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第2話『9日間限定の恋人』(8)俊哉×凪彩

〜side.凪彩(なぎさ)〜 今日は月曜日。 昨日の水族館デートで、(とし)くんと少し心の距離が近づいた気がする。 帰り道でも時々キスをした。 キスもしたし、もしかしたらエッチな事をする流れになるかも…。 そうなったら、金曜日と土曜日の分も合わせて一生懸命奉仕しよう。 そう心に決めてベッドに入った。 少し会話をした後、俊くんが俺の手に触れたから、いよいよだ…って思ったのに、俊くんは愛おしそうに俺の手を撫でるだけ。 俊くんの下半身は思いっ切り反応してたのに、ほろ酔いの俊くんはエッチな事をしないまま幸せそうに眠ってしまった。 やっぱり俊くんはちょっと不思議なお客さん。 すぐに帰ってくるからな…と言い残して仕事に出かけた俊くん。 頼まれた分の家事をして、おでんの下拵えをした。 まだ11時。 俊くんが帰ってくるまであと8時間。 早く帰って来ないかな…。 また昨日みたいに抱きしめてくれるかな…。 気づくと俊くんが行ってきますのキスをしてくれた唇に触れていた。 そんな気持ちになった自分に驚いた。 今までお客さんの家で留守番している時は、お客さんがずっと帰って来なければいいと思っていた。 仕事だから仕方ないけど、お客さんの望み通りの恋人を演じるのは、すごく気をつかうから。 演技の勉強になると思って始めた派遣恋人だけど、演じれば演じるほど自分が何者なのかわからなくなって余計に自信がなくなった。 もし自分に余裕があったら、もっと会話や駆け引きを楽しめるんだと思うけど、不器用な俺はなかなか上手く振る舞えなかった。 エッチな事をしている時だけは気楽だった。 何も考えず相手の指示通りにして快楽に溺れていれば時間が過ぎていく。 上手く話せなくても、『大好き』『気持ちいい』『もっとして』の言葉と、合間に数パターンの喘ぎ声があればどうにかなった。 今は、時間稼ぎのセックスができない状態。 俺の苦手な会話だけで場をもたせなくちゃいけない状況。 それなのに…俊くんには会いたいって思う。 どうしてだろう…。 俊くんが優しいからかな。 俊くんは色々な事を教えてくれるし、俺が上手く話せなくても待っていてくれるから…かな。 こんな気持ちになったお客さんは、俊くんが初めてだった。 約束通り定時上がりで帰ってきた俊くん。 お土産はベイクドチーズケーキと、レアチーズケーキ。 俊くんは、俺が作ったおでんを『美味い』って言ってたくさん食べた。 ケーキも半分こした。 おしゃべりも楽しいし、一緒にいるとすぐ時間がたってしまう。 1人の時間はあんなに長かったのに。 そう思いながら食器を片付けていると、俊くんが隣にやってきた。 「後で…凪彩の得意な耳掃除してくれよ」 「うん、いいよ…」 俊くんからのリクエストが嬉しい。 もっと用事を言いつけて欲しい。 でも…どうしよう…。 お店のアプリのプロフィール欄に特技は耳掃除って書いたけど、本当は特技でも何でもない。 特技らしい特技なんて何もないけど、空欄にもできない。 知恵を絞って一生懸命考えた特技。 人見知りの俺でも、耳掃除をキッカケにお客さんと触れ合う事ができるから。 それに耳掃除中は、どんなに嫌な人でも、怖い人でもおとなしくしててくれるから。 そんな理由で書いただけだった。 でも、楽しみにしてくれる俊くんにそんな事言えない。 だから頑張ろう。 俊くん相手ならきっと大丈夫。 ソファーに座った俺の膝に俊くんの頭を乗せた。 俊くんの頭の温もりと重み。 湯たんぽみたいにあったかい。 改めて見ると、俊くんの横顔…カッコいいな…。 切れ長な目も素敵だし、鼻も高いし、唇の形も整ってる。 昨日の夜、何度も何度もキスをした俊くんの唇。 それを思い出したら、お腹の奥がキュッとなって、下半身が兆し始めた。 ど、どうしよう…。 俊くんに気づかれたくないと思っても、自分じゃコントロールできない。 ドクン、ドクン…と心臓の音が響く。 耳掃除に集中しよう。 そうすれば自然におさまるはず。 何回か深呼吸をして、耳掃除を始めた。 でも、緊張で手が震えて手元が狂ってしまった。 「痛てっ…」 「ご、ごめんなさい…。大丈夫…?」 慌てて手を引っ込めてオロオロする俺に、俊くんは大丈夫だと微笑んだ。 本当は我慢できないくらい痛かったんだと思う。 でも…俺を安心させるために…。 お客さんを喜ばせるどころか、逆に気をつかわせてしまうなんて…。 情けなくて涙ぐんでしまった。 「本当は…得意じゃないのか?」 「…うん…。俺…本当は得意な事、何もなくて…」 「そうか?今日のおでんも美味かったし、洗濯物のたたみ方もキレイだし、添い寝も上手い」 俺はそう思うけどな…と、頬を撫でられる。 「あ、ありがとう…」 添い寝が上手いって初めて言われた。 何をしたら上手い認定されるのか基準がよくわからなかったけど、俊くんに少しでも貢献できていた事が嬉しかった。 「凪彩、交代しよう。俺が凪彩の耳掃除をする」 「い、いいの…?」 「あぁ、任せろ」 交代して、遠慮がちに俊くんの膝に頭を乗せる。 よかった、これで体が反応してしまったのも上手くごまかせそう。 「痛かったら言えよ」 「うん…、お願いします…」 歴代の恋人にも尽くす事が多かったし、この仕事を始めてからは、どうしても奉仕する事が多くて何かをしてもらう事なんてほとんどない。 誰かに身を預けるって、こんなに幸せな事なんだ…。 「凪彩の特技もう一つ見つけた」 「え…?」 「最初から思ってた。凪彩は幸せを感じるのが上手いって。どんな小さな事でも幸せそうに笑うから…その笑顔を見てるだけで幸せな気持ちになれる」 そんな事言われたのも初めてだったし、こんなに誉められたのも久しぶりだった。 俊くんの温かい言葉は俺の冷え切った心に染み渡っていく。 俺にも存在価値があるんだ…と思うと、嬉しくて涙があふれた。 「凪彩…どうした?痛かったか?」 今度は俊くんがオロオロする番。 「ううん、大丈夫。ただ…嬉しくて…」 たまらなくなって、体を起こして俊くんに抱きついた。 当たり前のように抱きしめてくれる俊くんの逞しい腕。 甘えたくなって俊くんの首筋に頬ずりをした。 「凪彩…?」 「俺…初めて派遣恋人になってよかったと思えた。俊くんと出会えてよかった。ありがとう、俊くん」 派遣恋人をしなかったら、一生俊くんとは出会えなかったと思う。 あの時、派遣恋人になってよかった。 頑張って続けててよかった。 あきらめて田舎に帰らなくて本当によかった。 俺は俊くんの腕の中で、あふれてくる喜びを感じていた…。

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