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Decades later ー 杜若

「──杜若。いつまで寝ている。」 頭の奥に響く、なんや妙に懐かしい声。 スミレでも、スミレの親でもないこれは。 「…紅薔薇か?久しぶりやねぇ。」 そうか 俺は スミレを残して、先にこの日を迎えてしまったのか。 「やっと起きたか。随分と老いぼれたものだな。」 「っふふ、そーゆうあんたは変わらんなぁ。」 姿も、声色も 俺とおった頃の紅薔薇のまんま。 何十年と経った今日、俺は旧友との再会を果たした。 俺の最期が来たっちゅー事や。 「約束は覚えているな。」 「ほんまに守ってくれる所が紅薔薇のええ所やな。」 赤い瞳が揺れている。 本当は、来たくなんか無かったやろうに。 友の最期を…それも、下に導くだなんて。 つくづく俺に甘い奴。 「…そこで泣いている小僧との別れはいいのか?」 紅薔薇の中では、すっかり歳を取ったスミレも未だに小僧なんやと思うと面白い。 俺が眠るその横で スミレは声を上げて泣いている。 ええ歳して何を恥ずかしい事しとんねん。 お前かて膝悪くしとるんやから 床に足ついとらんと椅子でも使い。 アホやなあ。 そう言って、いつものように涙を拭いてやりたくても もう、俺にはそれが叶わない。 これが、人の死というもの。 忘れていた。 …いや、あの頃の誰かを想う気持ちなんて無かった俺は 多分そんな事すらどうでもよかったんやろな。 「ええよ。言葉なん掛けても聞こえんし。 …それに、いつこうなっても後悔ないように毎日愛を注いどったから。」 「そうか、それなら──。 上へ逝くぞ。私が導こう。」 …上? 何かの間違いやないかと紅薔薇を見るも 嘘ついとるような顔にはとても見えんくて。 「さあ逝こう、杜若。 これが私も最後の仕事だ。」 「最後ってどういう事…?」 紅薔薇は俺とおった長い時間の中でも、笑顔を見せた事なんて片手で数えられる程しか無かったはずやのに シワだらけの手をしっかり握って 確かに笑った。 「死を迎える者たちがよく言っていた。 愛する者に看取られて幸せだったと。 ……お前にとって、それはあの小僧だろう?」 スミレは昨日まで、会社の出張が入っとった。 3日前の晩、病室で泣きなながら 自分の居ない間は必ず生きていろと、そう言っていた。 もしかして、紅薔薇は──。 「独りで死に逝く者は大抵、大切な者の顔を見たかったと嘆くからな。」 「…アホやなあ。」 ほんまにアホ。 あんたは俺と違ってほんまに1人になるんやで? 右も左もわからん世界で たった独り。 俺がおってやる事も出来んのやで? 紅薔薇の性格をよく知っているからこそ、 人に甘え、頼るのが下手な紅薔薇を知っているからこそ その不器用な優しさが、俺への想いの大きさだと気付く。 あんたの愛はわかりにくいねん。 「……なぁ、杜若。」 上へ繋がる扉の入口で 紅薔薇が振り返った。 「なぁに?」 「私はお前を…… いや…何でもない。 どうだった?人になった気分は。」 「っふふ、楽しかったよ。 …人は何とも興味深くて面白い。」 「そうか。それなら私も、この先に期待が持てそうだ。」 紅薔薇の飲み込んだ言葉。 何となく、察しはついていたけれど それを言わない紅薔薇の優しさに甘える事にした。 俺が愛し、愛されたのは 篠原菫一人で十分やと、そういう事なんやろうか。 どこまでも強く、優しくて 俺を想う友人に 敬愛の意を込めて 扉の向こうへ足を踏み出す間際 紅薔薇の手の甲に唇を落とした。 ありがとう。 最期まで、残酷にお前を縛った俺のような男を 愛してくれてありがとう。 俺も愛しとるよ、紅薔薇。 その愛は、あんたが俺に抱くそれとは違うけれど 出会えて良かった。 紅薔薇に、いつか光のような存在が訪れる事を願い 笑顔で手を振った。 カキツバタの花言葉 : 幸運は必ず来る

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