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第69話 野原雪

「いいでしょう。明日、お弁当作ってきますよ。課長、どちらが美味しいか決めていただきましょうか」 「どちらが格上か勝負よっ! 美味しい肉じゃがを作った人が、野原課長独り占めですからね!」  篠崎の宣戦布告の内容に、そこで初めておかしな話に乗せられたと気が付いた様子の保住は、いきなり及び腰になる。 「いや、おれは別にそういうつもりじゃ」 「まあ! 逃げる気? この腰抜けめ」 「篠崎さんっ、ちょっと言い過ぎだよ」  現場の混乱に耐えかねて埋蔵文化財係長が間に入るが、全く治る気配がない。  槇は唖然としてみていたが、思わず吹き出した。 「実篤」  野原は『いい迷惑』とばかりに槇を見た。 「(せつ)、お前。楽しそうだな」 「楽しい……? これが?」 「ああ。なんだか、今、中学生やっているみたいじゃん」 「そう? おれの青春は今?」  真面目な野原の横顔を眺めて、槇は嬉しい。  ――簡単なことだったんだ。雪のこと、理解するのって。こうしていつだって一緒にいればいいじゃないか。 「雪。今日一緒に帰るぞ」 「何時?」 「そうだな。これから外勤だから、19時には帰れる」 「わかった。待ってる」  口元を緩めて、その瞳は嬉しそうに槇を見た。  それだけで槇の心は満たされた。 ***  彼との邂逅を終え、市長室に向かって歩いていくと、人事課長の久留飛(くるび)と鉢合わせになった。  彼はいつもの如くの笑い顔だが、眉間にしわを寄せていた。 「槇さん、聞きましたよ。澤井さんと手を組むことにしたようですね――」  ついさきほど澤井と話たばかりだというのに、筒抜けか。どこから漏れるのだろうか?   澤井本人が久留飛に言ったのだろうか?   それとも、澤井の部屋には盗聴器でも仕掛けられているというのだろうか?  市役所内部のことは、槇にはまだまだ理解できないことも多い。理解するためには、職員とのパイプが必要だと思った。  多分、それは保住のような男とだ。  彼と懇意にするのは悪くないアイデアだ。澤井が自分と同年代の同志を集めているのと同じく、自分も同じような世代にパイプを作っておく必要がある。それは、将来への保険にもなるはずだ。  澤井は自分の姿を見て学べと言っているようだ。  ――そうだ。あの人の技を盗む必要がある。多分、それは保住も感じているはずだ。

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