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第65話 人生をかけて守りたいもの
数日後。槇は副市長室のソファに座っていた。
「なんだ、槇さん。あんた、髪型変わるといい男だな」
槇の目の前には、澤井が背もたれに体を預けて座っていた。両膝に握られた拳に力が入るのがわかる。
「そうですか」
「ああ、どういう風の吹き回しか? いや、いいと思いますよ」
短く切られて黒く染められてその髪は、なんだか中学生以来で気恥ずかしいものだった。
「それよりも、先日のお話ですがね」
「おお、そうだ。お返事か?」
「はい。あの、ぜひご協力させていただきます」
澤井は槇をじっと眺めていた。
「決められたか」
「ええ。おれも腹を括りました。おれにだって成し遂げたいことはあるんだ」
「だろうな。見ていればわかる」
彼は口元を歪めてから身を乗り出した。
「ただね。槇さん。この道を選ぶってことは、これからの道は平坦ではないのです」
「澤井さんほど、なにもかも捨てて成し遂げたいものがあるかと言われると、そうではないかもしれない。だけどおれにだって、この人生をかけても守りたいものがあるのです」
「それは結構」
槇の返答に彼は愉快そうに笑っている。
「あなたの願い、おれの成し遂げたいことと一緒に全てひっくるめて面倒みてやろう。おれは約束は守る男だ。しかしよく決心なされた。なにがそうさせたのか?……恋ですかな」
「恋だなんて。そんな子どもみたいな」
澤井の言葉に心が乱されるのがわかる。
しかし彼は相手にする気もないのか、自分だけの言葉なのか。
「恋をすれば愚かになる。しかしその逆もある。賢くなられるのがよかろう」
「澤井さん?」
少々ぼんやりとしていた瞳に光が戻る。彼は苦笑した。
「おれはどっちかと言えば愚かになる。ただ、いつもバカなあなたは賢くなられるようだ」
だから、すぐ「バカ」と言うな! と槇は内心ムッとしたが、もう慣れたことだ。
甘んじて受け入れよう。
それが自分の持ち味らしい。
「では、これから外勤なので」
「これからもよろしくお願いしますよ。――おお、そうだ。例の人事の件はおれが潰しておいたから問題ないです」
――例の人事の件? 星音堂 への異動の話か。
「一体……」
「野原雪。先日、廊下で呼び止めて、値踏みさせてもらいましたよ」
澤井の口から野原の話が出るのは好ましく思えない。この邪悪な男が、野原に視線を向けたというだけで嫉妬してしまう。
「一体、あなたは」
「いえね。悪い意味はない。これからパートナーとしてやっていくのだ。あなたのことは色々と知りたいものでしょう?」
澤井はにやりと口元を歪めた。
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