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台風警報①

 体育館へ移動する前の中休み、たまたま一人になったので先生のところへ顔を出すことにした。少し遠回りになるけれど、思いついたらどうしても顔が見たくなってしまったのだ。  中休みだと屋上にまた煙草を吸いに行ってる可能性も高いけれど一応……なんて期待しすぎないように予防線を張って扉の窓から覗いてみれば、男子生徒が二人ソファに座っており、その傍らに先生が膝を着いてしゃがんでいた。体操服を着ているので、きっと前の時間に体育だったクラスの生徒だろう。膝を擦りむいたらしく、消毒を受けている。  これは……邪魔したらいけませんね。そう思いながらもこっそり見学をする。  それにしても先生が事務仕事以外でまともに養護教諭をしているところを見たのは久しぶりのような。涼し気な横顔をしているけれど先生のことだから面倒くさいなどと思っていそうだ。あとで見ましたよって言いに来よう。  時間もないのですぐに保健室を後にすると、背後からスライドドアの滑る音がした。振り向けば先生が顔を出しており、ちょいちょいと手招きされた。俺が行くなり腰を屈めて耳元に顔を寄せ、低く小さな声で問いかけてくる。 「えっちな用事?」 「ち、違います。ちょっと顔を見に来ただけです。お邪魔してごめんなさい、お仕事に戻ってください」 「顔……? 僕の顔……見たかったの?」  姿勢を正した先生は白衣のポケットに両手を突っ込みながら首を傾げた。顔を見に来たのは言った通りそうなのだけれど、改めて聞かれると非常に恥ずかしい。無表情で天然なのかからかっているのかわからないのも辛い。早く先生の表情が読めるようになりたいものです。 「もう、そんなこと聞かないでください」 「たくさん……見て、いいよ?」 「いえ大丈夫です、そろそろ行かないと」 「待って」  行こうとするのを引き止めると、先生は羽織っていたジャージのファスナーを一番上までジーッときっちり閉めた。そして足元を見て眉根を寄せる。 「本当は……ハーフパンツも、やめてほしい……」 「体育館だと冬でも結構暑いんですよ」  先生は無言だが、ふぅん? と今にも言いそうな、ただでさえ背が高いのに顔を上に向けて見下すような視線を向けてくる。これが不機嫌な時の仕草だと言うのは最近わかってきた。  時間がないのに去りづらくてそわそわしていたら、先生がジャージの上から見事に胸の先端を当てて爪で引っ掻いた。布が厚いのでさすがに刺激は少ないが、突然の行動にビクッと体が震える。 「ジャージ……脱いじゃ、ダメだよ?」  言われて、この間乳首が透けてると指摘されたことを思い出し顔が熱くなった。あの後自分でも確認したがそれほど気にならないと思いつつも、確かに角度によって浮いてるのがわかって大層恥ずかしくなったのだ。先生に言われなくても他の人に気づかれるのは避けたい。 「わ、わかってます」  恥ずかしくて下を向いて返事をしてしまったが、先生はぽんと頭に手を乗せて保健室の中へまた戻って行った。なんの話ししてたのー? という生徒の声が響く。それに短く先生は“ 逢い引き”と答えるので走って逃げ出したいのを我慢して、早歩きで体育館へと向かった。先生のことだから冗談だと思われるだろうけど……ジャージを脱げないのに運動する前から熱くなってしまい、この後の体育がとても憂鬱になった。 「このボール少し空気が抜けているので、別のものと取り替えてきますね」  そんな言い訳をしながらバレーボールを片手に用具室へと走る。やはり運動し始めると暑くなってしまい、少しコートから離れて休憩しようと思ってのことだ。用具室へ入ると空気がひんやりしていて、熱気で蒸し暑い体育館にうんざりしていた俺はオアシスを見つけたような気分だった。すぐには戻りたくないのでゆっくり良さそうなボールを探す。 「いずもーん、大丈夫?」  呼ばれた方を向くと、よく行動を共にする友人の中の一人である山下が入口に立っていた。彼は何故かわざわざ扉を閉めてこちらに近付いてくる。小窓から漏れる光しかなく、これでは薄暗くてボールがよく見えない。 「顔赤いし、汗かいてんじゃん。ジャージ脱いだ方がよくね?」 「あ、いや……大丈夫ですよ」  曖昧に答え、よく空気が入ってハリのあるボールを手に取った。もう少し涼みたかったが、人が来てしまっては仕方ない……戻らないと。しかし戻ろうとしたら、山下が前に出てきていく手を阻まれた。背丈は俺より少し高いくらいだが、運動部で体格が良く、日に焼けた彼が目の前まで来ると迫力に気圧される。 「いずもん、顔赤いよ。脱ぎなよ」 「そうですか? 心配してくださってありがとうございます……でも大丈夫ですから。戻りましょう」  ボールを掲げて笑顔を向けたが、山下に片手で叩き落とされてしまった。ドンッと床でボールが弾く音が響く。  何事かと思って薄暗い中でなんとか目を凝らして彼の顔を見ると、いつもの朗らかに笑っている顔はなく、表情に力が入り怒っているようだった。 「山下? 何かありました?」 「誰かになんか変なこと言われた?」 「変なことってなんですか」  訳が分からず聞き返せば、彼は目を逸らして気まずそうに首の後ろをさすった。 「えっと……違うならいいや。ごめん」 「え、なんですか? 意味がわからないです」  明らかにおかしいので気になり問い詰めると、山下は首をさすったまま目を泳がせ、口を何度もムズムズさせた後にそっと俺の胸元を指さした。 「胸……透けてる、とか」  思ってもみなかった返答に頭の先まで一気に熱が走る。思わず胸元を手で隠すが、それも気持ちが悪いかとそっと手を下ろして拳を握った。  自分で見た限りでは指摘されるほど目立っていなかったはずなのに。指摘されたことへの衝撃に立っているのも辛く、よろよろと近くの跳び箱を背に寄りかかった。周りにそんな風に思われていたのだろうか。少なくとも山下には思われていたのだ。どうしていいか分からず項垂れてしまう。 「やっぱなんか言われた?! 大丈夫だよ、そんな奴は俺がぶん殴ってやるから! 誰だよ!」  顔がどんどん熱くなってきてもう胸が透けてたことも今の状況も何もかもが恥ずかしくて、顔の下半分を手のひらで隠しながら何とか首を横に振った。確かに指摘はされたが先生をぶん殴られては困る。 「あ、の……」  居た堪れない気持ちでたまらないが、どう思われてたのか気になり、恐る恐る声を出した。 「そんなに、目立ってました……? 」  ああもう、あんまり恥ずかしくて自分で聞いていて涙目になる。でも指摘してくれたのが彼で良かったかもしれない。山下は少し荒っぽいが面倒見のいい優しい男だった。山下は俺の問いに慌てて両手を振って否定した。 「え、あ、大丈夫だよ! そんなに目立ってない!」 「なら、どうして」 「えっと、あのさ……夏に坂本たちが」  言いかけて濁されたが、ここまで聞いておいてもう引き下がれない。どういう事なのか知っておきたかったので、じっと黙って彼の目を見つめて続きを促す。見るからに狼狽えているが、山下は観念したのか下を向いて静かに話し出した。 「水泳の時に……いずもんの乳首が……その、ピンク色で柔らかそうでエロい……とか言ってて。やめろって怒鳴ったらもうそれ以上言わなかったんだけどさ」 「えっ……本当ですか? そんな」  夏にすでにそんな話をされていたのか。坂本というのも友人の一人で、坂本たちと言うのならば普段山下も含めて仲良くしてる彼らのことだろう。  昨日まで普通に話をしていたので、そんなことを言われていたと聞かされてショックが隠せなかった。もう戻らないといけないのに動けない。そんなことを話していた友人たちにどんな顔したらいいのかわからない。 「ごめん、いずもん! 変なこと言った! その時しか俺そんな話聞いてないから!」 「じゃあ、体操服の時に見えてるって思ったのは山下なんですか?」 「あー、いや、えっと」  先生も言っていたし、山下も思ったなら自分で思ったより目立っていたのだろう。よかった、今日保健室に寄って。先生に念を押されなければきっとジャージを脱いでいた。  もう随分長いことここにいるし、もう二度とジャージを脱がないとだけ決めて戻るしかない。寄りかかっていた跳び箱から離れ、さっき叩き落とされたボールを拾おうと山下の横をすり抜けようとしたら、肩を掴まれてやや乱暴に彼の方へと身体を向かされた。痛みに顔を歪めると、ごめん、と謝られたがこの行動自体がよくわからない。 「ごめんな、そんな目立たないと思う。でも俺、その時すっげーアイツらムカついたんだけど……あれから、いずもんの胸が気になっちゃって。ワイシャツん時とかもごめんって思いながら見ちゃってて」  暗がりで俯いた顔がよく見えないが、肩を掴む手が熱い。そしてどくどくと脈が伝わるような、とにかく緊張感が伝わってきてなんだか怖かった。 「だから俺が見ちゃってただけで、大丈夫だよ。本当ごめん。見えてないよ、ほら」  顔を上げた山下の顔はあまりに真剣で、頬には汗が伝っていて鬼気迫るものがあった。ごくりと喉を鳴らして、ジャージのファスナーに手をかけゆっくり下ろされた。前を開かれて肩を抜かれる。 「ほら、見えてないよ」  そう言いながら彼は上半身に手を這わせ、親指で見えていないというそこに触れた。 「やっ……」  明らかに様子がおかしい山下から逃げなければと、急いで前を閉じてボールもそのままに出口へと歩むが、後ろから伸びてきた腕が腹を抱いてそれを止める。そのまま背後から腕を絡めてきた彼の手が胸の先端にまた触れた。 「んっ、やだ、やめてください……っ!」 「俺しか見てないから大丈夫だよ、ジャージ着なくて。ていうか俺は見たいし、着ないでよ」 「そう、じゃなくて……離してください……!」 「なんで? 乳首びんびんじゃん。いずもん感じてんじゃん。いずもんこんなだったんだ。えっろい、ほんとエロい……」  体操着の上から乳首を摘まれてしまい、親指と人差し指で擦られ背がビクビクと震える。友人にこんなことされるのは嫌なのに力が入らない。気を抜くと声が漏れてしまいそうで唇をぎゅっと結んで我慢しながら、どうしようかと頭を動かす。  しかしその時、ガタガタッと扉が動いた。山下は鍵までかけていたらしく、外から誰かが開けようとしたが開かなかったみたいだ。 「おーい、いずもんと山下入らなかった? 中にいる?」  坂本の声だった。先程の話を思い出して身が固くなる。 「いるよ! 悪い、間違えて鍵かけちゃった。今開ける!」  山下の返事に解放してもらえると安心したが、彼はまだ胸を撫でながら耳元で囁いた。 「いずもんさ……また大鳥とエロいことしてるの? 俺、休み時間の後とか授業サボって戻ってきた時にいずもんがエッチな顔してるの知ってるから」  頭が真っ白になった。  ハヤトのこと、何故知っているんだ。気付かれてた? そんなに自分はあからさまに様子が違っていたのか?  山下の体は離れていき、ボールを拾って用具室の鍵を開けた。困惑する俺など無視して坂本と合流し、早く来なよと俺にも声をかける。さっきまで暑かったのに寒気がする。冷えて震える指先でジャージの前を閉めた。      

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