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君は僕の手にあまる① ※先生視点
先生は座っててくださいと言われ大人しく待っていたら、三十分もかからずに出雲は散らかり放題だった部屋を片付けてしまった。本も衣服もモバイル関連もすべて収納されてしまい、仕上げに掃除ブラシでテレビ台などのほこりまで綺麗に取り去っていく。
「あ、ちゃんとロボット掃除機あるじゃないですか! 床を散らかしちゃダメですよ。明日稼働させましょう」
そう言いながら部屋を見回し、今日はこれで終わりです、と満足気に笑顔を見せて胸を張る。
「やっぱり……人妻感……」
ソファに座らされたまま呟くと、柔らかいタレ目でちょっと睨んでくるがどうも迫力にかける。しかもちょいちょいと手招きをすればすぐにこっちまでやってくるのだ。目尻を上げていても振ったしっぽが隠しきれていない。
隣に座った出雲の腕を引いて抱き寄せ、よしよしと頭を撫でてやればすぐに胸板に頬ずりしてしがみついてくる。かわいい。
「いいこいいこ……ありがとう」
「その、今晩はお世話になりますし、これくらい……そういえば先生、お腹空きませんか? もう二十二時になっちゃいましたけど」
「うーん? 少し……」
言われてみれば夕ご飯を食べるのを忘れていた。普段生活をしていく中で食事に重きを置いていないため、あまり考えていなかった。
「冷蔵庫に何かあります? お台所借りてよければ作りますけど……」
「ない」
「え、何もですか?」
「お酒なら……」
「あんな立派な冷蔵庫にお酒しか入ってないんですか!?」
抱いた肩をせっかくすりすりと撫でていたのに出雲は起き上がってしまい、カウンター越しに見える大型の冷蔵庫を指差した。四人家族くらいなら対応できそうなその冷蔵庫はなんとなく店員に勧められて購入したものだった。色々と機能があるらしいが活用されることはなく、基本的にお酒しか入らない可哀想な子である。
「なんてもったいない……うちに欲しいくらいです」
なぜだか肩を落としてしょげる出雲が可哀想に思えて、また体を引き寄せ胸に納めて顎のラインを撫でながら提案した。
「買う?」
「え、何言ってるんですか買いませんよ。そんなお金ないです」
「いや……僕が。君に」
「もっと何言ってるんですか、いりませんよ!」
「怒った……」
喜ぶと思ったのに。残念に思いながらその、僕に比べて小さな体に寄りかかる。頬に触れる髪の毛が細く柔らかくて気持ちがいい。ふわふわしてる。
「先生、ちょっと距離感おかしくないですか」
「そう……?」
「そうですよ、いつもすぐに無理って引き剥がすのに……あれ」
つんとした可愛い鼻先が頬に触れ、ひくりと動いて臭いを嗅いでくる。小動物みたいで可愛い。そうして臭いに気付くとはっとしてローテーブルに置かれたグラスを手に取った。
「やたらと水飲んでると思ったらこれ日本酒じゃないですか! え、俺が掃除してる間ずっとがぶがぶ飲んでませんでした?! 何杯か飲んでますよね?」
「僕……お酒、強いんだよね。なかなか、酔わない……」
「酔ってないんですか?」
「うん……出雲が……いつもの五割増くらい、可愛いけど……十割増……?」
「それ多分酔ってます」
出雲が持ってるグラスを受け取ってまた口につけると、出雲は大袈裟にため息をついて僕の頬に手の甲を当てた。どう考えても日本酒を飲むペースではないのはわかっているので、素直に当てられた手のひんやりした感触に目を閉じる。
「七賢……おいしい……出雲……可愛い……」
「もう何言ってるんですか。空きっ腹で飲むからですよ。冷蔵庫じゃなくても、何か食べるものないんですか」
「カップ麺と……おからクッキーくらい、かなぁ……」
「おからクッキー?」
出雲が首を傾げるので、カウンターに並ぶ七百五十ミリリットルサイズの瓶に詰められたクッキーを指差す。
「ごはん……めんどくさいから。お腹ふくれて、便利」
自炊など当然しないし、食べないで済むなら何も食べたくない。けれどもどうしたって空腹は感じてしまうので、極限まで面倒な時は水分とそのクッキーだけ摂取している。そしてあのクッキーの出番はなかなか多い。
「保健教諭が聞いて呆れます」
「仕事と、自分の生活は……別」
「ちょっとお台所を物色してしまっても構いませんか」
「うん」
頷いたくせに出雲が自分の身体から離れていってしまうのが嫌で、ソファから去ろうとするその手を握ったまま離さないでいた。出雲は振り返って僕の頭をぎゅっと抱いて、すぐに戻りますね、と笑って離れていく。
泣き虫でも甘えん坊でもない、普段通りの出雲を見たのも久しぶりだと思いながら、ソファの上で膝を抱えて体育座りをした。
しっかり者で世話焼きな彼を見ていると無理をしていないかと心配になる。雰囲気が柔らかいから大丈夫だというのはわかっているけれど。
そうして少しうとうとしていると、出雲は本当にすぐに戻ってきた。お待たせしましたという言葉と共にいい匂いをさせて。
「冷凍パスタがありましたよ。あと卵も。賞味期限も確認済みです。後片付けも俺がしますから、ちゃんと食べましょう」
空のグラスの隣にお皿が二つ並べられる。食器にきちんと盛られた和風パスタには温泉卵とかつお節がのせられており、自分がいつも食している冷凍パスタとは程遠い見た目をしていた。そもそも冷凍食品などを皿に盛るという発想が自分にはない。
「あ、ダイニングテーブルに移ります?」
「ううん……いい」
そのまま食べ始めようとしたら出雲は手を合わせて、いただきますと言う。背筋の伸びたその姿になんだか感動してしまい目を離せないでいたら、ほら先生も、と声をかけられる。手を合わせると猫背が少しだけしゃんとするような気がした。
「いただきます」
「ふふ、先生の家のものを使わせてもらっただけですが……召し上がれ」
フォークを手に取り食べ始めれば、出雲の右肘と僕の左肘がぶつかった。それにすぐに気がついた出雲は少しだけ移動して距離をとる。
こんな風に食事をとるのは久しぶりだ。いただきますなどと声に出すのも成人してからあっただろうか。それよりもずっと前のことかもしれない。出来合いのものであっても、出雲が気を利かせてくれたおかげでとても美味しく思えた。何よりも人と食べることがいいのかもしれない。
「ありがとう……おいしい」
「良かったです。ご飯は面倒くさがっちゃだめですよ。先生は身体も大きいですし。それにしてもお正月目前だというのに冷蔵庫の中が寂しすぎます。ご実家にでも帰られるのですか?」
実家と聞いても思い浮かぶものもなく、咀嚼しながら首を横に振る。
「ずっとこのご自宅に」
「うん」
「おひとりで?」
「うん」
別に毎年のことで何も気にしていないというのに、出雲は酷く悲しそうな顔をした。僕はなんともないというのに、その顔をさせてしまうのが悲しい。一度席を離れ、冷蔵庫からモンテスという天使のラベルを纏った赤ワインを取り出して戻る。
「もう、またお酒ですか」
唇を尖らせる可愛い子は無視してグラスにワインを注ぎ、雑に煽って流し込む。
「いつもそんなに飲んでるんですか?」
「まぁ……でも、今日は……早く寝ようかなって……」
「俺がいるのに」
「君が、いるから」
隣を見れば、綺麗に食事を摂る姿。一口は小さく、それをよく噛んで飲み込む。その口の動きから喉の動きまで、あまりに行儀の良いその様がたまらないのだ。柔らかい栗毛が少しかかった耳をいたずらに撫でる。
「ん、ちょっとくすぐったいです……食べてる時にダメですよ」
「かわいい」
ぴんと伸びた背筋が少しよれるだけでグッとくる……耳をなぞって、首筋まで指を滑らせて。ほら、自分が信用できない。どれだけ我慢していると思っているのだ。この子は我慢しないでほしいのかもしれないけれど。
皿を空にして、出雲ならきっとそうするだろうと思いごちそうさまと手を合わせた。そうしてグラスのワインを飲み干せば、出雲も食事を終えてやはり手を合わせてごちそうさまをしていた。やや俯いた時のうなじが綺麗だ。
出雲は手早くテーブルの上を片付けてしまい、湯船を張るかどうか聞かれたのでシャワーでいいと告げた。タオルの場所などを教えて先に入らせる。自分が入った後では髪を濡らした出雲を見てベットに引き入れてしまいそうだからだ。しかしそんなものは僅かな抵抗であり大した効力はなかった。
着替えを持っていなかったために貸した僕のTシャツを着た出雲は思っていた以上にこう……くるものがあった。ボトムはどう考えてもサイズが合わないため黒いTシャツ一枚だけ貸したのだが、やはりそれは太ももを半分ほど隠すワンピース丈になっており、半袖はまるで五分丈のようになっていた。
そんな姿で濡れた髪を肩にかけたタオルで拭い、石鹸の香りをさせながらやってくるのだ。
「先生のTシャツやっぱり大きいですね。というか、サイズ見てビックリしました。5Lなんて初めて見ましたよ」
「うん……」
ソファはよろしくないなと思ってダイニングテーブルに移って開けたワインを飲んでいたが、別にどこにいようと出雲が可愛いことに変わりはない。話なんてろくに聞かず、ちらちら見える太ももが気になって仕方ない。
「先生?」
テーブルに手をついて、隣に立たれるが意識的に目を向けないようにする。
「あの……実は下着汚しちゃってたから下履いてないんです。見ます?」
「見ない」
即答。即答するに決まってる。
「いつも俺のは見てるでしょう?」
下を向いて上目遣いにこちらを見て、両手でTシャツの裾を掴んでもじもじとしている姿を見ていたら自分が元気になっていくのがわかって、もっと使い物にならないくらいアルコールを入れないとダメだとひしひし感じた。とりあえずはこの場から逃げたい。
「ベッド……使って、いいから。もう寝てていいよ」
「先生がシャワーから出るまで待ちます」
「僕は、ソファで……寝るから」
「先生の身体の大きさでソファなんて無理ですよ! 一緒に寝たいです」
「シャワー、浴びてくる」
遮るようにして立ち上がり、浴室へと急ぐ。
無理、無理無理、今からホテル取って僕だけそっちに泊まりたいくらいには無理。なんだろうあの可愛い生き物は。一回り以上も年下なのに僕よりよっぽどしっかりしているし、挨拶や作法もきちんとしていて育ちが良いのがわかるのに、貞操観念だけゆるゆるだなんてどうかしてる。どうかしてしまいたい。
今日は部屋で煙草を吸うのはやめようと思ったが、脱衣所の換気扇の下でやむを得ず喫煙し、落ち着いてからシャワーを浴びた。もういっそ冷水でも浴びようかと思ったが、僕にそんな度胸があるはずがなかった。
長めのシャワーを浴びて戻ると、何故かダイニングテーブルに置かれていたワインのボトルとグラスはソファ前のローテーブルに移動されていた。ソファに座る出雲が、おかえりなさいと微笑んでいる。
「なんで、起きてるの……?」
「先生のこと待ってたんですよ。ワインもっと飲みます?」
返事をするまえにグラスに注ぐものだから、仕方ないと思いながらも隣に座る。ボトルの中身はあと半分もない。とりあえずこれを開けてしまおう。日本酒をまた入れてもいいかもしれない。そして寝てしまおう。
出雲がじっとこちらを見ているのが気配というか隣からの圧が凄いので伝わってくるが、僕はそれを無視して顔向けなかった。
「先生、お酒飲みすぎると立たないって本当ですか?」
「かなり、飲めば……」
「かなり飲んでます?」
「それなりに」
「じゃあ先生のおちんちん立たないか試していいですか?」
何を言ってるのかと我が耳を疑いながらも、思わず出雲を見てしまえば肩に凭れて触れるだけのキスをされた。
「お風呂上がりの先生……かっこいいです。いつも前髪あげた方がいいんじゃないですか? なんだか……すごいエッチです」
「無理」
「無理じゃないです」
「いや、無理……」
横から首に腕を回し、濡れた髪を横に流していたせいで露出した耳元や首筋に口付けられる。ちゅ、ちゅ、とわざとなのかなんだかわからないが小さい可愛い音を立てながら、何度も何度も。
「お膝乗っていいですか?」
「いいわけ……ないでしょ」
「立たないですよ……俺に手を出さないためにお酒飲んでるんですよね? 立たないです。ね?」
いつも……いつも、発情してるこの子の相手をしていたけれど、こんなにガンガンに攻めてこられるのは初めてのパターンだった。それもそのはずでさっき一度きちんと性欲は解消しているのだ。理性の欠片もないいつもの出雲ではないのだ。
今この子は理性的に僕に抱かれたくて仕掛けにきている。え、何それ怖い。
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