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恋人になれたらよかった⑨ ※先生視点

※※※※※  持っている中では細めのジーパンを出雲に履かせ、ベルトをきつく締める。僕には丈が短いけれど、出雲が履くとさすがに長かったので折り返してみたら何とか形にはなった。外はかなり冷えるのでインナーの上にぶかぶかのセーターと、これまたぶかぶかのパーカーを着せる。袖が長いから手はすっぽり隠れるけれど、どうしても首周りが空いてしまうので寒そうだ。参ったな。首周りがうっとおしいのが嫌いなのでマフラーなどの首を守る防寒具がうちには一つもない。 「首……寒いかな」 「大丈夫です。寒さには強い方ですよ」  惜しげもなく晒された首筋に触れながら聞けば、少し腫れてしまったいつもより重たい瞼でにっこりと笑う。 「行きましょう。いつも駐車場から直通でしたし、正面玄関は初めてですよ。どんな感じか楽しみです」  二人で玄関まで行き、靴を履く。たったそれだけのことだが、出雲にとっては久しぶりのことだ。出雲が靴を履き終えるのを待って、ドアハンドルを握る。背後に出雲の気配を感じると酷く緊張してしまい、深く長く息を吐いた。  ここまで来て躊躇している。  ドアを開けて外に出るだけなのに力が入らないでいたら、反対の手を小さく暖かい手が握ってくれた。振り返れば少し頬を赤らめ、涙袋をこさえて微笑む姿に勇気づけられる。僕はどこまでこの子に甘えるのか。 「こんな時間ですから……手を繋いで歩いても、平気でしょうか?」 「そう……だね。行こうか」  寒くないようにその手を包むように握り直して扉を開ければ、冷たい風が一気に入り込んでくる。ベランダに出ることはあったが、ズボンを履いて靴を履いて外に出るのは約三週間ぶりだ。どんな顔をしているかと横顔を盗み見れば、せっかく外に出たというのにその目は伏せられ自分の足元ばかりを見つめていた。  駅の近くのコンビニまでは歩いて十分はかからない。近所のスーパーも飲食店も閉まっているため道は暗く、道路の向こうにある二十四時間営業のファミリーレストランがぽつんと辺りを照らしている。  冬の夜なのに空気がしっとりしているなと空を見上げれば、雲が多く星は隠され、月明かりですら霞んで見えた。 「どう? 久しぶりの……外出は」 「久しぶりでもないですよ。外に出るのが思ったよりずっと早かったので、変な感じがします」  その横顔の赤い頬と吐く息の白さに見惚れながら、やっぱり寒そうな首筋にそっと指の背で触れてみる。すると僕の手よりずっとそこは温かく、出雲は小さく驚きの声をあげて肩をすくめた。 「もう、先生……冷たいですよ」 「ごめんね……寒くないかなって、思った」 「大丈夫ですよ? 先生の手の方が冷たいじゃないですか。きっとお煙草吸ってらっしゃるから血流が悪いんですよ」  握っている手を温めてあげたいと思うのに、温めてもらっているのは僕のほうだった。小さな手の体温を僕の大きな手で奪っているんじゃないかと心配になる。僕は暖かいけれど、出雲は冷たい思いをしているのではないかと、悲しくなる。 「手……離す?」 「え? 嫌です。離さないでください」 「冷たく、ない?」 「冷たくないですよ。すっぽり包まれて、冷たい風から守っていただいてます。ありがとうございます」 「そう……」  安心したら自然とため息がもれて、白い息は不安と共に夜の闇にとける。出雲の僕を気遣う言葉がいつも嬉しい。上手く返してあげられないのが悔しい。僕の方がもっとたくさん君にありがとうと伝えたいのに。 「僕も……ね? 君の手が、あたたかくて……暖めてもらっていて。ありがとう」 「はい! お役に立てて嬉しいです」  外に出てからいつもよりよそよそしかった声にふわっと明るさが灯り、弾むように僕の腕にくっついてきて肩に擦り寄ってくる。 「ふふ……誰もいないからくっついちゃいますね。深夜の誰もいない、車も走っていない道ってわくわくしませんか? 道路の真ん中を歩きたくなります」 「だめ。誰もいないと……スピード出してる車も、いるんだよ?」 「そうですよね……ごめんなさい。はしゃいでしまいました」  謝りながらもまだ嬉しそうに、にこにことふわふわとしている出雲がとても可愛い。やっぱり久しぶりの外出が楽しいのだろうか。それとも本当に深夜の散歩が好きなのか。もしかしたら……僕と二人で出かけることが嬉しくて仕方ないのか。  そんな都合のいいことを考えてこっそりと自嘲する。はしゃぐ君は可愛いけれど、静かな自分といる出雲が楽しいかは別であって。それにもし出雲が本当に喜んでいるからって、なら色んなところに連れて行こうと思えない。  大鳥に捨てられて、逢瀬場所だった鍵のかかった屋上への扉の前に籠る君を、救ってあげられたらと……もっと広い場所に連れて行ってあげられたらと思ったこともあったのに。 「こんなに人がいないと……世界に二人きりみたいですね」 「君は、ロマンチストだね」 「ロマンチックですか? このまま二人で歌でも歌いながら道路に出て、スピード違反のトラックなどに跳ねられてしまえば……この世界に二人きりのまま、終われます」  なんて物騒なことを言うのかと出雲を見れば、腕にしがみついたまま顔を僕の袖で擦り、きゅっと繋いだ手を握り直す。顔が見えない。どんな顔でそんな悲しいことを言うのだろう。 「煽ってるんじゃないですよ?」  くぐもった声。うんと返せば、ふと笑った。 「ロマンチックだなって、思ったんです」  どこが、と言ってやりたかった。けれど僕に言える言葉はなかった。  暫くそのままの格好でゆっくりと歩いて、コンビニが見えてくると出雲はすっと僕から離れ握った手も解いてしまった。そうして一歩先に行ってしまった背中に手を伸ばすと、笑顔の出雲が振り返る。 「そういえば……トラックに轢かれて異世界に飛んでしまうお話が流行っているらしいですよ? ふふ、そのまま二人で過ごせる世界に行けませんかね」 「異世界?」 「はい。俺もよく知りませんが……ゲームの世界とかに行くらしいです。役職は何がいいですか?」 「僕は……戦いたくないな。出雲は……ヒーラー、かな」 「ひーらー? ですか? ごめんなさい、話を振っておいて実はよく知らなくて」  ころころと可愛らしい笑い声を響かせ、ふっと小さく息をついて前を向いてしまった。 「誰にもなんにも言われない静かな森の中で、二人でひっそりと暮らせたら素敵ですね……なんて。現実逃避です」  その言葉の最後の方は、コンビニの自動ドアが開く作業的な音と怠そうないらっしゃいませという挨拶と重なって、声の温度がよくわからなかった。  店内ではちょうど納本の時間らしく、窓側の雑誌コーナーの床にはいくつも本の束が置かれて男性店員二名が作業を行っていた。出雲はそれに見向きもせず、迷いのない足取りで冷蔵ケースの前へ進んでいく。 「喉乾いた?」  水分をかなり出させていることを思い出してスポーツドリンクでも与えようかと聞いてみれば、出雲はアルコール類の入った冷蔵ケースの前で歩みを止めて目をぱちくりさせて僕を見上げる。ちょっと呆けた顔がいつもより幼く見えて可愛らしい。 「そうですね……確かに。先生がお酒買うだろうなとばかり考えてました」 「うん……買う」 「やっぱり。いつも先生が飲まれてるビールは……あ、えっと……」 「うん? どうかした?」  近くにあったカゴを取る僕の袖をつんつんと引っ張って背伸びするので、何かなと屈んであげれば口元に手を添えて囁き声でコソコソとないしょ話をはじめる。冷えた耳に温かい吐息がかかって少しくすぐったい。 「外で先生って呼んだらいけませんね。今だけ水泡さんと呼ばせていただきます」 「いや……加賀見さんで……」 「水泡さんがいいです」 「恥ずかしい……のだけど……」 「でしたら、恥ずかしがってください。ね、水泡さん?」  可愛くてはっ倒したくなるこの気持ちをどうしてくれるのか。そんな上目遣いして、小首を傾げて、名前を呼んで。しかも呼んでる君も相当恥ずかしそうに覚束ない発音をして。自分がどんな顔をしているのか分からないが、出雲が含み笑いをしているのできっと気持ちが顔に出ている。腹が立つので屈んだままでいるうちに鼻先にちゅっと口付けをして反撃した。すぐに離れて冷蔵ケースから酒をいくつかカゴに入れるが、見なくても出雲の顔が可愛く染まっていってることは気配でわかる。 「あの、おつまみとかは……」 「ああ、見ようかな……あれ。君、お酒飲んだの? 真っ赤な顔して」 「違います、もう……白々しいですよ? 水泡さんのばか」  水泡さんのばか。  あんまり可愛い言い方に頭の中でその言葉が延々とリフレインする。ややうつむき加減でそんな風に頬をふくらませてふざけているのか。  出雲がいきなり名前で呼び出したせいでお互いにまごつきながら、スナックコーナーに移動する。駄菓子コーナーの前でしゃがんであれこれ物色していると、出雲も隣に膝を抱えてちょこんとしゃがみ、僕が手に取るもの一つ一つを物珍しそうに凝視してきた。 「あんまり……食べない?」 「はい。なんでペラペラしたものばかり買われるんですか」 「うん? お酒に……合うから? 君も……好きなの、買いな?」 「でしたらせん……水泡さんと、同じものを食べてみたいです。原材料はなんでしょう……えーと……イカなのに魚肉すり身と書いてあります……」 「おいしいよ?」  僕と同じのを食べると言っていたはずの出雲は、好奇心がどんどん膨らんでしまったようで店に置いてある駄菓子すべて制覇する勢いでカゴに入れ始めた。前から興味はあったけれどこの歳になって初めて駄菓子を買うというのは恥ずかしかったと話すのが可愛くて、もっと種類が置いてある駄菓子屋に連れて行ってあげたくなる。  もしかしたら僕だって、君とちゃんとしたデートができるのかな。それともこんな気持ちになるのは一時だけなのかな。  はしゃぐ姿を見つめていたら目が合って、カゴにたくさん入った駄菓子を見た君は少し気まずそうにはにかんで笑った。 「逆になってしまいました……こんなにお菓子をカゴに入れてお恥ずかしい……」 「逆?」 「はい……よく想像していたんです。水泡さんがお買い物に行かれて一人で帰りを待ってる時に、二人でお買い物に行けたらどんな風かなぁと」  桃色の頬をして瞼を下ろし、口元を綻ばす出雲は今も空想の中にいるような幸せそうな顔をしていた。そしてふと目を開けて、僕にとろけそうなほど甘い笑顔を見せる。 「水泡さんがお菓子とかデザートをたくさんカゴに入れて、そんなに甘いものばかり体に悪いですよって止めたりするのかなって……思っていたんです。なのに、ふふ……想像と現実は違いますね」  全種類をカゴに入れ終えた出雲が立ち上がったので僕もそれに続く。カゴの中ではをお酒とスポーツドリンクが駄菓子の海に溺れていた。駄菓子の種類が豊富なコンビニで良かった。この後の食べた時の反応も楽しみだなと頭を軽く撫でてやると、照れくさそうに身をよじる。 「他にもたくさん想像してるんですよ? でも一つ叶って、良かった……先生、ありがとうございます。夢の中にいるみたい。とっても嬉しいです」  たったこれだけのことで。  夢の中にいるなんて大袈裟すぎる言葉に悲しくなった。それを誤魔化すように口の端を上げる。 「先生って……呼んでるよ?」 「あっ……やっぱり呼び慣れませんね」  やってしまったと歯を見せて悪戯っぽく笑う、そんな笑い方はあまり見たことがなくて目に焼き付けた。  あとは適当にカゴへ入れて支払いを済まし、コンビニを後にする。  コンビニから少し離れたところで近くをぷらぷら揺れる手を捕まえて握れば、意を決したような強い眼差しが向けられた。 「水泡さん、あの! 途中に公園がありました。公園で飲んだり食べたりしたいです」 「寒く、ないの?」 「大丈夫です! だってデートですよ? まだ帰りたくありません……ね、いいでしょう?」      

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