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Decades later ー 紅薔薇
「俺が死んだ時は…あんたが導いて。」
杜若は、私に向かってそう言った。
此方を見ているようで、一向に交わらない瞳。
そうか、お前はもう私の姿も見えぬのか。
この小僧を守る為に。
なんて馬鹿な事を。
「……あぁ、約束しよう。」
杜若に届かぬ声で呟いた。
掲げられた手に自分のそれを重ねて。
──杜若は、日ごとにシワが増え
あっという間に身体が動かなくなった。
私からすればほんの短い時間。
しかし人にとっては長い数十年という時間だ。
何度か杜若の周りの者を導く仕事もこなした。
杜若と何度も対峙した。
こちらを向く杜若に、思わず声を掛けた事もある。
だが、私の声が届く事は無かった。
「杜若、貴様は本当に残酷な男だ。」
「杜若、また老けたんじゃないか?」
「杜若、昼から雨だが傘は持ったか。」
「杜若、いい加減に──。」
私の声を、耳に入れてはくれないか。
「私がどれだけお前を愛していたと思っているんだ。」
「お前を一番愛しているのは私だ。」
「私を見ろ、私の声を聞け。
私と……もう一度話そう。」
何度も名を呼んだ。
何度も愛していると伝えた。
何度も叱り、何度も慰め、何度も触れた。
愛する者に気付かれる事は無いと知りながら
愛する者に気付かれるのは導く時だと知りながら。
杜若は病室で1人、管を繋がれていた。
その意識は途切れ途切れで
もう、いつ私がそこへ行けと指令を受けるかもわからぬ時。
篠原菫は遠く離れた地へ行ってしまった。
馬鹿なのか。
杜若はもう持たない。
お前が杜若を1人にしてどうする。
杜若にしてもらった事を忘れたのか?
杜若が愛したお前が、最期に寄り添ってやらないなど
他の誰が許してもこの私が許さない。
私は杜若の寿命を操作した。
たった1日。
だが、その時間ならば篠原菫は帰って来る。
何百年も愛した杜若を、幸せに送り出したい。
その一心で私は禁忌を犯したのだった。
人如きの為に何を馬鹿な事をと同士達は思うであろう。
杜若がそうしたあの日
私も同じ事を思っていた。
そうか。
私はこれ程までにお前を愛していたのだな。
杜若もまた、鞄を抱え、病室へ走る小僧を愛していたのだ。
大馬鹿野郎はお互い様だ。
久方ぶりに会話を交わした杜若は、私を変わらないと言って笑った。
握った手を見て思ったよ。
お前は変わったと。
優しい目をして、シワの増えた手は以前より少しふくよかになった。
幸せだったのだな、杜若。
──導いたのは私なのだから、もうここに杜若が居ない事など自分が一番よく知っている筈なのに。
私は杜若の骨が眠る墓石の隣に腰かけた。
今の私は人から見えてしまうのだから、
誰か来たようなものなら、なんて罰当たりな奴だと思われるだろう。
仕方の無い事だ。
「…杜若、私もお前のように幸せに逝く事が出来ると思うか?」
つい、問いかけてしまう。
私に気が付いてくれない彼に、そうしてきた様に。
今度ばかりは永遠の別れだ。
再会などあり得ない。
私をここまで悲しみの底に突き落とすなど、貴様は本当に酷い男だ。
河川敷で見つけたカキツバタの花をくるくると回していれば
白髪混じりの男が歩いてくる姿が見えた。
その男は私を知らない。
しかし私はよく知っている。
「…もしかして、かきつばたのお仲間さんですか?」
桶と柄杓、それから花の束を2つ持ったその男は
杜若に愛され、杜若を愛した小僧だった。
*紅薔薇の花言葉 : あなたを愛しています
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