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第9話
「俺たち以外にこの事実を知られなければの話だけどね?」
励まされた矢先に、紫藤によって地に落とされる。
「知られなければって」
どういうことだと問う前に、紫藤が口を開く。
「この珍妙な出来事、露見したらメディアが黙っちゃいないだろうね? 他の医療機関やバース専門機関も、こぞって突然変異を起こしたキミに興味を持つ」
そうすると、どうなると思う? そう問われて考える。
ただでさえオメガは珍しい。それ突然変異のオメガならどうなるか。
メディアに晒されようものなら、その日から平穏な生活なんて送ることは難しいだろう。それに、バースの研究機関に目を付けられたらどうなるか。想像力が豊かなのか、律はその先自分の身に起こり得る未来を想像して青ざめた。
「想像した通りだろうね。キミは程の良いモルモット……被験体として、色々な検査に回されるはずだよ」
「先輩、それはいくら何でも脅しすぎですよ」
カルテを手に持ったまま、笑顔で可能性の話をする紫藤。それをフォローするように、黒川は紫藤と律の間に入る。
「でも、確かにこの件はあまり公言しない方が良いかも」
不幸中の幸いか、この件を知っているのはここにいる三人だけだ。誰も公言しなければ、律が突然変異だと知られることもない。そう信じたかった。
「いくらここで箝口令を敷いたとしても、手続きで書類を出しに行った時点で露見するだろうね」
実際そうなるかも知れないと、律も一つの可能性として考えてはいた。
ただ、紫藤は無慈悲なのか、一応心配をして言ってくれているのか判断が難しいところだ。もう少し気を遣ってくれても良いんじゃないかと思う。
「何で、こんなことばっかり起こるんだろう」
どうすれば良いのか考えるのも疲れてしまった律は、診察室の椅子に座ったまま項垂れた。
「音無くん……」
黒川の同情を帯びた視線を感じるが、それどころではない。
同情でこの事態がどうにかなるのなら、いくらでも同情されてやる。
「悲運を嘆いたところで、事態は好転なんてしないよ、律くん」
「僕は弱音を吐くことすら許されないんですか?」
顔を上げてキッと紫藤を睨む。恵まれたアルファに何が分かると言うのだろうか。そもそも、事の一旦はこの男のせいでもあると言うのに。
「泣き言を吐いてキミが満足するなら、それでも良いとは思うけどね?」
「あなたは、僕にどうしろって言うんですか」
権力や地位なんて何も持っていない一塊の学生には、どうする力もないのだ。それを紫藤も分からないわけではないだろう。寧ろ分かっていて煽っているような様子すら窺える。
「使えるものを使えば良い」
「使える、もの?」
その言葉の真意が分からずに、律は鸚鵡返しで首を傾げた。黒川は意図を察したのか、苦い顔をしている。
「まだ子供のキミには分からないかも知れないけど、大人になると手段なんて選んでられないことも多いからね」
笑顔の裏に潜む紫藤の本性を垣間見た気がした。この男のことなんて、知らないことだらけだと言うのに――この人なら手段を選ばすにやりかねない、そう感じてしまった。
「キミにどうお詫びをしたものかと考えていたけど……この件を俺が持つって言うことでどうかな?」
どうも何も、一体どうすると言うのだろうか? 律には皆目検討もつかない。混乱する律を余所に、紫藤は言葉を続ける。
「心配しなくても、キミは変わらず普通に暮らせるよ。最初からオメガだったって言うことにしておけばね」
それはつまり、出生データの改竄。とてつもなくスケールが大きい話になって来たことで、律の脳内は情報を上手く処理出来ずにいた。
いくら優秀なアルファとは言え、ただの大学の医務員にそんなことが出来てしまうのか? ちょっと考えることを放棄してしまいそうになる。
「珍しいですね、伊織先輩が個人相手にそこまでするなんて」
「言っただろ? お詫びだよ」
そう言う割には全然悪びれる素振りもなかった癖に。紫藤の部屋でのやり取りを思い返して、律は二人に気付かれないように鼻で一笑した。
紫藤と黒川は何やら話を進めているが、本能が話に割って入ることを拒んでいるので、律は蚊帳の外で大人しく見守ることにした。
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