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ぜんぶ置いてきました③

 ぎゅうっと後ろから強く抱きしめてくれた先生は、そのまま動かなくなってしまった。肩に顔を埋められているため、荒い息遣いがよく感じられる。  口だけじゃなくて、太ももでも先生が気持ち良くなってくれたことが嬉しい。俺の身体でたくさん気持ち良くなってくれて欲しい。いつも俺ばかり悦くしてもらっているから、この身体を好きに使って欲しい。  少しの間の後、先生は起き上がって額に浮かんでいた汗を腕で拭った。 「先生って汗かくんですね」 「うん? かくよ?」  当たり前のことなのだが、なんだかイメージになくて変なことを言ってしまった。きっとあまり表情に変化がなく、生気も感じられないからだ。  でも今の目の前にいる先生は、湿った肌に少しの鬚を蓄え、乱れた髪をかきあげるその姿はとても生々しい。また煙草に手を伸ばして、それを咥えて火をつけている。 「これ、吸ったら……シャワー……」 「はい。待ってます」  笑顔で返すと、先生は頭を撫でてくれた。前髪をあげて、おでこの生え際あたりに触れてくる。 「出雲も……汗、かいてる」 「恥ずかしいことに結構汗っかきかもしれません」 「僕も、だよ?」  苦笑する俺に優しい顔を向けて煙草の煙を吐き出す先生を見ながら、二人で汗だくになったらすごく興奮するんだろうなと思って頬が熱くなった。また汗をかいてしまいそうだと手で顔をパタパタと扇ぐ。それを見た先生も一緒に大きな手で額のあたりを扇いでくれる。きっとエッチなことを考えてるなんて思われてないだろうなと思ったら余計に汗が滲みそうだった。 「君の、スマホ……だけど」  唐突に先生は、手を動かしたまま話し始めた。 「金庫に入れる。一日一回、朝七時……一緒に、確認。必要あるなら連絡」  荷物も着るものもなくなりスマホは金庫に入れられ、問題がないように一日一回先生の前でチェックを行う。  冷静に考えればこれは軟禁というものなのだろうか。拘束されたら監禁になるのだっけ。ここから帰さないというのはやはり、そのままの意味だったんだ。それも察して帰らないと言ったのだけれど。 「先生がお仕事に行ってる時はどうすればいいですか? できれば拘束はされたくないです。お家のことができませんし……」  一番気になることを聞いてみれば、先生は扇いでいた手で俺の髪を撫でた。 「拘束する気は……ない。今は。君が出ていきたく、なったら……外に出て、警察にでも駆け込めばいい」 「そんなことは絶対にしません!」 「そう……」  こちらは全力で否定しているというのに、先生は覇気のない返事をして煙草を灰皿に押し付けた。そうしてシャワー浴びようかと、ぽつりと呟いた。  二人で熱いシャワーを浴びて、汗を流していく。  先生は色んなものが乾燥してカピカピになっていた俺の太ももを洗ってくれた。そのままお互いの身体を洗いあう。先生が頭からシャワーを浴びてるのを見て、俺はシャンプーを手に取った。 「髪の毛も洗いますね」 「うん」  両腕を上げて先生の髪の毛をわしゃわしゃと、爪を立てないように気をつけながら洗っていく。先生はやや太めでしっかりコシのある髪質をしていて、柔らかい猫っ毛の自分とは違った洗い心地がする。なんだか面白い。上げっぱなしの腕は少し疲れてしまうけど。  先生は下を向いて目を瞑っていたが、ふと薄目を開けた。黙ったままじっと見下ろされるので、どうしたのかと首を傾げた。 「そろそろ流しますよ? 目を閉じててください」 「うん」  声をかければ素直にまた目を閉じてくれたので、さらに腕を伸ばしてシャワーをかけ、髪の毛に付いた泡を流していく。  なんだか物悲しい表情に見えた。先生、また何か考えている。思い詰めている。  きっと先生は……本当はこんなこと、したくないのだろう。  それでも俺のことがどうしても欲しくて捕まえてくれた。  俺はそれが凄く嬉しい。先生に閉じ込められて、とても嬉しい。  シャンプーを流しきってもまだ目を閉じたままの先生が愛しくて、頬に張り付く髪を後ろへ流しながらキスをした。 「終わりましたよ。綺麗になりました」  目を開けた先生はまた俺を静かに見下ろす。 「髪の毛……初めて、洗ってもらった。気持ちいい」 「夜のお店では洗髪はしませんか?」 「いじわる……」 「ふふ……出たら乾かしてあげますよ」  浴室から出てソファに座る先生の髪にタオルを押し付け水分をとりながら、末姉のことを思う。  それなりに大きくなってからも、美容学校に通っている頃から美容師になりたての頃まで、練習させてと髪を乾かしてくれていた。  その手つきを思い出しながら俺は、ドライヤーの電源を入れ先生の髪を乾かすのだった。  朝ごはんにしようかと思ったが相変わらず冷蔵庫には何も入っておらず、冷凍庫に眠っていた少し霜のついてしまった冷凍うどんを温めた。言われた通りTシャツ一枚だけ身につけて、ダイニングテーブルに向かい合って座る。  先日は先生を襲う気満々だった為に気にならなかったが、やっぱりスースーするというか女性が着るワンピースなんかより全然短いし落ち着かないな。すぐに慣れるだろうか。あとTシャツのデザインが謎。筆で一発描きしたようなこの動物は猫なんだろうか熊なんだろうか。  座りながらも思わず膝をつけて座り少しソワソワとしていたら、先生は立ち上がってキッチンに姿を消し缶ビール片手に戻ってきた。 「朝からお酒ですか?」 「十時……朝じゃない」 「屁理屈です。休みの日はいつもそうなのですか」 「ちがう」  首を横に振りながらもプシュッといい音をさせてプルタブを上げる。くっと一気に喉へ流し込んだ缶ビールをテーブルに置く音は明らかに軽く、中身がだいぶ減っていることを知らせてくれた。  軟禁されている身というのは軟禁者の健康管理をしてもいいのだろうかと考える。養われることになるし買い物にも出られないのでやはり難しいだろうか。まだ若いとはいえ先生も三十は越しているだろうし身体のことが心配だ。  自分も食事に手をつけなから、髪を後ろに結っておうどんを啜る先生を眺める。真ん中で分けた長い前髪と顔の位置が高すぎるせいで普段は目立たないが、彫刻家が丁寧に彫り上げたみたいに綺麗な骨格をしていて輪郭を出せば出すほど美形に見える。  しかしその綺麗なお顔の横で持つお箸の格好が目についてしまった。おせちを食べた時も物を掴むのが上手くないと思ってはいた。あまり指摘することでもないと思うが、食べる煩わしさを冗長させている可能性も考えられる。 「先生、お箸の時に食べ物が取りづらいことはありますか?」  先生はもぐもぐと口を動かしながらゆっくり俺を見て、自分の手元を見る。 「普段……あんまり、使わない」  そういえばこの人、おからクッキーでお腹を膨らませているとか言っていたっけ……保健室でも昼休みに伺えばクリームパンやら蒸しパンやらメロンパンばかり食べていたな。これは本格的に身体が心配になってきた。 「そうなんですね。あの……これから、たまにでもいいのでご飯を作らせてもらってもいいですか?」 「いいの?」  器から顔をあげた先生の顔はちょっと嬉しそうで、俺も思わず笑みがこぼれる。目がちょっとキラキラしてる。 「出雲のごはんは……すき」 「それは嬉しいです。そうしたらお箸も使う機会が増えると思うので、一緒に練習しませんか」  しかしこの提案には顔を顰められてしまった。ビールに口をつけながら視線を外して遠くを見つめる。 「直した方が、いいと……言われるけど。必要性を、感じない」  やはり指摘されることはあるだろう。教職に就いているのだし、うるさく言う人も多そうだ。うんざりしているのならば悪いことをしてしまった。 「人に迷惑をかける訳ではないですしね。でも先生の手元を見ていて、正しく持てたらもっと食事が楽しくなるのではと思ったんです。無理にとは言いません、気を悪くしたならごめんなさい」  しかし先生は怒ったりしている様子はなく、謝れば首を横に振った。  そうして二人でおうどんを食べ終え、手を合わせてご馳走様をした。先生の分も一緒にお皿を下げようとしたら逆に俺の分まで持って行ってくれ、一緒にキッチンでざっと洗い流して食洗機にセットする。  失礼しますと声をかけて冷蔵庫の中身を確認するが、食材どころか調味料も少ない。ネットスーパーでも使わせてもらってしっかり買い物をしなければ。 「先生、なにか好きな食べ物はありますか?」 「わかんない」 「嫌いな食べ物は?」 「辛いもの……?」  菓子パンばっかり食べているようだし甘党なのだろうな。この様子だと先生に聞いてもあまり有力な情報は得られなそうだし、調味料など少しづつ調整しながら探っていこう。  戸棚なども失礼してお鍋など調理器具の確認をしていたら、先生はまた新しい缶ビールを開けていた。本当に水を飲むようにお酒を飲む人だな。  キッチン台に寄りかかり俺の事をぼーっと眺めながら、先生は呟いた。 「お箸……教えてもらおうかな」  喜ばしい申し出にコンロ下の引き出しを閉め、俺も先生の隣に寄りかかった。 「はい。もし出来るようになれば快適になると思いますよ」 「うん」  先生が少し腰を屈め、俺に頭を向ける。何かと思ったが頭を撫でてみたら正解だったらしく頭の位置は元に戻っていった。可愛いひと。 「出雲」 「はい?」  お顔を見上げれば先生はこちらには目を向けず、手元にあるビールの缶に視線を落としている。  ああ、お顔に陰りがある。先生の白い肌が青ざめている。  キッチン台から離れ先生の正面に来て、肉の薄い頬を両手で包む。  先生は俺を見て、またあの途方に暮れた、涙を堪えるような表情を見せた。 「大学の学部は……どこにした?」 「法学部です」 「僕は……君を、ここから……出したくない。どういう意味か、わかってる?」  自分があまりに衝動的に動いているかはわかっている。先生の言わんとすることもわかってる。  だからこそ頷くことを、俺は少し躊躇してしまった。自分は本当に理解しているだろうか。  先生はビールの缶を置いて、頷かない俺を抱き寄せた。 「君は僕の。僕にしか、笑いかけないで。もう僕の目にしか、映らないで」  先生の手がTシャツの裾から入ってきて、背骨をなぞる。そしてお腹に触れて、肋骨をなぞり、最後に心音を確認するようにそこに手を置いた。 「ぜんぶ、ほしい。きみの、ぜんぶ」  道に迷ったままの顔で、そんなことを言う。どうせなら覚悟を決めた顔で言ってくれればいいのに。 「全部先生にあげます。捨てられた俺を拾ってくれたのは先生ですから」  そう言ってる自分にどれだけの覚悟があるかはわからないけれど。  先生は眉根を寄せた苦しい表情のまま、微笑んだ。 「卒業式の日に……君を、外に出す。ここに戻ってくるか、戻ってこないか……よく、考えておいて」 「戻ってこなかったら?」 「君とはもう、会わない」  なんて悲しいことを今にも泣き出しそうな顔で言うのだろう。  そんな約束、そんな選択肢、なんの意味もない。  絶対に、絶対に戻ってくる。  だから逃げ道を用意するのはやめてほしい。  先生の悲しそうな顔を見ていたら、俺まで泣きそうになってきた。でもここで泣いてしまったらいけないような気がして、それを堪えて先生の胸に抱きついた。  俺のものよりほんの少し遅い心音が聞こえる。  俺の心臓は先生にあげるから、この心臓は俺にください。   

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