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-番外編- 裏切者には死を
欣怡は自分の行いが俺にバレてからますますドラッグを頻繁に摂取するようになったという。欣怡の姉、沈恋から聞かされた。ドラッグが切れれば暴れ出し死のうとする。手がつけられないと助けを求めてきた。
筋違いだと思いはしたが沈恋には世話になってきた恩がある。仕方がなく沈恋の家へと向かった。
「ごめんなさい。貴方に頼めた事ではないことは充分わかってる。それでもこのままでは私が殺されてしまいそうで…」
出迎えた沈恋は疲弊しきったボロボロな状態だった。気が進まないまま、俺は欣怡の元へと向かった。顔を合わせるなり来ないでと拒絶されてしまう。出来ることなら俺も顔を合わせたくなかった。
どれだけ傷ついたかも知らずに、自分だけが傷ついたような反応をする欣怡に俺は初めて頬を打った。今まで手をあげたことなんてなかった。そんな俺を驚くように見つめた後、欣怡はとち狂ったように刃物を向けてきた。
「どうして…私をぶつの!貴方のせいなのに…ねぇ、璃秦一緒に死んで?」
「俺はお前と死ぬなんて御免だ。やるべきことがある」
焦点の合わない瞳が俺を捉えることはなく、ただ刃物の先だけは確実にこちらを向いている。ドラッグに手を出したのは俺のせいではない。なのに兄も欣怡も人のせいにして現実から逃れようとしている。そんな二人を俺は許すことなどできない。
完全に狂ってしまった彼女を元に戻すことはできない。このままでは手をつけられない事態になりかねない。
沈恋が恐怖を感じるのも頷ける。ドラッグ依存者に理屈は通じない。禁断症状には抗うことはできないだろう。
俺は欣怡を抱きしめて耳元で囁いた。
「俺は君を愛していた。何が間違ってこんなことになったのか未だに理解が追いつかない」
欣怡は抱きしめられるのが嫌なのか腕の中で暴れている。しかし力は弱く抵抗にすらなっていない。
あの優しく微笑む欣怡はもうはどこにもいない。生気のない死んだような目。痩せ細った体。泣き叫んで掠れた声。何が彼女を変えたのか俺はわからないまま暴れる体を抑え込んでいた。
欣怡との思い出が一枚一枚蘇る。そして消すことができない。彼女は何かに悩んでいて、でもそれに気づくことができなかったのだとしたら俺にも落ち度がある。忙しさにかまけて異変に気付いてあげることができなかった。後悔ばかりが押し寄せてくる。
彼女が力を込めて振り上げた腕を静止することなく受け止めた。刃物は俺の左目に突き刺さり、視界が血に染まった。激痛が左目を襲う。彼女はその瞬間我に返ったようにハッとした表情を浮かべ涙を流した。まるで謝っているかのように思えた。
左目を抑えたまま、俺は愛しくてそして憎い彼女に銃口を向けた。
愛するものを撃つことに躊躇いが生じる。銃を握る手が震える。
「欣怡…ここでお別れだ。先に行って待っててくれ。あとで必ず追いつくから…そしたらどんな憎まれごとでも聞いてやる」
「璃秦…ごめん…なさい」
無表情だった欣怡が最後にいつもの笑顔を浮かべて俺の名前を呼んだ。
両手で銃を構え直して、安全装置を外した。あとは引き金を引くのみ。裏切られひどく傷ついたはずなのに殺すなと脳内で叫んでる自分がいる。愛しいものを殺す事がこれほど辛いものなのか。
幸せな記憶がよみがえり俺は知らぬ間に涙を流していた。もしかしたら明日にでも挙式を挙げていたかもしれない。そしてその数年後には欣怡に似た子供ができていたかもしれない。そしていつかくる別れの日まで二人で添い遂げたいと思っていた。
いろんな思いが溢れ出し止めどない涙を拭い、 俺は彼女の心臓に銃口を突き付けて――引き金を引いた。
欣怡は最後に「ありがとう」と言って息絶えた。彼女を殺した罪悪感に押しつぶされて俺は毎晩のように泣き続けた。
そしてやがて涙は枯れて出なくなった。二人で歩むはずの未来は失われ、残ったのは望まぬ立場と閉ざした心。硬く閉ざした心は二度と開くことはないだろう――
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