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episode.5

右腕が痺れる。 午前中の授業は板書もまともに出来なかった。 さっきは体育の授業で走ったら急に眩暈がして 痺れた腕に痛みが走って…。 それから目の前が真っ暗になった。 自分の身体に何が起きたのか 自分でもよくわかっていない。 少し違和感があっただけの腕が次第に重くなって 肩から指先まで全く力が入らなくなって。 寝てる時に変な体勢でも取ってたのかと思ったけど、 関節の痛みじゃないから違うっぽくて。 そんなこんなで特に気にもせず生活していたらこれだ。 俺何か変な物食ったっけ。 変な事したっけ。 何かいつもと違う事は──。 その時、俺の身体がふわりと浮いた。 広がる花の香り。 心地良い温もり。 まだ記憶にあるその匂いと温かさは 今朝起きた瞬間と同じもので。 そういえば あったな、いつもと違う事。 今日は久しぶりに、一人じゃなかった。 「それにしても篠原君にこんな素敵な従兄弟さんが居るだなんて~。」 「親父さんがおらん間はスミレの事頼まれてましてね~。」 「ところでその恰好は一体…?」 「あ~これ、これはまぁ…趣味やねぇ。あはは。」 浮いた身体のすぐ近くで聞こえるのは 保健の先生の黄色い声と、落ち着いた低音の優しい声。 俺、この声好きだわ。 まだ出会って24時間も経っていないのに 妙に聞き慣れてしまったそれ。 緩く関西弁が入っていて、語尾が優しくて棘がない。 「……かきつばた、来てくれたのか…?」 少し驚いた顔をした後、俺を横抱きにするそいつは目を細めて笑った。 「…おはよぉ、スミレ。 杜若ってちゃんと言えるやん。」 どことなく上機嫌にも見える笑顔を眺めていたけれど 一定のリズムで揺れるのが気持ち良くて またすぐに目を閉じた。 コツ、コツと響くのは俺を抱えるかきつばたの音。 身長も体重も平均くらいはある俺を軽々と持ち上げて、特に疲れた様子も無く歩き続ける音。 俺よりよっぽど華奢な癖に 腹立つなぁ、もう。 意識の薄れる中で、俺の記憶にあるのは 爪が当たらないよう、優しく頭を撫で、髪を梳く細い指だった。 だから 「あぁ、はよ死んでくれたらええのに。」 かきつばたの呟いた物騒な台詞を 俺は知る由もない。 次に目が覚めた時、右腕は普段通り動くようになっていて 痛みも痺れも消えていた。 「なあ、柿とバター!お前何かした?俺に。」 「…はぁ?柿もバターもここにはおらへんで。」 ベッドで横になる俺のすぐ隣で、 頬をぷくっと膨らめたかきつばたがそっぽを向く。 何こいつ。 さっき呼ばれて嬉しかったのかよ。 俺からしたらかきつばたも柿とバターも お前である事に変わりないんだけど。 「教えろよ、かきつばた。」 「…。」 「なーぁ、かきつば……ぇ?」 なかなかこっちを見ないかきつばたにいい加減イラついて、白銀を掴んで顔を覗き込めば ──何故か耳まで真っ赤になっていた。 「……あー、わかったからそう何回も呼ばんでええて。」 ふいと逸らされる視線。 漂うのは何とも言えない空気。 何赤くなってんだよ、とか 馬鹿にする勇気は俺にはなかったらしい。

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