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第2話 帝王の護衛

昼食を済ませて黒と二人で応接室にいる。この後いくつか取引が控えていると聞かされた。それが何の取引なのか判らないがロクなものでない事くらい想像がつく。 椅子に足を組み座る黒の背後に控え、その時を待つ。この男の護衛として側にいることにも慣れたが、未だに矛盾は感じている。犯罪を平気で犯す組織を束ねる首領は排除すべきターゲットのはずだ。それを守るなんて普通じゃない。 そんなことを考えているとコンコンと扉がノックされた。黒が返事を返すと黒いスーツに身を包み左眉の上に傷のある男が髭を生やした50代位の客人を連れてきた。 足取りや仕草から品格が伺える。そっと腰を下ろした客人と目が合った。静かに威圧されているように感じるが恐怖するものではない。 「ただの護衛だ。気にするな」 「そうですか。では早速、先日の話の件ですが予定通りに準備できます。大陸から海路での輸送になりますので、それなりに日数はかかるとは思いますが品質は保証しますよ」 客人の言葉から薬の取引のように聞こえる。男は見た目や仕草は上品だが目の奥に潜む鋭さまでは隠しきれていない。それなりに洞察力を鍛えた俺だからわかる程度のものだが黒も恐らく気づいているだろう。 「ではそのまま進めてください。報酬は前回提示した通り用意します」 「これで取引成立です。こちらとしても上物が手に入るのは喜ばしいことです」 温厚そうに見える客人だが、その筋では相当の手練れなのかもしれない。だがあくまでも自分より年下の黒に敬語で話をしている。それだけ黒は恐ろしい存在なのだろうか。黒もビジネスマナーとして男とは敬語で会話をしている。 ここ一週間ほど側にいたが冷酷な面を目にしていない。もちろん優しい男ではないことは分かっている。目の前で人を殺した所を見てはいない。 「今後も良い取引が出来ることを願っている」 「えぇ、これからも良い関係を築いていきたいと思っております」 客人と黒が握手を交わして一つ目の取引が成立した。部下と共に退室したのを見届けて視線を黒へと戻す。 「今の取引は何なんだ」 「貴様に話す必要はない。知ったところで何もできんだろ」 「だからといって見過ごすことはできない」 「‥話からおおよその取引内容は把握しただろう。元警察官の貴様はそこで見ていることしかできない」 俺は元ではなく今も一応警察官である事を黒は忘れている。単独でなければ今ごろレコーダーで声を録音したものを部下に託し、表の世界へ明るみに出してもらう事も出来た。だが単独で動いたので仲間など居ない。行方不明になって捜索されているのかもしれないが、組織の中に居れば外のことが全く分からない。連絡を取る類のものは何も持っていない。言いなりになるしかできない絶望的な状況だ。 「‥温厚そうな男が物騒な物を売り捌いているなんて、裏社会は腐りきってる」 「あの男は温厚などではない。目の奥を見ればわかるだろう。隠しているつもりだろうが昔はいくつもの修羅場を潜り抜けた男だ。舐めてかかると痛い目に合う。お前…人を見る目がないようだな」 「うるさい…」 人を見る目がないことは自分でも分かっている。黒を慕っている人も俺と同じだ。残酷非道な男が何故こんなに人を惹きつけるのか俺には判らない。ただ皆が奥に秘めた闘争心を駆り立てられるという事だけはわかった。 「後二件だ、気を引き閉めろ」 「あぁ、わかった。首領」 そう答えてすぐにコンコンと扉がノックされた。二人目の客人が来たようだ。応接室に通された男はガタイが良く、目の鋭さや独特の威圧するオーラがまるで黒のようだ。その背後には取り巻きを一人連れている。 緊張の汗が額を伝う。客人の双眸は獣のそれに似ている。獣に狙われている子羊のような妙な緊迫感が走る。 「首領、今回助けていただいたこと心より感謝申し上げます。首領のお陰で我々は存続することができました。今後、鮫牙に誠心誠意捧げることをここに誓います。今後ともよろしくお願いします」 椅子に座りオーラを放つ男は言い終えた後で深々と頭を下げた。今回は取引ではなく感謝の挨拶に来たようだ。黒がこの男達に何か施しを与えたい事は話の端々から把握出来たが全貌が見えてこない。 「今後、湾岸の南側を貴様等に任せる。全てを家族のために捧げ、邁進してくれ」 黒がそういうと二人の客人がふたたび深々と頭を下げた。その後、菓子折りを置いて退室した。黒が紙袋から箱を取り出して開けると、誰が見てもわかるようにお菓子の上には2つの札束が乗せられていた。完全に賄賂だ。 「それは…」 「賄賂だな」 「あの態度といい、この札束といいあんた何か良いことでもしたのか?」 「あの男は3つ目に大きい組織を束ねていた五十嵐という男だ。組織の壊滅から救い出した。それだけだ」 黒の性格的に自分に有利な状況だったから、助けただけだろう。それを五十嵐という男は救世主として崇めているように見えた。 「今や五十嵐の束ねる組織は我々の傘下に入った。救ったとしてもいずれは壊れることは分かっていた。そうなる前に掌握した」 「相手にとって得になるのか」 「傘下に入ったが組織形態や名前は変わらず残る。そういう条件で五十嵐は自ら組織に入ることを望んだ」 裏社会は弱肉強食の世界。小さい組織は食われてしまう。五十嵐という男は組織を何とかして残したいという強い想いで傘下に入ったのだと先ほどの態度からも容易にわかった。こんな風に鮫牙は大きくなってきたのだろう。そしてこれからも大きく成長し続ける。 「あんたにとって有益な事なのか」 「大幅に戦応力が上がる。そしていつでも使い捨てられる駒が増える」 「あんたやっぱり最低だな」 何の打撃も受けていないと言わんばかりに鼻で笑われてしまった。自分もその駒の一つに過ぎない。黒は組員をただの駒としか思っていないのかもしれない。 もしかしたら特別視する者がいるのかも知らないが、まだ判らない事だらけだ。 しばらくして最後に訪れたのは女性だった。体のラインがくっきりとわかるぴったりとした赤いワンピース姿で裾は大きくスリットが入り、白い肌が覗いている。これで足でも組まれれば下着まで見えてしまいそうだ。男を惑わせすのが得意そうにみえる。 「黒、例の件ルートの確保は出来たよ。あとは用意するだけ」 「そうか、沈恋(チンレイ)助かった。後のことはお前に任せる」 「これ例の件の情報よ。手に入れるのに苦労したわ」 そういうと沈恋は茶封筒を黒に手渡した。赤い口紅のこの女までも裏社会に染められていると思うと悲しくなる。 「確かに受け取った」 「じゃあこれで今日は失礼するわ。黒、あんまり働きすぎないでね」 「心配無用だ。お前こそ、無理するな」 最後の雰囲気はどこか恋人のように感じられた。過去にこの二人は何かあったのかもしれない。そんな事を考えていると女性と目が合った。 微笑みかけられただけで言葉を交わすことは無かったが、裏社会に落ちた者独特の死んだ目をしていた。そっと沈恋は部屋から出て行った。 これで来客は終わりだ。少し気が抜けて溜息がでる。それにしても最後の女性の目を見ると後ろ暗さを感じずには居られなかった。妹もあんな風に生気を失った死んだ魚のような目になっていたらと思うと怖い。 「あの女性は‥」 「情報屋だ」 「目に力がなかった」 「薬物中毒だからな」 さらっと言われた言葉で納得がいった。薬物中毒者の瞳をしていた。あんな綺麗な女性が薬物に頼らなければいけないのには理由がある。風俗で働く女が客に薬を無理矢理させられるのはよくある話だ。沈恋もその被害者の一人かもしれない。 「何とかしてやれないのか…」 「薬を止めるのがどのくらい過酷かお前に判るか。沈恋はそんな辛い思いをしてまで止めたいと望まなかった。そんな相手にお前や私が何をしてやれる」 「‥それはそうかもしれないけど…」 鼻で笑われて何も言い返せなくなった。確かに俺は何もできない。変わってやることも出来ない。誰かのためになりたいと思い警察官を目指したというのに、身近な存在を今も救えずにいる。 どこまでも無力でそして弱い。こんな男の気まぐれに生かされている。大きな背中を見ながら俺は深い溜息と憤りを感じずにはいられなかった。

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