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もしかしてそう Ⅱ
紅夜は担任教師が数式を黒板に書いている様子を見ながら、本日何度目かの溜め息を吐いた。学校は悪く無い。とても設備は良いし、授業のレベルも高い。友達の嵐は、見た目はあんななりだけれど、とても気さくで良い奴だと思う。紅夜はふと窓の外を見下ろした。そこでは一年男子がサッカーをしていた。京義が居るかな、と思って目を凝らしたが、らしい人影は無い。京義は皆でサッカーをしたりなどするだろうか。紅夜は、今朝見た京義の白過ぎる横顔を思い出して、やっぱりそれは無い、と思い直した。
紅夜と京義は同じ「プラチナ」に住んでいるが、全くと言って良いほど、紅夜は京義のことを知らない。何故「プラチナ」に住んでいるのかも分からないし、いつから住んでいるのかも知らない。何が好きで、何が嫌いかも知らないし。どういう音楽を聴くのかも知らない。ただ、銀色の髪の毛に赤い目というその容貌から、学校では変な噂が堪えなかった。それはいつも、援交しながら生活しているとか、少年院上がりだとか、ヤクザの息子だとか何とか、そういうくだらないものばかりだったけれど。
くだらない、紅夜はずっとそう思っていたが、ただ多分それを言い切るだけの材料は持っていない。京義のことは何も知らない。何も知らないから、否定も肯定も出来ない。
数学教師の声が煩い、そんなことを言われなくてもそれぐらいちゃんと分かっている。
放課後、嵐と他の友人に軽く挨拶をして、部活モードの校舎を出る。正門のところに京義は立っている。京義のクラスはどうも終わるのが早くて京義はいつもそこで、紅夜のことを待っていた。でもこれは京義の意図ではない。初日に夏衣がちゃんと連れて行ってあげないといけないし、ちゃんと連れて帰らないといけないよ、と京義に言っていたのを覚えている。京義はそれを律儀にきちんと守っているのである。
「京義!」
「・・・」
京義が振り返る。やっぱりどうもこの人がクラスメイトに混ざって、サッカーをする姿など想像出来ない。京義は紅夜が自分を見ているのを無視して、すたすたと歩き始めた。学校から駅まで3分。
「やぁお帰り、俺の小鳥ちゃんたち!」
「・・・た、ただいま・・・」
「学校はどうだったかい?不安で不安で仕方なかっただろう、可哀想な紅夜くん・・・!」
「あの、いや、・・・楽しかったです・・・」
「・・・」
やっぱりどうも自分は歓迎されているらしい。紅夜はそれを見ながらしみじみと思った。「プラチナ」の中には夏衣以外は居ないようだった。染も一禾も大学に行っていて、まだ帰ってきていないのか。隣の京義はもう夕方だというのに、まだ欠伸をしている。やっぱり一日中眠いままらしい。夏衣は紅夜の返答に良かった、良かった、とその顔を綻ばせて笑っていた。
「京義は今日バイトかな?」
「・・・あぁ」
「それじゃ、仮眠取ったほうが良いね。オヤスミ!」
「・・・」
夏衣がそう言って京義の頭をくしゃくしゃと撫でた。京義はそれに特にリアクションは取らないで、欠伸をしながらふらふらと覚束無い足取りで階段を上っていった。結局、紅夜は京義と会話らしい会話をしなかった。行きも帰りも一緒だったが、京義は眠そうにただ一点を見つめてぼんやりしているだけだった。
「・・・ナツさん」
「ん、どうしたのかな?」
「京義って、何でここに居るん?」
「・・・んー・・・」
それまで愛想良くしていた夏衣が、不意に翳った顔をした。もしかしたら聞いてはいけないような事情があったのかもしれない。16でひとり、こんな辺鄙なホテルに住んでいるだけある。何かあるのかもしれない。実際紅夜は、言っては何だが、結構な事情を抱えて此処にいる。しかし、夏衣はすぐその明るい顔に戻って、今度は紅夜の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「実は京義のことは良く知らないんだ」
「・・・え」
「謎に包まれてるって奴?不思議だよね!」
「・・・はぁ・・・」
「でもまたそんなミステリアスなところが可愛いよね~・・・」
「・・・?」
果たして可愛いのかどうかは微妙なところだが、未成年を預かるにあたって、何も知らないなんて可笑しなことがあるのだろうか。仮にも夏衣は「プラチナ」の大家、本人はオーナーだと言い張る、である。しかし、子供のように屈託なく笑う夏衣が、どうも何か隠しているようには見えないので、紅夜が思っているよりは16の一人暮らしなんてあるものなのかもしれない。
「あの子ね。あんまり喋らないし、ちょっと怖い感じするじゃない?」
「・・・そうですね」
「でもホントは優しくて良い子だからね」
「・・・」
「仲良くしてあげてね」
その時、夏衣が笑ったのを見ながら、何となく紅夜は昔のことを思い出した。よく聞いていた言葉だった。親戚はいつだって、紅夜を家族に紹介する時、そうやって隣で笑っていた。そうしてその笑顔なんてものは触れば顔からぱらぱら剥がれてしまう、紙粘土みたいな笑顔だった。紅夜にはその言葉に良い思い出が無い。そう、優しくされたことなんてなかった。まして仲良くなんて。
「・・・」
「・・・あれ、どうしちゃったのかな」
もしかして、京義も同じように思っていたのではないだろうか。
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