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まだまだ愛は足りません①

「えー加賀見先生ぇ? 私嫌いだったし知らなぁい」  末姉に先生について聞いたところ返ってきた答えはこれである。まぁ好き嫌いがわかれる人ではあるだろう……いや、嫌いな人の方が多いのだろうか。本当は良い先生なのに、見えるところでちゃんとしないのだから損な人だ。 「で、でも先生の保健だより面白いんですよ。縦読みとか斜め読みが仕込まれてて。組み合わせると文章が出てくるんです!」 「なにそれキモイ」  擁護しようとしたのにばっさりと切り捨てられ、むぐぐと口を歪める。 「う……そうなんですよね……内容もやたらと専門的だったりイラストのチェイスも絶妙で気持ち悪いんですよね……」  先生は保健だよりの作成が二番目に嫌いな仕事と言っており、真面目になどやってられないと趣味に走って遊びまくっている。ちなみに一番嫌いな仕事は蛍光灯の交換らしい。用務員さんに頼んでほしいといつも愚痴っている。  肩を落とす弟を見て、姉は苦笑いして肩をさすってきた。 「もしかして出雲は加賀見先生好きなのぉ? ごめんね」  ショリショリと後ろでうなじあたりをバリカンで刈り上げる音がする。末姉は美容師をしているので、頻繁に髪の毛のメンテナンスをされているのだ。おっとりした口調ではあるがその手の動きはチャキチャキと素早い。出雲は絶対にソフトツーブロックマッシュだと豪語する姉に今のところは全ておまかせしている。 「なんで嫌いだったんですか?」  聞くと、ううん、と首を捻る。そうして少しの間の後、口を開いた。 「なんかねぇ、前の先生がすごくいい先生だったの。子育て中の女性の先生でね。それが急に系列校に移動になっちゃって、加賀見先生になったのよね。だいたい定年までいるらしいから加賀見先生のせいかねって嫌われちゃってたのよねぇ」 「じゃあ先生が、というより経緯が嫌だったんですか?」 「それはあるかも。若い男の先生っていうのも、ちょっとね。しかも変な人じゃない?」  それは否定できない。俺も初めは何考えてるかわからないし煙草臭いし明らかにやる気はないし、あんまり関わり合いたくないと思っていた。それがまさかこんな、こんな仲になるなんて。改めて考えると有り得ない。でも有り得てしまったのだ。 「理事長も加賀見先生もすごぉーく背が高いでしょ?」  誰もいないというのに姉はコソコソと口に手を当てて話した。 「だからねぇ、理事長の親戚なんじゃないかって。噂になってたの」 「え、そうなんですか?」 「ううん、あくまで噂。どうなのかしらねぇ」  最後に少し梳いて、ハイできあがりとケープを外された。年が明けてすぐに散髪をするというのも気持ちがいい。  姉に礼を言い、軽く掃除機をかけてすぐにシャワーを浴びに行った。細かい毛がちくちくする。  今日は午後からまた先生のところへお邪魔する。念入りに身体を洗って何かあってもいいようにそちらの準備もしていると、すぐに会えるのに待ち遠しくてたまらなくなった。  今更ながら、先生について色々知りたいなと思う。どんな生き方をしてきたのだろうと思うこともあるし、単純に何が好きなのか嫌いなのか知りたいとも思う。とりあえず姉があんまり先生を良く言わなかったので、先生を抱きしめたくなった。俺は先生がちゃんとお仕事頑張っているのも、優しい人だと言うのも知ってますよって。たまに寂しそうなあの背中に寄り添いたいのだ。  そうして抱きしめたいと思っていたのに結局抱っこされてる自分がいる。なぜいつもこうなるのか。 「出雲……出雲……会いたかった……」  部屋に入るなり持ち上げられるこっちの気にもなってほしい……が、先生に優しくしたい気持ちなので文句は言わずに荷物を持っていない腕だけで抱き返せば、すりすりすりすりと存分に頬ずりされる。 「また、寂しかったんです?」 「うん」  素直に頷く先生にきゅうんとなる。先日のお泊まりの時から何だか先生が可愛くて庇護欲が刺激されるのは何故なのか……こんなに大きい年上の人に。生活能力なさそうなところもたまらなくて、たくさんお世話したくなってしまう。 「それ……おせち?」  手に持ったままの包みをじっと見て問うてくる先生に頷いた。 「そうですよ。約束したでしょう? 二人分なので見た目の迫力には欠けるかもしれませんが」 「見たい」  すっと下ろされたので、ダイニングテーブルで持っていた包みを開き、二段重の蓋を上げた。本当は一段だけ持ってくる予定だったのに先生に全種類食べてもらいたいと作りすぎてしまった……恥ずかしいので先生にこれは内緒である。 「すごいね」  言いながらりんごかんを摘んでひょいっと口に入れてしまう。 「もう、先に甘いの食べて……」  そうして今度は伊達巻に手を伸ばす。食べるものも、もぐもぐと口を動かす姿も子供みたいで笑ってしまう。 「おいしい」 「それは良かったです。ちゃんと座って食べましょう?」 「うん」  支度をしようとしているのに背後から抱きつかれて頭頂部に顔を埋めてまたすりすりされる。なんなんでしょう、この人は。だめですよと嗜めて、二人で一緒に支度をして食事をとった。これはなに、と聞いてくる先生に一つ一つ説明していてもちっとも嫌じゃない。むしろ真面目に聞く姿勢が嬉しかった。  食べ終えて食洗機に食器を並べてスイッチを押す。水が出てくる様についつい目が輝いてしまった。我が家にも食洗機さえあれば生活がぐっと楽になるのに。姉たちだってきっと食洗機にセットするくらいはしてくれるはず。 「食洗機……憧れます。これで綺麗になるんですもんね」 「買う?」 「いりませんって」  先日ドラム式洗濯機にも感動してたら買うか聞かれた。すぐに買うか聞かれるので余計な発言は避けたいのだが、先生の家には最新家電が揃っておりついつい羨ましいと漏らしてしまう。本人曰く家電などで解決できる家事にお金を惜しみたくないらしい。  まるで電車ごっこでもしているかのように後ろに引っ付かれながらソファまで移動する。歩きづらい。そしてソファに座ったら座ったで膝に乗せられて後ろからお腹を守るみたいに手を回される。  もうどうしちゃったんでしょうこの人。 「先生お酒飲んでませんよね」 「飲んで、ないよ?」 「距離感おかしいですよ」 「おかしく、ない。たりない」  後頭部からすーはー聞こえる。めっちゃ匂い嗅ぐじゃないですか。  うざったいような、恥ずかしいような、嬉しいような。でも冬休みが明けたらこうやって家にお邪魔することはないかもしれないし、学校ではこんなにくっついてはいられないし。そう考えたらこれだけくっついてても良いかなとも思えた。 「先生、あの。俺、先生のことちょっと詳しくなってきましたよ」 「うん?」  切りたての髪の毛を指で梳かしながら少し前に顔を出して、俺の顔を覗き込んでくる。ちゃんと聞こうとしてくれる姿勢が嬉しい。 「えっと……左利きで、甘党で、ゲームもお好きですよね。年齢は正確には分からないのですが三十代前半かと……あとお酒が強くて、あっ、そういえば片付けてる時に精神疾患の医学書がたくさんありました! 本棚から察するに教育学部卒ですね!」 「うん、合ってるけど……どうしたの?」  突然巻くしたてられ先生はいつもの半目をやや開いて驚いているようだった。あまりに勢いよく話しすぎたと何だか恥ずかしくなってきて下を向けば、先生が後ろから俺の顎を包んで撫でて上を向かせる。問いかけるように目を細めて首を傾げる姿が優しくて、あまりに素敵で心臓が高鳴る。あまり好みじゃないと思っていたのに最近の先生はカッコよくていけない。 「この間、言ってたじゃないですか。俺が先生に興味ないって。でもそんな事ないんですよ」 「ほんと?」 「はい。先生のことたくさん知りたいです」  一度先生の膝から離れ、今度は向かい合って膝に座った。しっかりとコシのある毛質をした黒く真っ直ぐした髪に触れながら、二重幅の広い切れ長の目を見据える。 「先日お邪魔した時に……先生のことたくさん知れて。彼のこと、あまり思い出さなくなりました。代わりに誰のこと考えてると思います?」  自分から口付けるのは照れくさくて、おでことおでこをコツンとくっつける。愛の告白をしてるみたいで恥ずかしさに心臓が止まりそうなほどだけれど、きちんと伝えたい。 「もうずっと、先生で頭いっぱいです。これは恋なのでは、と……思うのですが」  もう既に鼻先が触れてる。ちょっと動けば唇が触れる。先生が動いてくれないかなと思って待っていたけど、ゆっくり瞬きをするだけだ。 「ちゅう、しないの?」  先生が少し首を傾ける。 「恥ずかしいです……」 「だめ」  その顔を見て、もうきっといくら待ってもしてくれないと察した。先生がしてくれればいいのに。ぎゅっとしわくちゃになるくらい目をつぶって、ちゅ、と軽く口付けた。触れるだけで唇を離すと、可愛いと頬にお返しされる。 「そうだ、先生のお名前……読みがわからなくて」  教員名簿を確認したところ“ 加賀見 水泡”と書いてあった。恐らくというものはあったが、間違えてたらいけないので先生に聞こうと思っていたのだ。 「みなわ」  予想していた読みだったのに何だか安心した。そうして初めて音に出す。 「みなわ、さん」 「そう」 「綺麗な名前ですね」 「そう? “ 私の人生水の泡”、だよ」 「え?」  聞き返すと、先生は笑ってまた頬に口付けた。 「出雲の……名前は、何からきてるの」  あからさまに話題をすり替えられてしまい、しちゃいけない話だったのだろうかと、嫌な思いをさせたかと、顔を顰めて口を噤んでしまった。こんな反応したら先生に悪いのに。けれど先生はもう一度笑って、教えて? と言うだけだった。 「父が……歌舞伎が好きだったそうで」 「出雲阿国……?」 「そうなんです。姉は野菊と小梅です」  姉達の名前を聞いて先生はめちゃくちゃ顔を顰めた。わかる、わかります、その反応。むしろその反応を待ってました。 「なんで……出雲だけ、女の子の名前に……なっちゃったの?」 「どうやら姉たちに女形の方から名前をとったので逆をいってみたとかなんとか……父は亡くなってるのでもう聞けないんですけどね」 「そう……」  別にしょぼくれたわけでもないが先生はよしよしと背中をさすってくれた。  父は自分が十歳の時に病死してしまったが、今思い返せば家族で支え丁寧な別れができたと納得できている。悲しいことには変わりないけれど、それはとても大切なことだ。母や姉が忙しく働く中、家事を始めたのも自分で決めたことで、疲れてしまうことはあるけれど楽しくやっている。  それでもちょっと甘えたくなって、先生の胸に抱きついた。暖かくて気持ちがいい。そういえば父も煙草を吸っていた、銘柄はもう忘れてしまったけれど。  しかしくっついてると、ゴリッと固いものが肘に当たった。それに気がついてムッと先生を睨むと、ふいと目線を横にそらす。 「先生! もう、そんな雰囲気じゃなかったでしょう」 「だって、くっつくから」 「もう……」  それにしてもやっぱり大きい……撫で回したい。怒っておいて何を言ってるんだと思うけれど。すす、とさり気ないように肘で先の方に触れる。先生がわずかに腰を引いたのを見て、じわっとなる。 またこんな雰囲気になっちゃうのだから嫌になる。 「先生のばか。嫌いです」 「うん」 「あの……」 「うん?」  また顔が熱くなっていて恥ずかしくて片手で口元から頬を隠す。そして一つ深呼吸をして先生におねだりをした。 「今日は……オナニーですか……? 触ってもらいたいです。ダメですか?」

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