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 翌朝、日課のランニングを終え自室に戻ると、來はすうすう寝息をたてて眠っている。想い人の寝顔に思うところがないわけではない。正直に言えば、睫毛の影や額のラインを近くでずっと眺めていたい。  聖利は欲望を抑え込み、目を逸らして共同のシャワールームに向かう。自室に戻ってきて、何度か來に声をかけたが「寝る」という返事しか返ってこなかった。  何が『融通してやる』だろう。昨夜のやりとりを思いだし苛立ちを募らせながら、高等部の制服に身を包み食堂へ向かう。寮内も学園内も基本はブレザーの学生服で過ごす決まりだ。寮内は、多くの学生がジャケットを脱ぎ、ベストにトラウザーズ姿で過ごしていることが多いようだ。  食堂はすでに学生でごった返している。朝練がある生徒もいるため、朝食は時間内ならいつ食べてもいい。しかし、多くの学生は寮長たちが食堂にいる時間に合わせてくるようだ。 「楠見野、おはよう」  食堂に入るなり、寮長の高坂が話しかけてきた。來くらい上背のある快活そうな青年である。彼もまたアルファであったはず。 「おはようございます。高坂寮長」  折り目正しく礼をすると、高坂がにこやかに言う。 「すまない、確認なんだが、同室の海瀬は今日も欠席か?」 「あ、はい……まだ体調がよくないようで」  嘘をつきたくないが、起きなかったとは言いづらい。  すると高坂が緩く首を振った。 「いいんだ、楠見野。海瀬來については、学校側から申し送りされている。頭脳明晰だと聞くが、なかなかの自由人のようじゃないか。俺たち三役も働きかけるようにするから、きみはあまり無理して関わらなくていい。何かあってもきみの責任にはならないようにするから」  三役とは寮長と副寮長ふたりのことだ。この学校では学園内は生徒会、寮内は寮三役が取り仕切っている。寮三役に学校側から根回しがいっていたということは、來は出自も含めて問題人物だと把握されているのだろう。 「すみません、寮長。お気遣いありがとうございます」 「楠見野は学年首席の優秀な生徒だと聞いているからな。勉学に差支えがあると困る。海瀬に振り回されないように過ごしてくれ。何か困ったことは俺か、副寮長の添川(そえかわ)か島津(しまづ)に言ってくれ」  そう言って高坂は去っていった。聖利は頭を下げ見送ると、朝食を受け取る列に並んだ。  ひとりの問題人物に学校中が振り回されている。まったく参ったものだ。せめて、自分くらいは來に対等な立場で意見できるようにしておこう。  恋心は置いておいて、少なくとも自分たちは切磋琢磨するライバル関係なのだから。

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