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第6話 酔狂
頼んだ日本酒は口当たりが良く、甘くて飲みやすかった。おかげで飲み過ぎて酔ってしまい、帰り道は顕さんの腕に捕まって歩く羽目になった。
「薬を飲んで寝込んでたやつが調子に乗って日本酒なんて飲むからだ」
「…謝らないよ僕」
「謝らなくていい。それで?気は済んだのか?」
僕が黙っていたら「あの店、びっくりするくらい高かったぞ」と顕さんは戯けて見せた。それを聞いて僕が喜ぶのを分かっているのだ。散財させてやったのが嬉しくて僕は顔が綻ぶのを抑えきれなかった。
「ニヤニヤしやがって」
「してない」
「機嫌は直ったのか?」
「直ってない」
部屋に着いてベッドに放り出される。雑な扱いだったが、今は優しくされるよりこれくらいでよかった。仰向けになり、ベッド傍に立ったままの顕さんを見上げる。僕を見下ろす目は穏やかだった。顕さんは僕のやったことに怒ってるふりをしてくれて、僕たちはそれをお互い愉しんでいる。
こうしていると本当は優しいのに、今回の旅行中の顕さんの行動はどれ一つとっても不可解だった。
…結局僕が馬鹿だから振り回されて当然と思われてるんだろうか。ふと胸の奥の鬱憤が頭をもたげた。
「さっきの若作りのおばさんとは楽しめた?」
酔いに任せて、言うつもりのなかった言葉が口から飛び出して自分でも少々驚いた。和やかに食事してせっかく緩んでいた空気がピリッと張り詰めた。
「なんだって?」
顕さんは聞こえなかったふりをしてくれるつもりらしいが、僕はもうこの際だから冷静な振りはやめて嫉妬心も露わに問い詰めることにした。
「それはこっちが聞きたいよ。今朝のあれは何?おばさんとさっさと消えちゃってさ、置いていかれた僕の気持ちがわかる?」
「それは朱美ちゃんがお前を気に入ったって言うから…一緒に散歩でもどうかって思っただけだ」
悪びれもせず言う男に僕は絶句した。恋人との旅行中なのに、そんなことを望むわけがない。
「こんな所来なければよかった!」
叫んで手近にあった枕を掴んで投げつける。何でもないようにそれを易々と受け止めて顕さんはため息をついた。
「よせよ、頭に血が昇ってまた頭痛がするぞ」
「うるさい。さっさとあのおばさんのところへ行けよ。朱美が邪魔ならこっちに寄越せばいい」
自分でも支離滅裂なことを言ってると思う。でも僕の気はおさまらなかった。さっき見たグリーンフラッシュが頭を過る。自分の目も今あの緑色の光のようにギラついているに違いない。嫉妬に狂う緑色の目をした醜い怪物だ。
顕さんが朝のデッキで別れた後部屋に帰ってくるまでの間、朱美の母親と何をしていたかなんて考えたくもない。なのに嫌な想像ばかり浮かんで頭を離れない。
「泣いてるのか?」
「泣いてない」
「こっちを見ろよ」
「嫌だ!」
狭いキャビンには隠れる場所もない。顔を見せたくなくて背を向けて丸くなろうとしたところを後ろから強く引っ張られる。腕を振り上げてやめろと言おうとした僕の顎は容赦なく掴まれていきなりキスされた。
「う…ん、嫌だっ」
身を捩って顔を背ける。
「お前こそ朱美にキスしただろう」
腹の底に響くような低い声で囁かれた。
「…!」
見てたの?と呆けた声が溢れる。嫉妬心からの当て付けで馬鹿なことをしたのがばれて罰が悪くなり頬が火照る。
「いや、朱美から聞いたんだ。でも…本当だったのか」
どうやら朱美の嘘だと思っていたらしく、狼狽えた顕さんの様子に僕は少し気を良くして調子に乗った。
「なんだ見てなかったの、見えやすいように展望デッキまで出たのに残念だな。朱美のやつキスは初めてだって言ってたよ。あのおばさんに怒られる?ねえ僕責任を取らないといけないかな」
振り返って顕さんの方を見た。
彼は予想外にも傷ついたような顔をしていた。
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