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恋人になれたらよかった⑩ ※先生視点
僕を見上げる瞳はただ公園に行きたいと訴えかけるだけではなくて、何かを強く求めているように見えた。握った手を握り返してくる華奢な手。首周りが寒そうで心配だったが、少しくらいならと頷くと、緊張して強ばった肩の力をため息と共に抜いて笑う。
マンションのすぐ近くにあるブランコと砂場とベンチくらいしかない小さな公園。昼間に前を通ることはないし、この辺りは治安もいいため若者がたむろするようなこともないので、人がいるのをあまり見た事がない。
街灯も少ないそんな寂れた公園だというのに、到着した途端にぱっと表情を華やがせた出雲は僕の腕をぐいぐいと引っ張り、鼻歌交じりでベンチへ座った。僕も隣に腰を落ち着けて買い物袋を傍らに起き、出雲がパーカーのポケットから購入したホット飲料を取り出すのを見守りながら、缶ビールのプルタブをあげる。
「熱燗……買えばよかったな」
「ああ、そうですよね……ごめんなさい、俺だけ温かいものを買ってしまいました。少し飲まれますか?」
「ううん、いい」
「気が利かなくてごめんなさい」
しゅんとしながら、空いている手にそっと温かいペットボトルを寄せてくれたが、少しだけ触れて温かさを分けてもらいその手は出雲の頬に当てた。
「いい。君は……普段、気が利きすぎるくらいだからね」
「そんなことないです。先生の前だとなんだかのんびりとしてしまって……気が利かないなといつも反省しています」
「そう? でも、もしそうなら。僕の前では……リラックス、してるんだね」
暗くて肌の色味までは感じられないが、触れた頬の温度が少しだけ上がるのを感じる。それは気のせいかもしれないけれど、赤くなってるのは確実だろうなと微笑ましくなる。
僕の手が離れていくと出雲はペットボトルの蓋をあけて、紅茶で喉を潤した。喉仏が動くのを見届けてビールを口にし、二人で星の瞬かない空を見上げる。
「さっき少し不機嫌になってらしたから心配でしたけど、今は平気そうでよかったです」
「うん?」
「さっき店員さんに、温かいもの袋どうしますかって聞かれて……俺が手で持ちますって受け取って……それだけで凄い嫌な顔されてましたよ」
「凄い嫌だったからね」
はは、と乾いた笑いをする出雲を見ながら、やはりこの独占欲は異常なのだろうなと認識する。
「でも……僕が買ってるのに、なんで君に話しかけるのかな。ずっと、君に向かってたよね?」
「単純に話しかけやすいからですよ。俺はよく親しみやすい顔と言われますし、先生は背が高くて威圧感がありますから」
「ふぅん?」
「もう。ヤキモチやきですね」
とん、と優しく肘でつつかれる。呆れているだろうか。本当は君だってあの店員より背が高かったと反論しようかと思ったが、くだらないと自分でも分かるし何を言ってもこうして優しく諭されるだけだろう。
やっと外に出たって、僕の提案で擬似的なデートをしたって、僕がどれだけ普通に君と過ごせないかわからせてしまっただけだろうか。ガッカリさせただろうか。たったこれだけのこと、といえばそれまでだけれど。君と出かけるのはこれが初めてなのだから、この情報が全てだ。
でもそれで良いのだろう。出雲の目も覚めるかもしれない。
煙草に火をつけ、たゆたう煙を見つめる。
「先生、駄菓子もいただきたいです」
「どうぞ」
細かい駄菓子が大量に入った袋を渡すと、出雲はおもちゃ箱を覗く子供みたいに無邪気な顔をして袋の中を漁り出した。
「たくさん買ってもらっちゃいました。欲張ってしまってお恥ずかしい……でも、ありがとうございます」
「うん。君が喜ぶなら、それでいい」
「ふふふ……先生だいすき」
肩に寄りかかり、おつまみ系の駄菓子をいくつか取り出すのでそれを一緒に食べる。すっぱいです、甘いです、カツも魚肉でできてますとパッケージの裏を見て原材料を確認しながら毎回何かしら感想を述べる姿が面白くて、食べている姿を見ていて飽きなかった。
「白身魚をすり潰して薄く焼いたら作れるんでしょうか。味付けとか好みでアレンジしたら楽しそうです」
「君……駄菓子まで、手作りする気なの? コスパ悪いよ?」
「コストパフォーマンスの問題じゃないですよ。こういうお菓子を作ると、機械で製造されているとはいえ企業努力を知ることができて勉強になります。何よりオリジナルの味にできるのは楽しいです」
「ええ……君には驚かされるな。なんでも、作ってしまうね」
素直に感心する僕に、ふふんと自慢げに笑って見せたかと思えばそれに少しはにかんで。誤魔化すように僕の腕にくっついて顔を埋める。
暖かくてその小さな頭に僕も寄り添い、ぴったりとくっついた。頬にあたる柔らかい髪の毛が、出雲が少し身動ぐ度に僕をくすぐる。
「俺の趣味は料理や家事ですから……手足さえ自由なら、先生のご自宅にずっといても苦ではありませんよ」
「うん」
「先生が帰ってくるのを待つのは楽しいです。そして先生とご一緒に過ごす時間はとても幸せです」
「そう……」
君が何を伝えたいのかちゃんとわかる。僕は察することはあまり得意ではなく、表情を確認しながら自分の知識と照らし合わせなければならないけれど、君のことは顔を見ていなくてもちゃんとわかる。素直な時の君のことくらいはちゃんとわかる。
素っ気ない返事の僕(いつものことと言えばそれまでだが)に出雲はそれ以上なにか告げることはせず、立ち上がって目の前にあるブランコへと駆けていく。ブランコへちょこんと腰を下ろし、漕ぐわけではなく足をついたままゆっくりゆらゆらと揺れている。
幼少期に遊んだ記憶もないため、公園にこんなに居座るのは初めてかもしれない。ビールを飲んでタバコを吸って、ブランコに座る君を遠目に眺める自分は保護者のようだ。ついさっきまでどろどろに犯していたのが嘘のみたいに感じる。
そしてまた君を汚したくなる。あまりに純朴で可愛くて耐えられない。君が性に溺れてぐちゃぐちゃになっているところを見ると安心する。ああ、僕のものだって。こんなに素晴らしい君が僕の手で淫らに堕ちているって。
残りのビールを一気に呷って、ブランコに近づいていく。目の前まで来て、チェーンを握って、腰を屈めて……僕を見上げる闇夜でも輝きを失わない恋する瞳を見つめ、口付けた。唇を舐めて、舌を差し入れ、君が弱い上顎をくすぐると色っぽい声が耳に届く。ブランコのチェーンを握っていた出雲の手は縋るように僕のコートを握る。
舌を存分に絡ませたあと唇を離すと、無邪気だった君の顔はすっかり蕩けて男を惑わすものに変わっていた。物欲しそうに細めて潤んだ瞳に湿度の高い肌、熱い吐息。いつもの欲しがりな君。
「先生……こんなとこで……」
「誰もいない。キスだけ」
「あっ……」
再び口付けを交わせば、さっきよりも声を漏らし体を震わし、ぞくりと身震いしたかと思えばそわそわと腰をずらした。その姿にくすりと笑い、耳元に唇を寄せて囁いてやる。
「いいとこ、あたった? 相変わらず、悪い子だね」
「やっ……せんせ、みみ、や……」
「ごめんね。やっぱり君は、本当に可愛くて、素敵で。僕には耐えられないな」
「え……?」
熱をもった頭でぼんやりと聞き返す。頬に手を当てながら指の先で耳たぶをくすぐると、肩を竦めて気持ちよさそうな声が出る。
「君とは恋人ですらないから……別れようとは、言えないね」
「先生? なにを……」
「さようなら。お望み通り、家に……帰りな。そして卒業したら、会うこともない。僕も養護教諭を辞めてあの学校を去るから、君とはなんの関係もなくなる」
時間が止まってしまったかのように、出雲は僕を見上げたまま身動き一つとらず固まってしまった。ただ僕を見つめ、瞬きを繰り返す。そして何度目かの瞬きの時に表情はそのまま、ぼろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
涙が落ちると一緒に、出雲は俯いた。取り乱すかと思ったがそのままただただ静かに涙を流す。しゃくりあげたりすることはなく、深いため息を落とすだけ。しかし涙は止むことはなく頬を濡らしていく。
「俺のせいで……辞めるのですか」
出雲はやっとのことで震える小さな声を出した。
「君のせいでは、ないよ」
「先生……先生、ずっと、だめって言っていたのに。手は出さないって。俺がワガママ、言ったから……」
「元から君に、好意があったのは僕。結局は、ね。きっかけがどうであろうと、大人の責任。君は子供なのだから」
腰を落としてしゃがみ、俯いてしまった君の顔を見上げる。ハンカチを持ってきていて良かった。まだ君の涙を拭ける。保健室でよくしたように涙のあとを擦らないように抑えていく。
「悪いのは僕一人。きっと君が大人になったら、よくわかる。僕はまだ若い君を……生徒である君を性的搾取しているんだよ。こんなの……まともな関係じゃない」
「そんなこと……先生は俺のこと愛してくれているでしょう……?」
「そういう問題じゃない」
頬から瞼の近くまでハンカチを上げていくと、きゅっと目を閉じるのが可愛い。そうしてハンカチが離れていくと、目の前でしゃがんだままの僕の肩に抱きついた。離れようとする僕を捕まえるように。
「俺、家族にゲイだってバレてもいいです。全部話します。だから先生辞めないで……ごめんなさい、先生、ごめんなさい」
「いい。清々してる。持ち家だし、貯えはあるし……どうにでもなる」
抱きつく腕を掴んで解く。そして肩をそっと押して、温かなその愛しい身体を剥がした。
しかしそれでも出雲は僕を振りほどいて、抱きついてくる。今度は脇の下から手を入れてがっちりと背中を抱き寄せる。体勢を崩して片膝をつく僕に構わず、ただぎゅうっと力いっぱいに。
「さよなら、なんて。ひどい……ここまでしておいて、あんまりです。ちゃんと責任をとってください。俺も、責任を取りますから」
「君を養えるか、分からないしなぁ」
「うそ、うそです。そんな問題じゃないくせに。お金が必要なら働きます。なんでも一人で決めないで下さい」
「僕はずるい大人だからね」
終始笑い混じりに返す僕に、涙と怒りに震える声の君。
ひたむきに語りかける君と真剣に言葉を交わすことはせず、なんでもないような顔をする僕は本当にずるい男だった。
「先生、もっと酷いことしていいです。俺ちゃんと、先生好みの体になってるでしょう? 俺のこと拾ってくれたんでしょう? 捨てないで……先生、先生、お願いします」
「君強いから壊れないし……無理。何しても喜んじゃうし、ね? 諦める。また、誰かが……拾ってくれるよ。他の人のところ、行きな」
「なんでそんなこと言うんですか」
「そんなの……わかるよね、君なら」
こんな言い方しかできなくて、本当に嫌な奴だ。心の底から君に相応しくない。上手く諭すことができないから軽い言葉で突き放してさらに傷つける。
どうせ終わるのに。
どうせ壊せやしないのに。
もう足掻いてもどうしようもないじゃないか。無駄に傷つけるだけじゃないか。
何よりも僕は、今以上に君を好きになりたくない。
君に触れる度に愛しさが増して、受け入れてくれる度に独占欲が増していく。報われず捨てることもできず抱えて生きていかなければならないこの感情を、これ以上育てるのは酷だ。
「閉じ込めることしかできない、僕は……君を幸せにはできないよ」
ここに幸せはなかったと、僕がろくでもない男だと、いつか君が目を覚ますときには、世間に取り残され本当に手遅れになっているかもしれない。
だから、これで良かったんだ。
「それとも、僕が逮捕されるのが……君のお望み?」
僕の額の辺りで、出雲が息を吸うのが聞こえる。ひゅっと吸って、そのあと肺を震わせ大きく息を吐いた後、とうとうしゃくりあげながら首を横に振る。
どれだけ君が納得しなくても、これさえ言えば引き下がることはわかっていた。
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