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第8話 凪

 船尾のデッキチェアから白波を眺めながら僕は手にしたグラスを傾けた。船旅も終わりに近づいており、この後はもう港に着くのを待つばかりだ。最終日ということもあり、名残惜しさからかデッキを訪れる客はいつもより多く辺りは賑わっていた。  あの夜、僕が酔っ払って顕さんを叱責したおかげで明らかになった「嫁探し計画」は勿論白紙に戻させてもらった。同時に、今まで僕を悩ませていた顕さんの「浮気癖」は実は愛情の裏返しだったことが証明された。  それにしても…僕に論文の英訳を押し付けておいて自分は浮気に勤しんでいるんだと思っていたのに、本当は僕のお嫁さん探しをしていたとは。 「顕さんってちょっと愛情のベクトルが変な方に向かい過ぎだよね」 僕の呟きを聞いて隣で呑んでいた顕さんがゲホゲホとむせた。 「それはだな…その、俺もこの歳でこんなに恋愛にのめり込むなんて思ってなくてちょっと血迷ったんだよ。お前はひと回りも年下だし…」 「顕さんそんなに僕のことが好きだったんだ」 僕は彼の目を見てにっこり微笑む。 「泣きそうな顔で僕に別れないでくれって言う顕さん可愛かったな」と頬に手を当ててあの夜のことを思い出しながら言うと顕さんはもうお願いだから勘弁してくれ、と片手で目元を覆った。  ちなみに今までどうして僕が浮気に気づいてきたのかというと、相手の女をどう思うか気になった顕さんが度々女の存在を仄めかすからだった。髪の長い女がどうとか、こんな服装の女はどうだとか…甘ったるい香水の匂いをさせながら。  今思えば僕がその女のことを気にいるかどうか探りを入れていたってことだ。 「長い髪がいいのかと思って髪の毛伸ばしかけてたのに…」  襟足の髪の毛を摘んで、帰ったらすぐ切ろうとボソッと呟くと顕さんは「え?」と聞き返してきた。僕はなんでもない、と答えた。  あ、あれから朱美とどうなったかって?あの後たまたまプールサイドのバーで顕さんと二人で居るときに会ったんだ。会ったというか、朱美がこちらに声をかけようと近寄ってきたので、僕は気付かないふりをして顕さんの首に腕を回して目を閉じた。角度を変えて何度か唇が触れ合い、目を開けて腕を解き朱美の方を見るともう彼女の姿は無かった。   その後は出くわしても話しかけてくることはなくなった。(母親の方は顕さんに話しかけたそうにしていたが)  最後のパーティの時、朱美は周りに見せつけるように金髪の若い男とキスしていたからめでたしめでたしかな?(やっぱりあのキスが初めてだったなんて嘘だね) 「もう明日の朝には下船するのか…」 僕がしんみりと呟くと顕さんが「こうしてみるとあっという間だった気がするな」と返した。 「誰かさんのおかげで旅程の半分はゴタゴタしてたしね」とつついてみると 「さーて、そろそろ荷物をまとめて部屋の外に出しておかないとな!ほら、行こう」  顕さんはそう言って口元を拭いながら慌てて立ち上がった。  なんだかんだで船旅も悪くはなかった。はじめは船になんて乗らなきゃよかったと文句たらたらだったのに、自分でも掌の返しように笑えてしまう。   この長いようで短かった旅のことを思い返しながら僕はピニャコラーダを飲み干す。カリブ海でのバカンスにふさわしい乳白色のカクテルだ。今の僕にはもう、苦いだけの酒も鎮痛剤も不要だった。   パイナップルの酸味とココナッツのまろやかな甘さが口いっぱいに広がった。 完 ーーーーーーーーーーーーーー 最後まで読んで下さった方がもしいればありがとうございます。 完全なる自己満でお目汚ししました。 グリーンフラッシュは見ると幸せになれると言われているのでこの話のようにグリーンアイドモンスターにかけるのは真逆なんですが、最後は光を見た主人公が幸せになったので結果オーライということに…。 最後のピニャコラーダはラム酒ベースのカクテルで、冒頭で飲んでた苦いラムが最後は甘々になりましたよってお話でした。

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