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episode.26
ホームに居合わせた人の叫び声が響く。
すぐそこまで来とった電車は止まれる筈もなく、耳を塞ぎたくなる金属音をかき鳴らした。
嫌や。
スミレを失う事だけは、絶対に。
黒い闇に包まれるスミレと一瞬だけ目が合ったその時
「かきつばた…っ!!」
俺を呼ぶ声が
俺を求める手が
俺の心を満たしてくれるその手が伸ばされる。
「「いやあぁぁぁぁ!!!」」
間に合わず、目の前を通り過ぎた列車。
嘔吐する人やその場から動けん人
パニックを起こしたり過呼吸になっとる人もおる。
その中で、スミレは俺の腕の中におった。
固く繋がれた手は震えとって
それがスミレのなのか俺のなのかは正直言ってわからん。
ただ、スミレを埋め尽くしとった黒い影は
綺麗さっぱり消えとった。
俺が、俺の世界の禁忌を破ったという事や。
「…ぁ、あの人は……?」
涙でぐちゃぐちゃのスミレが差すのは
今しがた自分の落ちかけた線路。
「見たらあかん。わかるやろ…あの人はもう助からん。」
俺はあの時、手を掴んだ。
スミレの手だけを。
それはすなわち、人一人を見殺しにしたという事で。
スミレを危険な目に合わせたあんな奴、死んで当然やと思っとる。
そもそもあいつは一人で勝手に死ぬつもりやったんやろう。
自ら命捨てる奴を助ける程お人好しやないねん。
スミレは…そんな俺の事軽蔑する?
なんで自分だけって怒るんかな。
頭が冷静さを取り戻せば、途端に恐怖が俺を襲った。
今すぐにでも消されてしまうかもしれんし、地獄に堕とされるかもしれん。
八つ裂きにされるかもしれん。
流石にそれを恐れない程俺も強くはない。
それでも
「スミレが無事でよかった…。」
これは本心やから。
俺が自分でした事。
覚悟を決めなあかんのや。
もう一度、強くスミレを抱き寄せる。
いつこの手が触れられなくなるかもわからんから
絶対に後悔の無いように。
濡れたスミレの目元を拭う指先は
妙に痺れて痛む。
でもそんな事気にしている場合やなくて。
「好きやで、スミレ。愛しとるよ。
お前は俺の…命よりも大切な人やから。」
鉛のように重たくなる身体を必死に支え
俺を見上げるスミレにキスをした。
どうしても伝えたかった。
どうしても触れたかった。
これがもしかしたら本当に最後かもしれんから。
スミレの唇は涙のせいか少し塩っぱい。
そして多分、スミレだけやなく俺のものも交じってる。
怖い
苦しい
痛い
よかった
温かい
もう感情なんてぐっちゃぐちゃや。
ただ一つだけわかる事。それは
スミレの温度は心地良い。
スミレは震えながらも俺の背中に手を回してくれた。
互いに強く抱き締めあった温もりを
忘れることはないよ。永遠に。
「……本当に、大馬鹿野郎なのか貴様はっ!」
すぐ後ろでよく知った声がした。
よく知っていた筈なのに
飽き飽きする程一緒に居た時間の中で、こいつがこんなに声を荒げ、感情を露わにしている所は見た事がない。
「…はは。ほんとやなぁ。
あのおっさん連れに来たん?それとも……俺を消しに来たん?」
カツ、カツとこちらへ向かう革靴の音に
振り返らないまま返事をした。
泣き顔なんて情けないもんを紅薔薇に見せる事が無いように。
これは決して後悔の涙やないから
紅薔薇をこれ以上傷つけんために。
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