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第63話 おれが好きだからだろ

「っつかさ。お前、なんであの女の手握っている訳? 今まで女に興味持ったことなんてなかったじゃん」  半分、夢現であることは自覚していても、聞かずにはいられない。もし、本気で女性に興味を持っているとしたら、槇にとったら由々しき事態であるからだ。  しかし野原の回答は、予想外というか、彼らしいというか。 「篠崎さんの手、柔らかそうだったから握ってみた。やっぱり柔らかかった」  ――……以上?  槇は吹き出す。 「それだけ?」 「それ以外になにがあるの?」 「いや。あのさ……。じゃあ、弁当は?」 「篠崎さん、お母さんみたい。おれが昼食食べないから心配してくれた。卵焼き、美味しかった」  ――それだけかよ。 「あのさ。お前に好意を寄せた女は不幸だな」 「好意? 篠崎さんが?」 「そうだろう。普通、どうでもいい男に弁当なんか作るかよ」 「そう。篠崎さん。おれのこと大事だと思ってくれるんだ」  槇は逆に彼女が気の毒になった。きっと、いくら尽くしても、彼には彼女の気持ちは伝わらないだろう。  野原雪は感情の理解が難しい。感じていないわけではない。ただ意味がわからない。  そしてそれは、言葉で表現しても、多分あまり理解ができないのだ。  だけど自分の気持ち、少しは理解してくれているのだろう。だから、こうして一緒にいてくれるし、彼もまた自分に心動かしてくれているのだ。  話をしている間に、野原は覚醒してきた思考を働かせ始めたようだ。瞬いていた瞳が槇を捉える。 「お前ね。彼女、お前の世話をせっせと焼いてくれただろう? 感謝とかないの?」 「世話?」 「だって、ハンカチで顔拭いてもらってたじゃん」  槇の言葉に、野原は「あれは」と珍しく言葉を濁した。 「なんだよ?」 「あれは……涙があふれて。篠崎さん、拭いてくれて……」  野原の答えに槇は少々拗ねた。 「そんなに弁当が嬉しかった訳?」  しかし野原は真面目な顔で槇を見ていた。 「違う。確かに篠崎さんのお弁当は美味しかった。でもあの時、なぜか実篤の真っ黒こげな卵焼きを思い出した。そしたら、なんだか涙が出てきて……なんでだろう?」  それは、――きっと。 「おれのこと、好きだからだろう?」  平然と言い放つと、野原は「なるほど」と納得した瞳の色をした。  ――ああ、はるか昔。  こうして夜に二人でベッドに潜って話をしたっけ。あの時は、野原の母親が突然仕事で帰ってこられなくて、本当は槇家に泊まる予定だった。しかし彼は、「本を読みたいから行かない」と駄々を捏ねたのだ。  結局、槇は野原の部屋で一夜を明かした。

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