に会うことは叶わなかった。仕事の帰り道、自分の心の整理もついていないままに野原の実家のチャイムを押したが、誰も出てこなかった。
野原家は、母親も妹も医者で忙しいとは聞いているが……。野原も残業だったのだろう。
誰もいない暗い家を見上げてから、ため息を吐いて帰宅したのだった。
「体調が悪いんじゃない? ここのところ、ずっと塞ぎ込んでいるようだ」
やはり、安田には見抜かれている。槇は首を横に振った。
「大丈夫です」
「そうは見えないけど。午後からは庁内執務しかないから、金成 くんにでも頼める。ゆっくり休んだ方がいいと思うよ。ここのところ、なにかと忙しいじゃないか」
安田は、槇の動きを知っているのか? 最後の言葉が意味深だ。
「すみません。余計なことばかり、ですね」
「そんなことはない。私のことを思ってくれているんだろう?」
彼は細い瞳を更に細めた。
「世の中には、攻めに出る時と、待つ時があるものだ。急く気持ちがあるのも確かだけど、静観するのもまた一つ。大丈夫。全てを預けているわけではないよ」
彼は、「澤井に傅 いているわけではない」と言いたいのか?
「叔父さん」
「それよりも、雪 と喧嘩しているんじゃないかい? 早く仲直りしなさい。いいね?」
片目を瞑って笑う安田は、市長の顔ではない。槇の叔父の顔だ。二人は小さい頃から一緒であるため、安田も野原のことはよく知ってくれていた。
澤井の言いなりに成り下がったのではない。彼は彼なりに考えているのだ。
しかも全盛期より衰えたとはいえ、やはり槇の今の力よりは絶大なるものを握っている人だ。
「ありがとうございます」
槇は頭を下げて市長室を退室した。
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