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もしかしてそう Ⅳ
翌日、朝方帰った京義は起きてこないで、紅夜は初めてひとりで学校に行った。一週間もあれば道順も覚えていたが、どうも何だか、気分は良くない。夏衣は良くあることだから放っておいてあげて、と笑っていたし昼には起きて多分行くから、とも言っていた。京義と何か、何でも良かったから話したかったが、紅夜だって京義を昼まで待っているわけにはいかない。
「はよ、紅夜!」
「・・・あぁ、嵐か・・・」
「何だよ、暗いな、お前」
「・・・今日は京義と一緒やないねん」
「何だよ、それ超良い事じゃん!やっとお前もアイツの異様さが分かったんだな!」
「・・・」
「良かった、良かった!お前まで毒されること無いんだぜー・・・あんなや・・・―――」
「ええ加減にせぇ」
「・・・は・・・?」
「京義はそんな悪い奴とちゃう!よう知りもせんとそんなことよう言えるわ!」
「・・・え・・・」
「ええ加減にせぇ!二度と言うな!」
ぽかんとしている嵐を靴箱に残したまま、紅夜は二階へ続く階段を、大またで上っていった。周りの生徒は何事も無かったかのように、昨日のテレビやら何やら話をしては笑っている。嵐は吃驚していたが、不思議と嫌な感じはしなかった。紅夜が本気でそう怒ったからかもしれない。それとも嵐だって本当は、そんなことぐらいちゃんと分かっていたのかもしれない。嵐は紅夜が行ってしまってから、ぼんやり階段を見上げた。
太陽は眩しい。もうすぐ夏が来るのか、日差しは日に日に強くなっている。紅夜の席は窓側の後ろから三つ目だった。丁度、窓を開けて手を伸ばせば触れるほど近くに植わっている木のせいで、太陽の光を直接浴びることは無い。そしてその奥に広いグラウンドが臨める。紅夜はそれをいつも眺めていた。暇になるとずっと遠くを見るのは昔からの癖だった。遠ければ遠いほど、景色は歪んで見える。
(嵐はおらんし・・・あー・・・もう・・・)
昼になっても教室に嵐は戻ってこなかった。しかし、紅夜自身あんなに怒鳴ったのは久しぶりだった。「向こうの家」に居る時は、ただ黙っていることが良しとされた。必要以上のことは言わないで、ただにこりと笑って黙っていることが良しとされていた。そういう感情のコントロールが、出来ない紅夜ではない。昔から体に教えられたこと、それを何故守れなかったのか。何故あんなに怒鳴ったのか。
(ここは向こうとはちゃうからなぁ・・・)
違うといっても夏衣に知れればどうだろう。そんなことを夏衣はしないかもしれないが、夏衣は多分「向こう」の事情を良く知らない。とは言っても、紅夜自身だって「向こう」の事情は複雑すぎてよく分からなかった。そうして深入りしないことがやはりそこでは「良し」とされていたのだ。
(気ィ抜いた・・・「白鳥のおじさま」に迷惑を掛けるわけにはいかへんのや・・・)
夏衣はどう思うだろう。それをずっと紅夜は聞いてみたかったが、聞いてはいけないことぐらい、「向こう」の人間が触れられたくないと思っていることぐらい、ただ黙って笑いながら、ちゃんと分かっていた。紅夜は自分の頭の良さを呪った。知らなくてもいいこと、分からなくてもいいこと。紅夜はそうやって遠ざけながら、核心のことをそれが憶測ではあるが、知らないわけではないのだから。
紅夜はもう一度溜め息を吐いて、遠くに見える空の青に目を細めた。
あっという間に今日は終わって、放課後がやって来た。紅夜は正門に向かったが、そこで待っているはずの京義は居ない。もしかして来ていないのかもしれないな、と紅夜は思ったが、一旦引き返して校舎に向かった。昇降口は帰る生徒で溢れている。グランドでは野球部とサッカー部の部活の準備が始まっている。紅夜は来た道を戻って、4階まで上ってみた。京義のクラスに残っていた人は、流石有名進学校、全員が全員何も言わずに参考書を広げている。紅夜は誰かに京義の事を聞いてみたかったが、それが余りにも異様な光景だったので諦めた。
「紅夜!」
紅夜が途方に暮れている頃、そう後ろから呼ばれて思わず振り返った。転入してまだ一週間、他の階に知り合いが居るとも思えなかったが、反射的に振り返っていた。見れば、かこまで上ってきたのだろう、息が切れ掛かっている嵐が立っていた。咄嗟のことに何も言えずに、紅夜は慌てた。しかし、嵐はそんな紅夜の様子を放っておいたまま、少々早口に捲くし立てた。
「薄野なら5階の第4音楽室だぜ」
「・・・へ?」
「じゃぁな」
「え、ちょ・・・ちょう待って!」
それだけ言って嵐が言ってしまおうとするのを、紅夜はブレザーの端っこを掴んで止めた。嵐は振り返らない。一体何故そんなことを知っているのだろう、紅夜は思ったが今はそれどころではない。止めたのはいいが、何を言えばいいのか出てこなくて、紅夜は言い淀んでいた。
「・・・えっと・・・」
「朝のは・・・」
「・・・ええ・・・?」
「俺のほうが悪かったよ」
「・・・あ、あれ・・・?」
「良く考えりゃお前の親戚の知りあいだもんな、悪く言って悪かったよ」
「・・・」
「お前が怒るのも分かる。筋たってんだ、それは分かる。悪かったよ」
京義が果たして夏衣の知り合いなのかどうか、知り合いというのも何だか可笑しな響きだった。しかし、他に説明の仕様も無い。そういや、何日か前に京義の関係を嵐にそう説明したこと思い出して、紅夜は嵐には見えないように苦笑した。握ったままだった嵐のブレザーを引っ張って、今度はにこりと微笑む。
「ええよ。俺もムキになって悪かった」
「・・・」
「ごめんな、嵐。転入してからお前だけ、俺にようしてくれてんのに」
「・・・べ、別に・・・!」
「へ?」
「兎に角、薄野は5階の音楽室だから!じゃぁな!」
「・・・あ、・・・うん」
ばいばい、手を振ったが走り去った嵐にそれが見えていたとは思えない。
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